楽天・宗山塁内野手(22)、中日・金丸夢斗投手(22)らが大学時から通った大阪市内の野球特化型ジム「DAY ONE」。同ジムのトレーナーの濱盛力(はま・もりちか)さん(25)がスポーツ報知の取材に応じ、自身の野球人生や、指導の道に進んだ経緯を明かした。

約500人ほどの指導経験を持つ新進気鋭のパーソナルコーチに「最強」のつくり方を聞く。(取材・構成=森口 登生)

 濱さんが言う指導の軸は、単純なようで、独特だった。「“最強”にたどり着くための地図を見せる」。ジムには18・44メートルのブルペンに、計測機器のラプソードも設置。打撃練習も行えるスペースもある中、約1時間のセッションをほとんど会話で終えることもあるという。

 最強とは「かけ算で、その人が持つ最高値を生む」ことだと話す。技術、環境、メンタル、遊び心。選手が化けるため、どの要素をかけ合わせることに時間を使うか。大きな原点は、野球人生にある。

 広陵入学時、部員は170人で4軍構成だった。自らを「身体能力が高くない」と受け入れ、「運動神経が良く、筋力を高めた選手には勝てない」と覚悟を決めた。1年時から本を読み込み、格闘技などから体の最大出力が発揮されるポジションや動きを体得した。

2年秋に右肩を脱臼した際には、自ら治してしまうほど。現在も古武術などからヒントを得て、知識量を増やし続けている。

 「技、体」だけでなく、分析を好む。例えばエナジードリンクの「レッドブル」と「モンスターエナジー」。違いがどこで、どの層に売れているのか。単純に「歌がうまい人」と「売れる人」は何が違うのか。コンビニ、ファストフード店…。マーケティングについても常に思考する。「野球のことから人間関係、全てでずっと考えてきた。プライドもこだわりもあるし、よく考えるし繊細。結構生きづらい(笑)。だから、考えないと生きられない」。

その性格が指導の引き出しだ。

 同大に進学し、準硬式野球を始めた。「自分が楽しむため」と再出発を切り、知識×経験で球速は150キロに到達。その後、米国、ドミニカ共和国、独立リーグなどでもプレーし、NPB球団から調査書も届いたが、名前は呼ばれず。23年ドラフトの指名漏れの当日に、現職での活動を決意した。「高校で(硬式)野球を辞める決断をした時に辞める力がついた。辞めることは得意」。未練はなかった。

 25年のドラフトでは、指導する選手から楽天2位・伊藤樹(22)=早大=、ソフトバンク育成6位・長崎蓮太(18)=滋賀学園=らがプロ入りした。今も古武術など多方面から情報を得るのは「選手の立場で、教えてもらいたいと思う人」であるため。これからも最強を輩出していく。

 ◆濱 盛力(はま・もりちか)2000年5月3日、大阪市生まれ。

25歳。大阪・池田ボーイズから広陵(広島)に進学。度重なるけがで3年間ベンチ入りはかなわなかった。同大へ進学後は準硬式野球部に所属。3年生になる直前に退部し、米国へ野球留学。帰国後、22年8月に独立リーグ・茨城入団。ドミニカ共和国への野球留学を経て、23年9月に独立リーグ・香川に入団。同秋のドラフトでは指名漏れを経験し、トレーナーに転身。

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