◆ミラノ・コルティナ五輪 ▽フィギュアスケート(13日、ミラノ・アイススケートアリーナ)

 【ミラノ(イタリア)13日=富張萌黄】男子フリーが行われ、ショートプログラム(SP)9位の佐藤駿(エームサービス・明大)は銅メダルを獲得した。186・20点、合計274・90点で巻き返した。

2014年ソチ五輪の羽生結弦さんの演技を見て五輪に憧れた22歳。初の五輪を笑顔で終えた。滑り終え、「今も幻かなと思っている。本当にうれしい気持ちです」と振り返った。

 「火の鳥」の雄大な曲に乗り、冒頭の4回転ルッツを決めると、3回転半―オイラー―3回転サルコーも着氷。4回転―3回転の連続トウループ、単発の4回転トウループを降りていった。演技後は笑顔を見せ、日下匡力コーチと抱き合った。

 10日のSPは2本目の4回転―3回転の連続トウループで力が入りすぎ、後ろが2回転に。ミスが出た演技直後は謝るように手を合わせ、四方に頭を下げていた。そんな中でも「楽しく滑れた。フリーは気持ちを切り替えて、いい形でオリンピックを終われるように」と前を向いた。

 日本が2大会連続の銀メダルを手にした8日の団体男子フリーで五輪デビューを飾った。

最終滑走でプレッシャーのかかる状況だったが、「火の鳥」の曲に乗せ、冒頭の4回転ルッツなど、ジャンプをミスなくまとめた。自己ベストを更新する194・86点をマークし、2位に入る会心の演技だったが、米国のイリア・マリニンには5・17点及ばず。団体金メダルを逃しキス・アンド・クライでは約3分間、顔を覆い悔し涙が止まらなかった。

 悔しさをバネに臨んだ今大会個人フリー。重圧をはねのけ、再び会心の演技を見せた。SP終了時点ではメダル圏内まで13・85点と大きな差だったが、「火の鳥」の雄大な音楽に乗せ、見事な大逆転劇を果たした。

 22年北京大会は代表選考に関わる全日本選手権で肩を脱臼。代表には入れず、手術をして病院や自宅のテレビから日本チームを応援していた。苦しいシーズンだったと振り返るが、「そこからここまで、自分の中でこの4年間、できることを1つ1つやって、夢の舞台にたつことができ、今はうれしい」と今大会の代表入りを喜んでいた。

 4回転ルッツを武器に大きな成長を遂げ、手にした五輪のメダル。初五輪初メダルは憧れの羽生結弦さんと同じ。小さい頃仙台市内のリンクでともに滑っており、ジュニアとして出場していた19年のグランプリファイナルでは「頑張ってね」などと憧れの人からエールをもらい、力に変えてきた。

今季も右足首骨挫傷など順風満帆ではなかったが、目標としていたミラノ五輪で見事に表彰台に上った。

 ◆佐藤 駿(さとう・しゅん)2004年2月6日、仙台市生まれ。22歳。埼玉栄高から明大に進学。5歳で競技を始める。19年ジュニアGPファイナル優勝。24年四大陸選手権2位。24、25年GPファイナル3位。25年世界選手権6位、全日本選手権2位。家族は両親。162センチ。

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