スポーツ報知では連載企画「前進ルーキー11人」で巨人の新人全選手を紹介する。第10回は育成4位の河野優作投手(22)=愛知学院大=。

躍動で「こうの」の名字を覚えてもらうとともに、同姓の河野博文も獲得した最優秀中継ぎ投手のタイトル獲得もプロでの目標に掲げた。また、母・淑子さんへの感謝の思いや肉体面を含め変化のきっかけとなった大学時代を明かした。

 「『こうの』なんやけどなぁ」。河野はどこに行っても「かわの」に間違われることが多いという。「めっちゃ言われるんです。『はい』って言うんですけど(笑)。あんまり気にしてないですけど、覚えてもらった方がいいですね。活躍して『こうのやで!』ってなればいいかな」と柔和な表情で語った。巨人では「ゲンちゃん」の愛称で96~99年に在籍した河野博文以来の河野と書いて「こうの」姓だ。

 “先輩”と同じ左腕。オーバースローではなくサイドだが、フォームも体も変化へのきっかけが生まれたのは愛知学院大時の1年冬だった。「周りは体がデカい。

テキトーに4年間過ごしたら終わる」と米国式アカデミーの「ビーアンエリート」に週2回ほど赴き、もちろん大学でも練習。通い始めた頃に腕を下げることを勧められスリークオーターからサイドに転向すると、武器のスライダーも「もっと曲がって、より良くなった」と振り返る。

 大学1年時の体重は62~63キロ。「(アカデミーに)ウェート専門の方がいて、来月までに何キロにしてこいと目標を決められて。無感情でとりあえず食べました」。多いときは一日7~8食。おにぎりや焼きそばなどを頬張り続け、4年時には90キロに到達した。「球も強くなり、球速も132キロから148キロまで上がりました」と増量が奏功した。

 アカデミーに通えたのも、母のおかげ。5歳時に父が肺がんで他界し、母・淑子さんが女手ひとつで育ててくれた。「自分が買いたい物を我慢して僕に使ってくれていた。不自由なく育ててくれて、めっちゃ感謝しています」。

大学時代、大阪から愛知に何度も応援に駆けつけた母。結果が出ない時には「そんな日もあるし、全然あんたが楽しければそれでいいよ。謝ってこないで」と励まされた。その優しさが心に染みた。だから母にマンションを買うことも目標の一つだ。

 日本ハムの宮西や同僚の中川、高梨といった変則救援左腕としての活躍が期待される。「(将来)最優秀中継ぎのタイトルは絶対取りたい。50試合を毎シーズン投げられる投手になりたいですね」。くしくも「ゲンちゃん」はセ・リーグの初代最優秀中継ぎ投手。令和の「こうの」も名をとどろかせる。(田中 哲)

 ◆河野 優作(こうの・ゆうさく)2003年7月3日、大阪市生まれ。22歳。

小学1年時に出戸ワイルドメッツで野球を始め、中学時代は住吉大和川シニアでプレー。創志学園(岡山)では3年春の中国大会で2完投1完封を記録し、優勝に貢献した。愛知学院大では1年春からベンチ入り。3年時には大学日本代表候補合宿に参加した。180センチ、90キロ。左投左打。今季推定年俸400万円。背番号「047」。

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