9月19日は「世界海賊口調日」。この記念日は、1日だけ世界中の人々が海賊のマネをして「アイアイサー」と返事をし「アホイ!」と挨拶を交わすよう呼びかけている。

オレゴン州の二人の男が冗談混じりに始めた海賊っぽくしゃべる遊びに端を発し、現在はフェイスブックを中心にちょっとしたブームへと発展しつつある。

英語の正しいニュアンスと海賊言葉の違いは、英語に疎い日本人には分かりづらい。しかし日本にだって海賊が活躍した時代があった。もしかしたら、海賊口調の日が例えばエイプリルフールのように日本で広まるかもしれない。そんな日のために、日本の海賊がどんな人々だったのか、愛媛県の「村上水軍博物館」のスタッフの方にお話を聞いてみた。

「14世紀から16世紀にかけて、瀬戸内海に『村上水軍』という海賊衆と呼ばれる集団がいました。海賊というと悪者というニュアンスで捉えられてしまうかも知れませんが、現在の愛媛県に当たる伊予を治めていた河野氏に仕える、傭兵のような人たちだったようです。傭兵として合戦に参戦するだけではなく、中国やベトナムの交易品を扱ったり海路の水先案内や海上警護をしたり、当時の海上経済を支えていたことが分かっています」

交易品とはいえ、ベトナムほど遠くの品物を扱うとは。日本の海賊も、なかなかロマンに溢れた集団だったようである。そんな彼らの暮らしぶりとは?

「周囲1㎞に満たない能島に村上水軍の基地がありました。島全体が居城として機能していたらしく、本丸や二の丸だけではなく、土器や柱など人が住んでいた痕跡が発見されています。能島は10ノットのスピードで流れる激しい潮流に囲まれ、しかも1日に4回も流れが変わります。
このため近づくのが難しく、当時の遺跡も良好な状態で残っています」

10ノットは時速約18㎞に相当する。そんな海域で自由に船を操る男たちは、さぞタフな連中だったことだろう。

ところで、なぜこの強者の集団はいなくなってしまったのだろう。

「豊臣秀吉の時代に海賊停止令が出たため、戦国時代の終わりとともに全国に散っていったのです。今では海賊の末裔が全国におり、子孫による会合も開かれています」

つまり現代の日本にも、海賊を先祖に持つ人々がいるということだ。いまも海賊の末裔の会合があるなんて、まさに歴史のロマン!今日だけは”海賊王”の気分で過ごしてみてもいいかも!?

元画像url http://jrnl-parts.s3.amazonaws.com/journal/wp/wp-content/uploads/2013/09/ff5fbcdcb0d6cc81e9f75f4c5e802829.jpg
編集部おすすめ