『パンサー向井の#ふらっと』はTBSラジオで毎週月~木曜・朝8時30分から放送中!9月30日(火)は40歳を目前にした(2025年9月時点)パーソナリティの向井慧さんに、夢や目標に向かって挑戦している“チャレンジさん”から刺激を受けてもらう特別企画「チャレンジさん、いらっしゃい」を放送しました。

今回のゲストは、日本郵船の航海士・竹俣多聞さん(28歳※9月時点)です。

爽やかな制服姿で登場した竹又さんが今まさに挑戦していること、それは「大型外航貨物船の船長を目指す」こと。

中学3年生で船乗りの道を志し、世界中の海を舞台に活躍する竹俣さん。その仕事内容や船上での生活、そして夢の原動力となっている憧れの船長像について伺いました。

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腕の線は階級の証。夢は全長300m超の船を率いる船長に

竹俣さんが着用している制服の腕には2本の線が入っています。これは「二等航海士」の印で、階級が上がると線の数が増えていき、最高は船長などを示す4本になるそうです。

そんな竹俣さんが現在目指しているのが、大型外航貨物船の船長です。大型外航貨物船とは、液化天然ガス(LNG)や自動車、コンテナなど、私たちの生活に欠かせないさまざまな物資を運び、全長が300mを超えることもある巨大な船です。

船長になるためには、まず国家資格の試験に合格する必要があります。筆記試験だけでなく、一等航海士として一定期間船に乗った「乗船経験」を積み、さらに面接試験もクリアしなければなりません。20代で外航船の船長になる人はまずいないという、険しい道のりです。

竹俣さんは現在、二等航海士。

次は一等航海士、そして船長へとステップアップしていくことになります。

きっかけは中学時代の体験航海。1カ月かけてハワイへ

竹又さんが船乗りになろうと決めたのは、中学3年生の時。体験航海で船の面白さに魅了されたのがきっかけでした。その後、船の航海士を養成する高等専門学校へ進学します。

学校では専門的な授業のほか、練習船を使った実習も行われます。最も遠くまで行った実習は、東京からハワイまでの航海。全国5つの高専から学生が集まり、帆を張って風の力で進む大きな帆船で、実に1ヶ月かけてハワイを目指したといいます。

「当時学生なので、そういった長い航海に出るのは初めてで。なかなか厳しかったですね」

慣れない船の揺れに、実習中は常にビニール袋が手放せないほどの船酔いに悩まされたそうです。しかし、その厳しい経験が、今の竹俣さんの礎となっています。


28歳の航海士が目指す船長の姿とは

1回の航海は4~6カ月!気になる船上での生活

高等専門学校を20歳で卒業し、日本郵船に入社した竹俣さん。これまで三等航海士として5隻、二等航海士として2隻の船に乗務してきました。

直近では2年前にLNG運搬船に乗り、アメリカ東海岸からヨーロッパや日本へ液化天然ガスを運んでいました。

1回の航海期間は、およそ4カ月から6カ月。その間、陸に降りることはほとんどありません。二等航海士としての1日のスケジュールは、朝11時頃に起床し、12時から16時まで船の操縦室で航海当直。その後、レーダーや海図などのメンテナンス作業を行い、18時に一度仕事が終わります。夕食と仮眠をとり、深夜0時から再び朝4時まで夜の航海当直に就くという、昼夜2回の勤務サイクルです。

長期間にわたる船上生活では、曜日感覚を保つためのユニークな習慣もあります。

「日本郵船では、毎週日曜日にステーキが出ます」

まさに海軍カレーならぬ”郵船ステーキ”!日曜日を認識する目印になっているそうです。

また、かつては陸との連絡が難しかった船上ですが、現在は通信環境が発達し、テレビ電話で家族と話したり、ラジオを聴いたりすることも可能になりました。

ジブラルタル海峡で衝突の危機!冷静な判断で回避

航海士の仕事は、常に危険と隣り合わせです。竹俣さんは、これまでで最もヒヤリとした経験として、ヨーロッパとアフリカの間にあるジブラルタル海峡での出来事を挙げました。

交通量の多い海峡を深夜2時頃に航行していた時、左側から来た小型船が目の前で突然停止。周囲を他の船に囲まれ、左右に避けることもできない絶体絶命の状況に陥りました。

「もうめちゃめちゃ焦ったんですけど、その時は右隣にいた船に無線で連絡を取って、ちょっとスペースを空けてくれと頼んで、なんとか避けました」

常に気象情報を確認し、台風などの悪天候を避ける航路を計画するのはもちろん、予期せぬ事態にも冷静に対処する判断力が求められる厳しい仕事です。

原動力は「かっこいい先輩船長たちへの憧れ」

そんな竹俣さんが船長を目指す最大の原動力は、「かっこいい先輩船長たちへの憧れです」と語ります。

特に印象に残っているのが、初めて三等航海士として乗船した時のインド人の船長でした。その船長は人柄が素晴らしく、乗組員全員から厚い信頼を寄せられていたといいます。

「そのインド人船長が口癖のように言っていたのが、『僕の仕事はみんなが働きやすい環境を常に作っておくことだ』と。そういった心の持ちようとか、そういったところはそのインド人船長から学びました」

国籍を問わず、これまで出会ってきた素晴らしい船長たちの背中を追いかけ、理想の船長像を築き上げています。

現在は陸上でのオフィス勤務期間中という竹俣さん。あと1~2年後には再び船に戻り、一等航海士、そして船長を目指して経験を積んでいく予定です。

大きな夢に向かって着実に航路を進む竹俣さんの挑戦に、パーソナリティの向井さんも「すごく刺激になりました」と感銘を受けた様子でした。次にスタジオに来てくれる時には、制服の線の数が増えていることを楽しみにしています。

(TBSラジオ『パンサー向井の#ふらっと』より抜粋)

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