昨年12月に20周年を迎え、卒業生も含めてNHK紅白歌合戦に出場したAKB48。2005年12月の劇場公演初日に観客がわずか7人だった秋葉原のローカルアイドルから、5大ドームツアーを敢行する国民的グループへの躍進を知るレジェンドOGで初代総監督の高橋みなみ(34)は、汗と涙の日々を「奇跡のような青春」と振り返る。

ターニングポイントや今だから話せるエピソードを聞いた。(有野 博幸)

 19年以来、6年ぶりにAKB48が紅白の舞台に帰ってきた。高橋は前田敦子(34)、大島優子(37)らOG、小栗有以(24)、倉野尾成美(25)ら現役メンバーと代表曲「フライングゲット」「ヘビーローテーション」「恋するフォーチュンクッキー」「会いたかった」をメドレーで披露した。

 OGたちの明るい表情が印象的だった。「楽しかったです。やっぱり(前田)敦子の笑顔が全てを物語ってますよね。あんなに心から笑っている敦子の『フライングゲット』を初めて見た。現役時代は、ステージで華やかな反面、プレッシャーで苦しそうな姿も見てきました」。ブランクを感じさせないパフォーマンスで喝采を浴びたが、「いやいや、確実に衰えてますよ。あの舞台に立つために、みんな意地で仕上げてきたんです」と冗談交じりに語る。

 05年12月8日、東京・秋葉原のドン・キホーテ秋葉原ビル8階にAKB48劇場がオープン。「会いに行けるアイドル」をテーマに7924人から選ばれた当時14歳の高橋ら1期生20人がお披露目された。

「あれから20年。一つのグループがこれだけ続くのはすごい。私は16年に卒業しているけど、グループが継続して新たな物語が紡がれているのは、うれしいこと。ファンの皆さんが応援してくれて、現役メンバーが頑張って守っているからですよね。改めて感謝したいです」

 劇場公演の初日。250人収容の劇場に観客はわずか7人だった。「幕が開いた瞬間、お客さんが7人だけ。『これは無理だ。私たち、やっていけない』と絶望でした」。総合プロデューサーの秋元康さん(67)は「君たちはどんどん売れていくし、いろんなステージに立てるようになる」と言ってくれたが、心の中は「そんなわけないでしょう。だって、お客さんが7人しかいないんだから…」と不安でいっぱいだった。

 秋葉原の劇場で地道に公演を行い、路上で呼び込みのビラ配りをしたことも。

06年に「会いたかった」でメジャーデビューを果たし、秋葉原のオタク文化を象徴する「アキバ枠」として07年にNHK紅白歌合戦に初出場したが、あくまでローカルアイドルという扱いだった。08年にレコード会社を移籍して最初のシングル「大声ダイヤモンド」をリリースしてから、「同世代の女性ファンがイベントに来てくれるようになって、少しずつ流れが変わってきた」と感じるようになった。

 09年の「RIVER」で初めてオリコン週間シングルチャート1位を獲得した。「『大声ダイヤモンド』で風向きが変わって、『RIVER』で世の中がひっくり返る瞬間を見ました。アキバ枠を取っ払うことができました」。いわゆるキラキラとしたアイドルソングとは異なるメッセージ性のある「RIVER」は、ラップも交えて時代を切り開く力強さを表現した楽曲だった。この年から選抜総選挙もスタートし、徐々に社会現象を巻き起こしていく。

 さまざまなステージを経験しているが、一番の思い出は11年に「フライングゲット」で日本レコード大賞を初受賞したことだ。「まさに夢をかなえた瞬間でした。あれだけ栄冠を手にしている秋元康さんが唯一、受賞してなかったのがレコード大賞だったので、恩返しの意味を込めて受賞したかった。秋元さんが盾を受け取った瞬間、うるっと涙が出ましたね」。翌12年も「真夏のSounds good!」で大賞に。

女性グループのレコ大連覇は史上初だった。

 音楽にとどまらず、テレビのバラエティー番組やCMなども席巻し、人気絶頂を迎えた。当時は「テレビをつけたら毎日、AKBメンバーが出ている」と言われたが、「私たちはテレビを見る時間がなかった。毎日、朝早くにスタジオ入りして振り付けを覚えて夜遅くまでミュージックビデオを3本撮りとか、CMを3本撮りという日々。まだ『働き方改革』という言葉もなかった。置かれた環境を考えたり、先を見る余裕もないくらい、怒濤(どとう)の日々でした」

 レコード大賞、紅白歌合戦、全国ツアー、東京ドーム公演など次々と夢を実現させた。05年に秋葉原で観客わずか7人でスタートしてから8年後、13年には横浜の日産スタジアムで7万人を収容して第5回選抜総選挙を開催した。「芸能界のど真ん中を全力で駆け抜けた。当時はとにかく必死だったけど、かけがえのない時間を過ごさせていただいた。私たちの青春そのものですね」。それを経験したことで「今後、芸能界で何があっても乗り越えられる」と心の支えになっている。

 なぜ、AKB48は国民的グループになれたのか。

「一つ考えられるのは観客との距離の近さですよね。どんなにメディアでの露出が増えても、ホームであるAKB劇場で公演を行って鍛えられた。あと、握手会と総選挙。握手会でファンの方々に厳しいことをズバッと言われることもある。それが足元を見つめ直す機会になるし、もちろん励みにもなりました」

 親身になって叱咤(しった)激励してくれたファンに感謝しつつ「総選挙は二度とやりたくない。『神7』という言葉ができて『7位以内に入らなきゃ』とプレッシャーだった」。総選挙の投票権を封入したCD販売、じゃんけん大会、楽曲の総選挙である「リクエストアワー」、メンバーが綱引きやリレーを行う運動会、公開オーディションのドラフト会議、姉妹グループの誕生など、ファンの当事者意識をあおり、どんどん巻き込んでいく仕掛けも巧みだった。

 現役時代は初代総監督としてリーダーシップを発揮したが、昨年は応援総団長として12月5~7日に行われた日本武道館公演の曲目を設定するなど20周年を盛り上げた。「AKB48には、のべ361人のメンバーが在籍していました。それだけ夢を共有したメンバーがいるということ。誰一人欠けても、今のAKB48はないと思います」

 現在はKAWAII LAB.(通称・カワラボ。FRUITS ZIPPER、CANDY TUNEなど)の躍進もあり、令和のアイドル戦国時代。

AKB48は4月に東京・代々木第一体育館でコンサートを行う。「現役メンバーは夢に向かって走る面白さを感じていると思う。去年、武道館を成功させて、今年は代々木。一歩ずつステップアップして、もう一度、東京ドーム公演を実現させてほしい」。後輩たちの奮闘を優しく見守っている。

 ◆AKB48の主な記録と受賞歴 シングルミリオン通算達成作品数39作、シングル連続1位獲得作品数53作(継続中)、シングル総売り上げ枚数6009.9万枚がいずれも歴代1位(2025年12月8日現在、オリコン調べ)。日本レコード大賞は「フライングゲット」(11年)、「真夏のSounds good!」(12年)で大賞。「Oh my pumpkin!」(25年)で企画賞。

 ◆高橋 みなみ(たかはし・みなみ)1991年4月8日、東京都生まれ。34歳。AKB48の1期生として2005年にデビュー。08年に小嶋陽菜峯岸みなみとユニット「ノースリーブス」結成。

12年に総監督就任。13年に「Jane Doe」でソロ歌手デビュー。選抜総選挙は09年の第1回から5位、6位、7位、6位、8位、9位、4位。16年にAKB48を卒業。愛称は、たかみな。

編集部おすすめ