俳優でリポーターの阿部祐二(67)は2011年3月、突然の交通事故に遭い、第2頸椎(けいつい)骨折の重傷を負った。今もなお後遺症は残るが「これがなかったら今ちょっと変わっていないんじゃないか。

貴重な時間だった」と家族や仕事との向き合い方が変わった瞬間だったという。さまざまな人生経験を経て「リポーターは死ぬまでやる」と生涯現役を宣言した。(中西 珠友)

 東日本大震災の発生13時間前の2011年3月11日午前1時50分ごろ。阿部は帰宅途中のタクシーで交通事故に遭った。

 「気がついたら病院にいた。最初、気がついた時には首がめちゃくちゃ痛くて」。前日に亡くなった坂上二郎さんが晩年に過ごした栃木・那須塩原市で取材をした帰り道。当時住んでいた千葉・浦安市の自宅までは残り約100メートルだった。5時に起床して次の仕事に向かう予定だった阿部は、タクシーの後部中央座席で熟睡していた。

 2度の激しい衝突により、数時間は意識不明の状態。事故当時のことは全く覚えていない。現場に駆けつけた家族の話によると「後部座席が血の海だったから、これはまずいかなと思った」「覚悟を決めた」とかなり深刻な状況だったという。

 診断は第2頸椎の骨折。頭部も左を8針、右を7針縫う大けがだった。「歩けないから車いすだったけど、話はできた。(負傷箇所が違えば)半身不随というか、歩いていないんじゃないかとも言われた」と不幸中の幸いも。手術はせず、ハローベスト(頭部を固定する装具)による治療を選んだ。

 大学在学中に芸能界入りし、モデル、俳優として活動してきた阿部がリポーターを始めたのは36歳の時。事故に遭うまでの16年間は「ずぶの素人なので、追いつかなきゃ。追い越すためにどうしたらいいか。(仕事は)24時間営業。寝ないし、(家に)帰らないし、とんでもない生活が続いた」と、暮らしをすべて仕事にささげていた。取材の忙しさで「家で夕食を食べる機会が一回もなかった」という。

 事故を機に家族の大切さも身にしみた。

入院中は妻、当時高校生だった娘のタレント・阿部桃子(31)が見舞いに駆けつけ「夕飯をみんなで一緒に病室で食べた。それが40日以上続いた。それが一番楽しかった」と朗らかな表情を浮かべた。

 不慮の事故で数か月間休養となり、東日本大震災発生時、リポート取材はできなかった。「視聴者に『何でいなくなったの』と不思議に思われたと思うけど、僕も2か月動かなかったのは初めてで」。当初は自分でも理解が追いついていなかったという。

 仕事復帰は6月。東日本大震災の被災地取材のために宮城・石巻市を訪れた。復帰初日、現場には首にコルセットをつけたまま向かった。現地の女性からの「あんた首、大丈夫なの?」という一言に、心配されるうれしさやありがたさよりも後ろめたさを感じた。

 「俺は自分本位で、自分が聞きたい、何してほしいだけど、石巻のご婦人は自分が最悪な状況なのに、僕の首を気遣ってくれた」。仕事に対する考え方が変わった瞬間だった。

 かつては「イケイケで、『阿部が来たら、大変だぞ』と現場でも言われるくらい。『スクープ、スクープ』『俺が先』みたいな感じで、凌駕(りょうが)してきた。同業者の報道陣に一番嫌がられたんじゃないかな」と野性的な取材に自負があった。

 しかし女性との出会いで「相手を気遣うようなふりをして自分の思い通りにやるんじゃなくて、本当に相手に寄り添うようにできないか考え始めた」と一変。「昔の僕を知っている人間はビックリしますよ。引いてますね。前に出ない。寄り添う取材を取り入れて成長した」と笑う。

 15年がたった今も、後遺症が残る。「寒いと、頭がずっとしびれている。可動域も弱いし、完璧という姿からはほど遠い。アクションは一切できない。

でも、けがした当時から、『完全に治ることはないから、付き合っていくことになる』って言われていたので、言われた通りだな」と平然と受け入れている。

 リポーターとしてのキャリアは30年を超えた。取材対象者への向き合い方は変わったが、常に新しい情報を取り入れるスタンスは変わらない。時にはディレクターの指示に「それは○○(媒体名)で言っていたよ」と阿部が情報収集面で先回りしていることも。「何が飛び出すか分からない、何を言い出すか分からないっていう人間でいたい」。その一心で今も第一線で活動している。

 「事件です!」の決めぜりふでおなじみだが「6歳の時から相撲をやっていて、小学5年生の時に相撲界に入ろうとした」と思わぬエピソードを明かす。実際に親方にスカウトされ、入門直前までいったが、母から反対されて断念。その後も挑戦や失敗を繰り返し、そのトライアンドエラーこそがまさに七転八起の人生だ。「俺の人生、どっちに転ぶか分からない。やっと今落ち着いている感じ。もうこれから変えることはない。

リポーターは死ぬまでやる」と生涯リポーターを力強く宣言した。

 〇…阿部をリポーターの道に導いたのは、今年元日に亡くなった久米宏さん(享年81)=写真=がキャスターを務めたテレビ朝日系「ニュースステーション」のプロデューサー。面識こそないが、阿部は久米さんと同じ早大政治経済学部出身。「久米さんの生前、言っていたことを目指している。自分の言葉で誰も言ったことないことを言って、自然にしゃべる。これを体現しようとしている」と自らを重ね合わせ「ボロクソ言われても一緒にやりたかった」と残念がった。

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