大谷翔平選手(MLBロサンゼルス・ドジャース)を筆頭に、今季MLBでプレーする日本人選手はマイナー契約含め16名(4月時点)を数える。今でこそ日常の風景となった日本人メジャーリーガーだが、そのパイオニア、野茂英雄さんがMLB公式戦に初登板したのは今からちょうど30年前、1995年5月2日の出来事だった。


この日の野茂さんは勝ち負けこそつかなかったものの、5回無失点、1被安打、7奪三振の好投を見せ、「日本人が大リーグで通用するはずがない」という当時の人々の常識を痛快に打ち破った。

6月に入りMLB初勝利をマークした野茂さんはその後快進撃を続け、7月にはオールスターゲームでも先発。阪神大震災とオウム事件で動揺していた日本の人々に勇気を与えた。東京・新宿のアルタビジョン前で試合に見入る人だかりは登板のたびに増し、“ノモマニア”という流行語も生まれた。

この人気に着目したのが、缶コーヒー『ジャイブ』のリニューアルを控えていたキリンビバレッジだった。1987年に発売された『ジャイブ』は“粗挽きネルドリップ”と連呼するCMで話題を集めたものの、市場シェアでは自販機網で勝る『ジョージア』(日本コカ・コーラ)、そしてダイドー、ポッカ、UCCなどの缶コーヒー製品の後塵を拝していた。矢沢永吉さんのCMで話題となった『BOSS』(サントリー)を意識してか、1993年からは歌手の桑田佳祐さんをCMに起用するも、状況を打開できずにいた。

実は野茂さんはNPBで新人王を獲得した翌年の1991年、サッカー選手の三浦知良選手(当時読売ヴェルディ)、プロゴルファーの川岸良兼選手とともに『ビア吟生(ぎんじょう)「殻やぶり」』(サントリー)のCMに起用されている。

だが、これはあくまでスポーツ界の注目の若手3人のうちのひとりという位置づけ。その後野茂さんはNPBで4年連続最多勝など圧倒的な成績を残すものの、当時は「セ・リーグの次に人気があるのは、パ・リーグではなく(開幕したばかりの)Jリーグ」と揶揄された時代。近鉄バファローズ退団時の経緯もあり、野茂さんの大リーグ挑戦には当初批判的・懐疑的な見方が根強かった。

その空気が変わったのが、5月の初登板だった。
缶コーヒーの需要期である秋冬に向けてブランド刷新を予定していた『ジャイブ』だったからこそ、野茂さんをタイムリーに起用することができた。

キリンビバレッジにとって、自らの体一つで“甘くない”戦いに挑む“大リーガー、NOMO”はうってつけのキャラクターだった。9月から放映されたCM中では野茂さんが「ジャイブ 粗挽き超微糖」を片手に独特の素朴な口調で「甘くないのが、グッドです」と製品特徴をアピールした。

翌1996年には野茂さんのグラフィックをパッケージに大きくあしらった「ジャイブ アメリカンブルー」、通称「野茂缶」も発売された。キャッチコピーは「NOMO 飲む、JIVE」。CMには野茂さんに加えドジャースのトミー・ラソーダ監督(当時)も登場し、スタジアムジャケットや観戦ツアーが当たるキャンペーンも展開された。

1999年、キリンビバレッジは缶コーヒーの新ブランド『FIRE(ファイア)』を発表。『ジャイブ』は11年の歴史に幕を閉じた。一方の野茂さんはその後もMLBのべ8球団を渡り歩いたが、この間にも2003年には俳優の江口洋介さんとともに『アサヒ本生』(アサヒビール)のCMに、2005年には『ジョージア・エスプレッソカフェ』(日本コカ・コーラ)のCMに起用されている。

所属チームが決まっていなかった2007年には再びキリンビバレッジと契約し、『Z7(ジー・セブン)』のCMに出演。このCMでは現役続行への意志を語っていた野茂さんだったが、すでに体は限界を迎えていた。翌2008年、MLBロイヤルズからカットされたのを機に、野茂さんは日米通算19年間のプロキャリアを終えた。


「お茶の常識、すてましょう。」この春から放映されている伊藤園『お~いお茶』のCMで大谷翔平選手はこう語る。野茂さんの初登板から30年。私たちは現在、MLBで投手としても活躍しながら、本塁打王、打点王、MVPを獲得する日本人選手を目の当たりにしている。

“常識”は、気づいたときには大きく変わっているものだ。キャリアの最後まで挑戦を続けた野茂さんの姿は、「市場に成長の余地はない」「海外で売れるはずがない」という常識に挑む日本の食品産業にとっても、今一度振り返る価値があるだろう。

【岸田林(きしだ・りん)】
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