第102回箱根駅伝でオープン参加の関東学生連合は総合16位相当の10時間57分35秒を記録した。復路の成績では7位相当の5時間20分50秒を記録し、学連チーム結成後初の5時間20分台で復路5区間を走破した。

9区を走った日本薬科大の染谷雄輝(4年)はラストチャンスで箱根初出走の切符をつかみ取った。箱根駅伝のために異例の転校を経験。心臓の病にも打ち勝ってつかんだ夢舞台だった。

 最初で最後の箱根路をかみしめた。関東学生連合の9区、染谷は念願の箱根初出走を果たした。「緊張したけど、いざ走ってみると楽しくて。終始沿道の応援のおかげで楽しんで走ることができました」と頬が緩んだ。

 オープン参加の参考記録にはなるが、区間10位相当の1時間9分13秒。「目標は1時間8分50秒。届かなかったのは悔しい」と結果には浮かない表情をみせたが「直前まで箱根を走る実感が湧いてこなかった。でも、スタートラインに立ったときに『これが箱根駅伝なのか』と感じた」と念願の夢舞台に興奮しきりだった。

 箱根にささげた4年間だった。

きっかけは小学1年の2011年1月2日、初めて箱根駅伝を現地観戦した際に、当時東海大の村沢明伸(SGホールディングス)が17人抜きで区間賞を獲得した姿を見て、憧れを抱いた。千葉・野田南中で陸上部に入部し、流山南高を経て22年4月に育英大へ進学。2年からは副主将を務め、下級生ながらチームを先導する立場になった。しかし、「当時はチームの状況がよくなかった」と予選会のチーム成績は1年次に23位、2年次には33位と低迷。「もっと強くなりたい気持ちが強くなった」と悩んだ末に3年進級時に日本薬科大への転学を決断した。箱根への憧れが、染谷の心を動かした。

 しかし、その直後に試練が訪れた。「睡眠中に胸に強い痛みを感じて、深夜に何度も起きることがあった。軽いジョギングでも息苦しかった」と転学するタイミングで突然訪れた体の異変。病院で診察を受けると「ウイルス性心筋炎」と診断された。日常生活を過ごすだけでも体が痛む日々に競技引退も考えた。それと同時に、どうしても諦めたくない自分もいた。

半年間治療に専念し、経過は次第に良好に向かった。医師からの許可も下りて、ジョギングを再開すると「以前よりも走れる」と復活の可能性を感じるようになった。

 再び箱根路を目指す挑戦が始まった。新天地で練習を積み重ね、最上級生になった4年の4月の記録会では28分38秒95で1万メートルの自己ベストを更新。同5月の関東インカレハーフでは1時間2分57秒でハーフマラソンの自己ベストも更新した。10月の箱根予選会ではチーム日本選手トップの成績で走り、自力で夢を現実にたぐり寄せた。

 迎えた箱根駅伝。横浜駅前では父・雄二さんから給水をもらう予定だったが、関東学連スタッフからの誘導がうまくいかず実現せず。ハプニングに染谷が周囲をきょろきょろと見渡す姿が話題となったが、染谷は「学連の方も一生懸命やってくださっているので」と決して責めることはしなかった。

 卒業後は下里和義監督から熱烈なオファーを受け、プレス工業で現役を続ける。「最初で最後なので、本当は箱根もう1度走りたいくらいですが」と名残惜しい気持ちを胸に箱根に別れを告げた。そして、次は元日の上州路での活躍を誓った。

憧れに突き動かされた染谷の挑戦には、続きがある。

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