早大野球部の元監督・野村徹さんが亡くなった。89歳。
野村監督に初めてお会いしたのは、1999年の1月初頭だった。前年末まで巨人担当を務め、この年からアマ野球取材班のキャップを命じられた。野村さんも母校の監督になったばかり。東京・西東京市にある合宿所の、新年「寮開き」の日に、ご挨拶にうかがったのだ。
マネジャーに監督室に案内されると「やあ、よく来てくれました。さあ、どうぞどうぞ」と招き入れられ、お節料理と屠蘇をふるまわれた。プロ野球担当時代では考えられないような厚遇に驚きつつ、一通り自己紹介をしてから野球談議に移った。
曰く「最近の選手は食生活が乱れている。いい食事なくして、いいプレーもなし、なんですよ」と、まずは食事改善に取り組むことを宣言。何よりも印象に残っている言葉が「私が現役の頃は(練習場の)安部球場は一球入魂の場所。安部球場を神宮だと思って練習してきた。
当時の早大は93年の秋季リーグ戦を最後に優勝から遠ざかっていた。60年秋の、あの伝説の「早慶6連戦」を正捕手として戦った野村さんが、グラウンドに出て最初に感じたのが「WASEDA」のユニホームを着ているという自覚・責任感が希薄ではないか、ということだった。そこで、前述のような意識改革に取り組み、普段の練習から緊張感、集中力を高めていった。その結果が、同年春季リーグ戦での6年11季ぶりの優勝という形で結実した。開幕から連続無失策試合を続けたと記憶しているが、それも野村さんの意識改革の賜物だろう。こうして成長していったチームの中から、藤井秀悟、鎌田祐哉、和田毅、鳥谷敬、青木宣親、田中浩康らがプロ入りしていった。
一昨年の6月。2001年度の主将だった末定英紀君(高陽東-早大-東京ガス、現早大コーチ)と偶然、再会し、末定君の繋ぎで20数年ぶりに野村さんと電話で話をさせてもらった。前年に体調を崩されたそうで「しんどくてなあ…もう東京に行くのが難しいんだよ」と仰っていた。それだけに、その年の10月2日、教え子であるヤクルト・青木の引退試合に立ち会うため、大阪から神宮球場に来られた野村さんの姿を見て、心血を注ぎ鍛えた教え子に対する愛情の深さを改めて知ると同時に、師弟の涙の抱擁に私も涙をこらえることが出来なかった。(元アマ野球担当・名取 広紀)










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