スポーツ報知では、関東大学サッカーリーグの魅力を伝える企画を随時掲載する。第10回は国士舘大のFW本間凜(21)=3年=がインタビューに応じた。

本間は昨季13得点で得点王とベストイレブンを受賞。チームも2位と好成績を残した。国士舘大サッカー部を長年率いた大沢英雄さんが肺炎により昨年2月に89歳で死去。今季は大沢さんが生前願った10回目のリーグ優勝を目指す。(取材・構成=浅岡 諒祐)

 昨年2月16日、部内に衝撃が走った。国士舘大サッカー部の生き字引、大沢さんが帰らぬ人になった。亡くなる直前、本間は慌ただしい周囲の様子から、最悪の事態を覚悟した。

 「練習をしている時、コーチが急いでどこかに行った。用件も伝えず、『自主練をしといて』とだけ言い残して」

 予兆はあった。本間が2年時から部へ訪れる機会が減り、頻繁に通院しているという話も耳に届いた。しかし、車椅子で訪れた際は「自分は大丈夫、元気だ」と周囲に伝え、選手にゲキを飛ばし続けた。力強い言葉は胸に残り続けている。

 「大沢先生が一度、『お前らは優勝しろ。スタッフやコーチの言うことは絶対に聞いて、キャプテン中心に頑張っていくんだ。これが俺の遺言だ』と言った。聞いた時、鳥肌が立ち、しびれる感覚があった。国士舘の人なら誰もが尊敬する人。大沢先生が目指している物を、常に国士舘全員で体現することが目標」

 自身の国士舘大への道も大沢さんが作った。高校3年時、大沢さんから電話がかかってきた。「君に来てほしい」。早速、施設見学へ向かった。最寄りの鶴川駅に着くと、迎えの車に大沢さんの姿があった。

 「車の後部座席で大沢先生にずっと『お前はすごいと聞いている』と言われた。練習見学の時も、綱島(悠斗)さん(現・アントワープ)らがいた、すごい強かった代を見ながら、『お前もこうなるんだ』と隣で言っていた。

それで、国士舘に行こうと決めた。今、在学の生徒で、自分が一番面倒を見てもらい、かわいがってもらっていたので、ショックが大きかった」

 大沢先生のため―。そう誓った昨季は飛躍の年となった。ハットトリックを決めた第4節東洋大戦から5戦連発を記録し、得点ランクを独走。チームも前半戦終了まで8連勝で、リーグ戦首位をひた走った。同9月にサッカー部部長の村岡幸彦さんも死去し、優勝への思いがより強まったが、最後は筑波大に敗れた。自身も右足首を負傷。大事な終盤戦で欠場が続いた。

 「優勝争いしている自分たちがかっこいい、優勝争いで満足、という雰囲気がチームにあったかもしれない。(筑波大とは)意識の違い、サッカーに対する思いが違った。(勝ち点1差で迎えた第20節の)天王山も、絶対的な自信が向こうにはあった。自分も途中から20分くらい出たが、『何で、もっと早くから出られなかったのだろう』と思った。

けがも焦って、ぶり返して、最終的には(痛みが)アキレス腱(けん)の方までいってしまった。大事な時に何をしているんだ、と思った」

 今季から新ユニホームに刷新。目標は当然、リーグ優勝だ。大沢さんの願いを胸に、新ユニホームを“強い国士舘”の象徴にする。

 「準優勝という好成績は残せたが、大沢先生がずっと目指していたリーグ戦10回目の優勝はまだ果たせていない。常にみんなの胸には大沢先生がいて、一緒に戦っている。自分が国士舘にいるうちにリーグ優勝して、最後の置き土産にできればと思う」

昨季13点中6点ヘディング「自分の利き足は頭」

 本間のプレーで、昨季13得点中6得点を奪ったヘディングが目を引く。元日本代表FW巻誠一郎は自身のプレースタイルから「利き足は頭」と表現したが、本間も「自分の利き足は頭」と断言。「当て感、首の持っていき方、ジャンプのタイミングは、大学でより一層磨きがかかった」と自信を深める。

 本人いわく、「ミドルよりヘディングでたたきつけた方がかっこいい。体で勝った感じがして、一番興奮する」。元日本代表FW岡崎慎司氏が著者の「鈍足バンザイ!」も愛読し、泥臭いプレーを信条とする。

 昨年は、Jリーグ2クラブの練習に参加。既にJ1の3クラブから条件提示を受けた。目指す選手像は、小さい頃からの憧れで、J1歴代2位の通算168得点を誇る興梠慎三氏。「泥臭いプレーが、結局一番目立つ。きれいにやるサッカーより、そこで勝負していきたい」と言葉に力を込めた。

 ◆本間 凜(ほんま・りん)2004年8月3日、千葉市出身。21歳。4歳から兄の影響でサッカーを始める。20年に関東第一高へ進学。2年時の全国高校選手権は2得点を記録し、チームは4強。23年に国士舘大入学。25年は13得点で得点王、ベストイレブンを受賞。

同8月には、イタリア遠征に臨む全日本大学選抜のメンバーに選出。182センチ、74キロ。右利き。家族構成は父、母、兄。

 ◆大沢 英雄(おおさわ・ひでお)1936年1月22日、北海道函館市出身。国士舘大を卒業後、サッカー部のコーチ、監督を長年務め、多くのプロ選手や指導者を育成。全日本大学サッカー連盟理事長、日本サッカー協会特任理事を歴任。03年に国士舘大学長、09年に学校法人国士舘理事長。19年に旭日中綬章を受章。全日本少年サッカー大会の創設に尽力するなどの功績が認められ、23年に日本サッカー殿堂入り。肺炎のため25年2月16日に89歳で死去。

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