侍ジャパンは準々決勝でベネズエラに敗れ、2006年に第1回大会が始まって以降、史上初めてWBCで4強進出を逃した。敗因いくつかの視点から探る「WBC侍連覇ならず 検証」の第2回はメジャーリーガーたちの誤算―。

 首脳陣はメジャー組投手陣の誤算に頭を悩ませていた。2月末、宮崎合宿の最終盤に合流した菊池(エンゼルス)はライブBPなど、少ない実戦練習を経て3月2日のオリックス戦(京セラD)に先発したが、初回に3失点、立ち上がりに不安を残した。開幕2戦目、7日の韓国戦でも初回に3失点。首脳陣の間ではこの投球が引き金となり、期待していた準決勝以降の先発ではなく、中継ぎ起用へとかじを切った。実績のある左腕にふさわしい持ち場を―。「どこで登板させるか」が最後まで懸案となっていた。

 また絶対エースの山本には大きな“壁”が課されていた。ドジャース側から1次Rではルール上の制限である65球以下、50球程度の球数制限を通達されていた。実際に台湾戦では53球で3回を投げ切れず。早過ぎるとも言われた降板の裏側だった。

 大一番となったベネズエラ戦でも同様にルールの80球以下の制限を強いられた。先頭のアクーニャに一発を浴びながら4回2失点にまとめ計69球。

厳しい制限が投球に影響を与えた可能性もある。優勝した過去の大会では大黒柱がフル回転したケースがほとんど。エースを思うように投げさせられない“ジレンマ”は山本以降の継投プランにも影響を及ぼしたはずだ。

 井端監督は野手を含めたメジャー侍たちの調整については個々に一任。唯一の希望は時差調整のため、宮崎合宿後の名古屋滞在中(2月24~28日)の合流を「目指してほしい」ということだけだった。しかし、岡本(ブルージェイズ)と村上(Wソックス)はメジャー1年目。チームでの練習と実戦を優先せざるを得ず。大阪での強化試合が始まるギリギリでの帰国となり、時差ぼけによるコンディション不良が続いた。結果的に1次Rの開幕から3試合、バットは湿った。マイアミに到着以降も、村上が「体調はあんまりよくない」と危機感を口にするなど、万全にはほど遠く、ともに大会通算で打率2割1分1厘、本領を発揮するには至らなかった。

 大会前に救援陣の辞退者が続出。本番を迎えてからもいくつもの“狂い”が生じながらも井端監督は打つべき手を打った。

連覇はならなかったが28年ロス五輪など、将来へ向けてまいた種は確実に芽生えてきている。(特別取材班)

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