先日、カルディで買い物をしていたら、ちょっと“変わったモノ”を見つけました。それは、「うなぎのいらないうな丼のたれ」(146円)という商品。
しかし、今回は「うな丼」です。主役の蒲焼を「いらない」と断言し、タレだけ。そして「うな丼を食べている気分になれる」とまで謳っている。最近では、うな丼は専門店に行かなくても食べられます。デパート、スーパー、コンビニ、はたまた、チェーン系牛丼屋さんにもリーズナブルなうな丼があります。そんな今、老舗鰻屋のおっちゃんは、ただでさえイラついているのです。
ふとある光景が思い浮かびゾッとしました。私の知っている老舗鰻屋のご主人が見たら、たちまち目が血走り、鬼の形相で「これ作ったやつ、出て来い!」と怒鳴りちらすに違いありません。

しかし、気になりますね。なぜ、全国の鰻屋を敵に回してまでこんな商品を作ったのか。そもそも飽食時代の今、タレだけでうな丼気分を味わうほど切羽詰まっていない気がしますし……。しかしふと、これを食べる意義を思いついたんです。
最近、地上波のテレビドラマの本編終了後、各社配信サービスで「スピンオフドラマ」というものを放映するのをよく目にします。主人公以外の脇役にスポットを当て、別視点からドラマを作り、主人公は一切登場しないけど、なかなか面白い。下手すると本編よりも視聴率が高いという現象まで起きているアレです。
このタレも、それを狙っているのかもしれません。
うな丼スピンオフをいざ実食

というわけで、「うなぎのいらないうな丼のたれ」を買うことにしました。そそくさと家に帰り、「うなぎ抜きうな丼」を食べるために、まずは米を炊くことに。ご飯はうな丼の最も重要な相手役。鰻屋のように、やや硬めに炊くのがタレを受け止める基本中の基本でしょう。そして、もう1つ大事な脇役は肝吸いですが、肝心のうなぎがないので肝があるわけありません。これは諦めるとして、もう1つの名バイプレーヤー「お新香」を、抜かりなくコンビニで買ってきました。
さあ、炊き上がったご飯をせめて重厚感あふれるお重に入れ、いよいよ「うなぎのいらないうな丼のたれ」をかけてみます。

タレをかけながら、「なぜ私はこんなケチくさいことをしているのだろう」という負の感情を抱いてはいけません。あくまで自分は「うな丼スピンオフ」を楽しむ余裕のある人間である、と言い聞かせます。
そして一口。ご飯と甘さ控えめのすっきりしたタレ。そこにうなぎはいません。のっていたという形跡もない。ひたすらご飯とタレ。しかし、味覚をよく研ぎ澄ませば、“うなぎの旨みらしきもの”がうっすら感じ取れるのは事実。でもそれはやはりほんのわずか。幻のように儚いのです。例えると、うなぎの「う」の上のチョンにも満たない程度。
ここでハタとわかりました。最も大事なものがこの「うな丼スピンオフ」には欠けているんです。それはズバリ、うなぎの“脂感”です。

そこで思いつきました。ここに目玉焼きをのっけてみたらどうか。お気づきの方も多いと思いますが、目玉焼きはたっぷりの油で“揚げ焼き”くらいにしてのせます。そもそも「目玉焼きのっけご飯」は、醤油をかけただけでも十分美味しいのですから、このうなぎの甘辛タレを合わせたら、間違いなく美味しいはず。

というわけで、「うな丼スピンオフ」は、目玉焼きという新しい登場人物によって、非常に楽しく美味しくいただくことができました。とろりとした黄身とうなぎのタレ、かなり合います。
とはいえ、「そこまでして、このタレを買うのか?」という声が聞こえてきそうです。ですよね。やっぱり、うな丼の場合、うなぎという主役がいた方がいい。
(撮影・文◎土原亜子)