川久保賜紀さん(Part 2)
1979年ロサンゼルス生まれのヴァイオリニスト。2001年にパブロ・サラサーテ国際バイオリンコンクールで優勝し、2002年にチャイコフスキー国際音楽コンクール・バイオリン部門で最高位を受賞。

クラシックから現代音楽まで幅広いレパートリーを手掛け、国内外でソリストとして演奏する他、近年はコンサートプロデューサーとしても活躍中です。

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出水:数々のオーケストラと共演していますが、思い出深い経験はありますか?

川久保:1回1回違うんですけど、「Star Wars」とか「インディー・ジョーンズ」とか「シンドラーのリスト」とかの音楽を書いた作曲家のジョン・ウィリアムスさんと何回か共演したことがありまして、サンフランシスコでチャイコフスキーの協奏曲を一緒に演奏させていただいたり。本当に優しい方で、すごいマインドを持っている方なのに、中身はすごく繊細だなっていう印象がありました。

出水:日本では1997年、東京国際フォーラムのこけら落し公演で、チョン・ミョンフン指揮のアジアフィルハーモニー管弦楽団のソリストとしてデビューしています。日本での初演奏は?

川久保:16歳の時で・・・年齢がばれちゃいますけど(笑)その時もチャイコスキーの協奏曲を演奏して。すごく心が豊かな方で、「教えてください」って言ったら「Just feel the music!」と言って。感じたいんですけど、そんな余裕が出るまで大人にならないといけないなって。

JK:音楽家でもあるけど、食文化にものすごく詳しいんです。本出してますもんね。自分が作った料理。私ももらいましたよ。

川久保:そうなんですね、知らなかったです。

JK:オーケストラで教えるとき、オリーブオイルを持ってきて「このように」って言うの。「滑らかに」っていう表現を。へぇ~、そうやって教えるんだ、さすが料理家だなあ、と。

川久保:面白いですね~! でも確かに、表現するときに一番わかりやすいかもしれないですね。「1粒の米だけ」で全然違う、とか。1つのちょっとした力で全然変わる。何かに比べてもらうと表現しやすいということかもしれないですね。

出水: 2002年には世界三大音楽コンクールの1つ、プロとして世界に出るための最重要ステップともいわれる「チャイコフスキー国際音楽コンクール」で最高位を受賞されました。どれくらいの期間で準備して、どんな心境だったでしょう?

川久保:コンクールの1つのチャレンジは、曲目がとても多いのが一番なんですね。リサイタルは2時間プログラムで、ソナタとか小品とかなんですけど、コンクールは1次、2次、ファイナルの中で何曲も準備しないといけない。

JK:同じものは弾けないですよね。審査員はいっぱいいるんですか?

川久保:6~7人くらい。

コンクールによって多分違うと思うんですけど、点数を変えて、平均点数が出ると思うんですけど、我々はその点数を見れないので、通ったか通らなかったかだけ・・・緊張しますよね。でもやっぱりコンクールって若い時の挑戦だなって思います。メンタルの強さとか、体力とか。

JK:絶対重要ですよね、長いですもん。ファイナルまでいくのに時間かかるじゃないですか。

川久保:もし最後までいるとしたら2~3週間くらい。あとは人数。どれくらいいるかによって何日間が決まります。1次が終わってから2次に行くので、終わらないとわからないけど、練習する(^^;)

LAから日本へ ヴァイオリニスト川久保賜紀

JK:音楽家を目指す人に聞いてもらいたいわね。マサカは? いっぱいあるかもしれないけど。

川久保:やっぱり弓が一番マサカでした(笑)

JK:マサカどころかショックよね! そんな人あまりいない?いないですよ!

川久保:でもマサカって言葉いいですね。まさかここでこの人と出会って、私の人生は変わったんだっていう。

最初の先生がいたからこそニューヨークの先生も行けましたし、その人がいたからこそドイツの生活があった。

JK:1つ間違えたら、今がないですね。

川久保:自分1人だったら絶対そういうのもないですし、そこがあったからこそ日本で今ベースとして働いてる。

JK:でもまさか日本にいるとは思わなかったでしょ? もともとLAですもんね。

川久保:思わなかったです。仕事で日本にはかなり来させていただいてたんですけど、1週間とか2週間、マックス1ヶ月ぐらいのタイムラインだったんですけど、ベースとして日本に住むっていうのは本当に思ってなかった。

JK:ご両親はどうしてる?

川久保:両親は今LAにいます。親戚、おばあさん、いとことは日本にいるんですけど、まさか1人で日本にいるとは。5~6年経つんですけど、やっと日本に住んでるんだっていう実感がわいてきましたね。

出水:今でも「アメリカに戻りたいかも」みたいな気持ちになったりするんですか?

川久保:やっぱり生まれた国、カルチャーっていうところはずっとあるので、そこは永遠にあると思います。でも私の両親がすごく日本人日本人なので、私の中にもそういうのがある感じはするので。

JK:ご両親はどうしてLAにずっといるんですか?

川久保:歯科技工士なんですけど、最初はオレゴンに2年間くらいいたのかな? LAに知り合いの歯医者さんがいたので移りました。

そこで私が生まれたんですけど、日本語はたどたどしい(^^;)

出水:2018年より桐朋学園大学院大学の教授に就任して、後進の指導にも当たっているそうですね。

川久保:そうなんですよ。それも日本に住む1つの大きい理由になったんですけど、富山の大学院は人数が少ない学校で、専門楽器だけでなく全楽器を含めていろんなカリキュラムをやる学校なんです。ピアノの方が多くて、室内楽とかコンツェルトを弾く指導がメインなんですけど、弦楽器だけではなく、ピアノの弾き方で何が必要かとか、ペダルの使い方とか、やったことない曲を持ってきたり。指導することで自分の勉強になる、って言うじゃないですか。まさにそうだなって本当に思ってまして、自分の音楽、自分のアプローチも変わってきた感じがするんです。

JK:そういう才能のある生徒さんを見つけるというか、育てるというか、そういう感じですか?

川久保:そうですね、レベルはそれぞれ違うんですけど、コンクールに行きたい方もいますし、オケをメインに目指している人たちもいますし、すごく面白いですね。音楽の道っていっぱいあるんですけど、行くためには・・・っていうのもあるじゃないですか。いろんなことできるpossibilityがすごいあるなって思いますね。

JK:もう12月、年末になるんですけど、これからどうですか? この1年ふりかえってみて?

川久保:なんかいろいろありつつ、すぐ終わったっていう感じがします(笑) 今年一番印象に残ったことは、「アルゲリッジ・フェス」っていうフェスティバルで、私の憧れのマルタ・アルゲリッジというピアニストと、チェロのミシャ・マイスキーっていう方と共演できたのがすごくハイライトでした。

出水:それは先方からオファーが来たんですか?

川久保:アルゲリッジ・フェスの方からお話が来まして、10年前くらいに1度やらせていただいたんですけど、いつまたできるかなぁ?って思ってたら、またすぐに話が来まして。今年は25周年だったので、京都・東京・別府というツアーだったんですけど。

出水:憧れの方と共演できるとモチベーション上がりますよね! 来年も頑張ろうって。

川久保:来年は大阪とか地方が多いんですけど、来年もアルゲリッジ・フェスで共演できますので(^^)

JK:頑張ってください! これからのご活躍も応援してます!

LAから日本へ ヴァイオリニスト川久保賜紀

TBSラジオ『コシノジュンコ MASACA』より抜粋)

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