フィギュアスケート男子で2014年ソチ、18年平昌五輪を連覇した、プロスケーターの羽生結弦さん(31)が10日、出身地の仙台市内でスポーツ報知の単独インタビューに応じ、11日で発生から15年となる東日本大震災への思いを語った。座長を務めるアイスショー「羽生結弦 notte stellata 2026」を宮城で開催するなど、被災地への支援、応援を続けている。

「やっと、31歳らしい背負い方みたいなものと、オリンピック金メダリストらしい背負い方みたいなことができるようになってきた」と口にした。(取材・構成=高木恵)

 羽生さんは座長として「notte stellata」を9日に完走したばかり。「希望の発信」をテーマにしたアイスショーで、魂を込め、3日間を滑りきった。

 「今日まで生きてきたな、という感じです。ショーの中でも『生を実感してほしいです』という話をしましたけれども、15年前のあの日は本当に生きた心地は全然しなかったし、それでも僕らは生かされていて。スケートもそこには存在していて、スケート靴がちゃんとあって」

 宮城・東北高1年だった羽生さんは仙台市内のリンクで練習中に被災した。自宅は全壊し、家族と共に避難所生活を余儀なくされた。

 「地震の時の氷が波打つ感じとか、氷が割れる音とか、建物がひび割れる音とか。貸し靴や、ガラスの扉とか、照明が落ちる音とか、すごく全部覚えています」

 ショーでは傷を抱えながらも、前に進む姿を描いた新演目「Happy End」を披露し、連日6000人以上の観客を魅了した。

 「あれから15年もちゃんと生きてこられたんだなという感覚と、いまだにこうして、もう本当に全神経と体力を使いきって滑りきれていることがありがたいというか、幸せなことだなということを思った時間ではありました」

 痛みやトラウマを抱えながら生きていく。徐々に、そう思えるようになっていった。

 「当時は『被災地の人間』と言われたくなかったので。

日本代表ということじゃなくて、被災地だから頑張れって言ってもらえているみたいな感じがあったので。そういう苦しみは当時ありました。こうして15年という時がたって『改めて当時のことを聞きますけど』というインタビューをされて『あ、あの時こんなことあったな』とか『あの時こんな思いだったんだな』ということを見つめ返さなくてはいけないフェーズに入り、それでようやく、傷の存在をもう1回見直して、えぐり返して『自分、こんなにつらかったんだって思っていいんだな』ということを思えたみたいなところはあります」

 ソチ五輪で金メダルを獲得後、幾度となく被災地を訪問。使命感と生きてきた。

 「だんだんと背負え始めてきたという感じです。元々乗っかっていたものたちや、自分の周りには背負うべきものはちゃんとあったんですけど、それの背負い方がわからなかったというか。どう表現したらいいかもわからないし、その覚悟も多分そこまで決まりきっていなかったのかなと。振り返ってみるとそういうふうに思えます。だから今やっと、今なりにですけれども、まだ転がっていて拾いきれてない覚悟たちとか、拾いきれていない思いたちとか、きっとあると思うんですけど、やっと、31歳らしい背負い方みたいなものと、オリンピック金メダリストらしい背負い方みたいなことはできるようになってきたのかなと思います」

 寄り添いながら、発信を続けている。次の世代に伝えていくことの意義を、感じている。

 「今回の『notte stellata』で共演した東北ユースオーケストラさんの中には、まだ小学生の子や、中学生の子がいました。その当時の記憶はないよねとか、当時生まれていないよねという子たちがいました。

そういう子たちがこういう表舞台に立って、自分の演奏を聴かせたり、自分の音を鳴らしたりという時代になってきたんだなということを考えると、今後、当時を知らない世代が増えていきます。そのために活動は続けていかなきゃいけないし、伝えられるものは伝えていかなきゃいけない。つらい思いをしてほしいということではなく、そこから学んだことによって、こうやって守られる命があるんだよと、こうやって守れることもあるんだよということを、ずっと伝え続けていきたいと思うんです」

 これまでのアイスショーではプロと共演する機会が多かったが、今回は東北ユースオーケストラと作品を作り上げた。

 「やっぱりオーケストラはいいな、と思いました。若い力もたくさんあったし、出身が東北の方々もたくさんいらっしゃったので。今回の公演にかける思いというものの強さみたいなことを、楽曲を通じて僕自身もたくさん感じさせていただいていました。やっぱり音楽っていいな、と思いました」

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