広島平和記念公園からほど近い猫屋町(広島県広島市中区)が、いまジワジワと面白くなってきています。その拠点となっているのが、飲食店やギャラリー、オフィス、サウナなどを備えた複合ビル「猫屋町ビルヂング」です。

谷尻誠さん(左)と吉田愛さん(右)(提供:SUPPOSE DESIGN OFFICE)
”まちを設計する”一手としての場所選び
谷尻さんと吉田さんの出身地である広島と、東京の2拠点でオフィスを構え事業を行ってきたサポーズ。広島のオフィスを移転するにあたって、当初はホテルの中にあるオフィス、という構想を検討していたといいます。
「東京と広島に拠点があり、広島のローカルな魅力も東京の面白さもどちらもわかっていることは、私たちの特徴でもあります。クライアントや仕事でお付き合いのある方に、広島に来ていただくことがたびたびあり、みなさん広島を楽しんで、良いところだねと言ってくださる状況がありました。広島の良さに触れることのできる場所に、私たちが思う東京の面白さをもちこむことで、それぞれを交換し合う関係性をつくれると思ったんです」(吉田さん)
ホテルに改装するために取得したのは、谷尻さんや吉田さんも近隣に住んでいたことがある、猫屋町に建つ築50年のビルでした。シンプルな箱型の建物でありながら、外壁から突き出た窓や所どころ見られる角丸の形状など、味わいのあるビルです。

リノベーション後の猫屋町ビルヂング外観。外装のタイルを剥がし、経年変化の楽しめるコールテン鋼塗装とした(写真:長谷川健太)

1階から2階へ上がる階段。特徴的な曲線形状も、当初のビルそのままのかたち(写真:長谷川健太)
「広島で出会ったたくさんの方々に支えられていまの私たちがあるので、広島に恩返しをしたいという思いはありました。それであればいま一番栄えている中心部ではなく、自分たちが面白さを感じる場所に文化を発信する拠点をつくることで、周囲に波及していく一石を投じることになるのではないかと考えました」(吉田さん)
オフィスのほか、住宅や町工場など雑多な建物が建ち並ぶなかに、店主のこだわりが見える店舗も点在していました。平和記念公園から川を渡って猫屋町へ向かうルートも、国内外からの宿泊客に体験してほしい、お二人にとってお気に入りの道だったといいます。
「新しいものをつくることで、そのまちが古くから受け継いできた魅力に気づいてもらえるような更新の仕方が、まちづくりをする上で重要なのではないかと思います。その意味でも新築ではなく、今ある建物をリノベーションしようということは決めていました」(吉田さん)
しかし、新型コロナウイルス感染症の流行を受けてホテルの計画は中断を余儀なくされます。ホテルは難しい、けれど単なるオフィスビルにしてしまうのは避けたい。
考えた末、お二人がたどり着いた答えは「町を設計する」という考え方だったといいます。
「どうすれば町がもっと面白くなっていくか、それをスタッフと一緒に考えていく場所にすることで、ライフワークとしても取り組める活動の火種になると思ったんです」(吉田さん)
その結果、1階に飲食店、2階にギャラリー、3階にオフィス、5階にサウナがそれぞれ設けられた複合ビルに生まれ変わりました。4階のフリースペースは、イベントなどに利用しながら、これから活用の仕方を検討していく場所として残しているそうです。

1階部分の外観。出窓に嵌められた大きな窓を開けると、内と外がつながる(写真:長谷川健太)

4階フリースペース。既存ビルの内装を撤去しただけの、がらんどうの空間(写真:長谷川健太)

谷尻さんが以前からさまざまなゲストを招いて行ってきたトークイベント「THINK」が4階で行われた際の様子(提供:SUPPOSE DESIGN OFFICE)
建築設計のプロではなく、場づくりのプロへ。サポーズが考える建築家像
猫屋町ビルヂングの1階には3つの店舗が同居し、中央にあるテーブル席では、どのお店のメニューも注文できる、フードコートのようなスタイルになっています。
「自分たちで設計した空間を自分たちだけで使うより、いろんな人に使ってもらって盛り上げてもらえる仕組みを考えました」(吉田さん)

3店舗で共有するテーブル席。左手側は、東京虎ノ門ヒルズで開業したとんかつ専門店「つかんと」のカウンター席(写真:長谷川健太)
また東京事務所にも併設している”社員+社会の食堂”がコンセプトのオカン料理店「社食堂」と、クラフトアイスクリームの専門店「yacone」はサポーズが運営しています。
「東京事務所で『社食堂』をはじめたのは、社員の食生活を改善したいというのがひとつ。もうひとつは、お店のような建築を設計するには、自分たちで運営する経験が必要だろうという思いが動機としてありました」(谷尻さん)

猫屋町ビルヂングの「社食堂」のメニューの一例(提供:SUPPOSE DESIGN OFFICE)

yaconeのメニュー一例(提供:SUPPOSE DESIGN OFFICE)
本来の建築設計の仕事は、建物が完成したらクライアントに引き渡すまでで完了します。しかしそれだけでは建物を日々使う人たちが、どのような課題に直面しているのかを知ることができないといいます。
「小さな規模であっても自分たちのお店をもつことで、町を知る努力や人を呼び込むための工夫など、運営していくためにいろいろなことを学ぶ姿勢が求められます。結果として、実際の現場での具体的なシーンをイメージして設計ができるようになると考えたんです」(谷尻さん)

東京、代々木上原のサポーズ事務所に併設された社食堂。テーブル席は、混み合う時間帯以外は事務所の打ち合わせスペースとして使われている(写真:Tetsuya Ito)

代々木上原の社食堂厨房。厨房の奥に、スタッフの個人デスクが並んでいる(写真:Tetsuya Ito)
「いろんなことに気づくことのできる人になってほしいと、スタッフには話しています。たとえば社食堂では、設計のスタッフと調理のスタッフはそれぞれ雇ってはいるのですが、調理のスタッフが忙しくしているときには設計のスタッフにもヘルプで入ってほしい。そうした気遣いは、デザインにも必ず生きていきます。
かつては物から事へ、と言われていましたが、そういうことではなく物も事も、全部良くないとダメだろうと。建物の設計だけでなく、その背景にある文化も育てていく必要があると思っています。アイスクリームも名産である柑橘系のフレーバーを取り入れるなど広島の美味しいものを発信する場所になるように考えています。

広島の名産品も取り入れながら、季節ごとのメニュー開発を行っている(提供:SUPPOSE DESIGN OFFICE)
1階から階段を上がって気軽に立ち寄ることのできるギャラリースペースは、作品展示以外にもさまざまな用途で使われはじめているといいます。なかには結婚式をここで行ったという事例も。吉田さんの言う、猫屋町ビルヂングをいろんな人が使って盛り上げる状況がすでに起こっています。

2階ギャラリー。2024年に行われたイベント、ミモザ祭の様子(提供:SUPPOSE DESIGN OFFICE)

2階ギャラリーを使った結婚式の様子(提供:SUPPOSE DESIGN OFFICE)
3階のオフィスは、区切りのないオープンな空間。重要な会議などもなるべくオープンな場で行うのが良いという考えでつくられています。現在空いている席をシェアオフィスとして貸し出すことを考えており、「なにか一緒に面白い取り組みを仕掛けていけそうな人に使ってほしい」とのこと。
いろいろな使い方が試されている猫屋町ビルヂングに、どのような化学反応が生まれるのか楽しみです。

3階オフィススペース。窓際に個人のスペース、中央に打ち合わせスペースが配置されている(写真:長谷川健太)
学びながら実践する。まちづくりに取り組む姿勢
5階に設けられたサウナは、無類のサウナ好きでもある谷尻さんのこだわりが詰まったデザイン。ビルの中にありながら、サウナ室と対面する坪庭や休憩スペースは天井が空に抜けており、開放感のある空間になっています。

坪庭と向かい合うサウナ室(写真:長谷川健太)

外気浴ができる休憩スペース。中央の天窓が空に抜け、外気が流れ込む(写真:長谷川健太)
事前登録式で外部のお客さんも利用できるほか、事務所のメンバーも活用しているそう。
「仕事終わりやリフレッシュのために僕やスタッフが使うだけでなく、打ち合わせで事務所に来てくれた人と一緒に入ることもあります。もちろん食事を一緒にすることも。距離がぐっと縮まることで、重要な相談事がスムーズに進むといった効果も生まれています」(谷尻さん)
「せっかくなら自分たちがやりたいと思えることをやろうと。谷尻はサウナ、私はクラフトアイスクリーム店をそれぞれプロデュースしています。サウナの後に屋上でアイスが食べられたらいいよねとか、具体的なシーンを想像してメニュー開発なども考えています」(吉田さん)

今後、バーとしての利用を考えているという屋上。屋上が開放されているビルは広島では珍しいという(写真:長谷川健太)
サウナは完成後も、使いながらアップデートが図られています。メガネ置きやタオルの設置場所といった細かな部分の改良や、仕上げ材をより水はけの良いものに変更するなど、実際に日々使うからこそ気がつくことのできる点が多々あるのだそう。猫屋町ビルヂングが完成して以降、サウナの設計依頼も増えているといいます。
「常々スタッフには、良き生活者が良き設計者だと伝えています。
2025年3月には猫屋町ビルヂングから徒歩5分の場所に、サポーズが設計した集合住宅が竣工しました。一部の部屋はホテルとしてつくられており、宿泊者向けのモーニングを猫屋町ビルヂングで提供することも考えているそう。
「かつてはまちに生活の機能が点在するなかで暮らしていたのが、現在は全てがパーソナルな空間で完結するようになっている。それが少しでもまちに滲み出ていくと、面白くなっていくのではないか」と語る谷尻さん。

2025年5月24日(土)から、SUPPOSE DESIGN OFFICE と20年来の親交があり、さまざまなプロジェクトを共にしてきた広島の特注金物の鉄工所カモクラフトのエキシビション「”金属” KAMO CRAFTの仕事。」を開催
猫屋町ビルヂングのオープン前から、「サポーズが手掛ける複合施設ができるのであれば」と、近隣にお店を出店した方もいるのだとか。インバウンド需要の影響もあってか、近隣に新しい店舗が増え、にぎやかになってきているそうです。「いずれ町ぐるみでも面白いことを仕掛けていきたい」というお二人のビジョンが実現するのも、そう遠くない未来かもしれません。
サポーズが挑戦する町の設計。猫屋町にどのような変化が生まれていくのか、楽しみですね。
●取材協力
猫屋町ビルヂング
SUPPOSE DESIGN OFFICE
※Exhibition 「”金属” KAMO CRAFTの仕事。」2025年5月24日(土)~
SUPPOSE DESIGN OFFICE とも20年来の親交がありさまざまなプロジェクトを共にしてきた広島の特注金物の鉄工所カモクラフトのエキシビション。
吉田さん「私たちは空間づくりというクリエイションにおいて”金属”という素材に着目し多様なカタチで設計に取り入れてきました。
企画
column gallery
etc inc.
SUPPOSE DESIGN OFFICE