大嶽親方(Part 2)
1983年、名古屋市出身。大相撲・片男波部屋から玉飛鳥として1998年の三月場所で初土俵入りを果たし、2005年七月場所で入幕。

幕内力士として活躍した後、2016年の引退後は片男波部屋付きで後進の指導に当たり、今年9月に年寄名跡「大嶽」を就名して大嶽部屋を継承しました。

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出水:生まれた時から大きかったんですか?

大嶽:3500gぐらい。そんな特別大きくはなかったでしょうか。

JK:私のが大きいわ(笑)3900。「あなたは不幸者だって言われたわ。ふつうは小さく生んで大きく育つのにって。

出水:ジュンコさんは存在そのものがビッグになりましたから(^^) 大嶽親方は小さい頃どのように過ごしていたんでしょう?

大嶽:兄弟とすごく歳が離れてまして、4人兄弟で自分が一番末っ子なんです。女、女、男、男で、一番近くて10歳。一番上とは14歳離れて。4人兄弟ですけど1人っ子みたいな感じで、みんなに可愛がってもらっていました。

JK:うわあ、じゃあもうアイドルですね、家の中では。でもお相撲さんになるなんて。

大嶽:兄が力士だったんですよ。ただ全然強くなかったんです。本当に序二段までしか行かなかったんですよ。力士でなかなか満足いかない兄に見兼ねた父が、自分に相撲を習わせていったというところからスタートですね。それで小学校4年生から道場に通うように。

JK:親の意地というか、お父様がお好きだったんですね。

出水:10歳でいきなり「相撲の世界でやりなさい」ってお父様に背中を押されて、結構面食らうと思うんですけど?

大嶽:辞めたかったですね(^^;) 何も聞かされず無理やり稽古場に連れて行かれて、まわしつけさせられて稽古して。相撲が好きだって思ったのは、引退してからですね。

JK:えっ、そうですか! 夢中で何か分かんないけど一生懸命やってた?

大嶽:試合で勝つ喜びっていうのは知ってたんですけども、やっぱり稽古は本当に厳しかったので・・・だから楽しい、好きだなってなかなか思えなかったです、正直。ただ引退して相撲を見た時に「相撲を取りたい」って思ったんですよ。もう自分は相撲を取れないじゃないですか。その時に「本当は相撲を好きだったんだな」って。

現役中は自分で認めてなかったのかなって思いました。

JK:毎日厳しい、辛いことばっかりだから。

大嶽:稽古すること、相撲を取ることが仕事、っていうところが、なかなか好きだと自分自身認めなかったのかなって。変な意地じゃないですけども。

出水:当時、憧れていた力士の方は?

大嶽:元大関の魁皇。今の浅香山親方ですね。たまたま小学生の頃、名古屋場所の時に公園で偶然お会いしたんですよ。公園で四股を踏んでたんですけど、声をかけてくれて。戦闘竜関と2人でいて、魁皇関もまだ十両上がりたてぐらいの時で、戦闘竜関ものちに幕内に上がるんですけど、この2人が「四股を踏んでるの?」みたいに声をかけてくれて。しかも戦闘竜関がTシャツを脱いで胸出ししてくれたんですよ! 公園でですよ! それがすごいうれしくて、そこから好きになりました。

JK:いい出会いですね! 子どもの頃の経験って一生の始まりだから。

大嶽:入門した後も戦闘竜関が覚えててくださって、魁皇関のところに連れてってくれて挨拶したら、魁皇関も覚えててくださった。

引退して初めて相撲を好きになりました 大相撲・大嶽親方

出水:中学生横綱にもなったことがあるそうですが、当時はどれくらいの体格だったんですか?

大嶽:今とそんな変わらないくらいでした。180cm。縦はそこまで止まったんですけど、体重は120㎏くらいあった。今は130㎏ですけど、入門してのマックスは160㎏なので。

JK:お家は大変ですね、すごい食べるから。

大嶽:ははは(笑)子どものころは好き嫌いばっかりして、野菜は全然食べないし。入門して初めてちゃんこ鍋を食べた時に、すごい感動したんですよ。こんなおいしいものをお相撲さんは毎日食べれるのか!と。でも3ヶ月したらもう鍋を見たくない(笑)

JK:ずっとちゃんこですもんね。すき焼きとかやらないんですか?

大嶽:やるんですけど、やっぱり鍋じゃないですか。やっぱり一番手っ取り早く栄養が摂りやすい。

出水:その後玉飛鳥として1998年三月場所で初土俵、2004年十月場所で十両に昇進。

そして2005年には七月場所で新入幕をしました。駆け上がっていく当時の気持ちは?

大嶽:正直、調子に乗ってましたね(^^;)そんな特別早いわけじゃないんですけど、21で十両に上がって、22で新入幕。「期待の若手」って言われて、ちょっと調子に乗った部分はあったんですね。で、幕内3場所目で初めて大怪我するんですよ、骨折して。自分自身も腐りそうになって、番付も幕下に落ちて、やっぱり離れていく人は離れていく。でもそんな時でも「また絶対強くなれるよ」って応援してくれる方が周りにいてくれたので、そこからは「そういう人たちのおかげ」という思いを持てました。そこから本当に強くなれた気がします。

JK:一旦落ちて、そこから這い上がるという感じですね。親方、これマサカ?!っていうご経験は?

大嶽:本当にマサカは、大嶽部屋を継承するってなったことです。1年前の自分では考えられなかった。

JK:自分のことは分かってても、部屋を持つって違いますもんね。経営ですもんね。

育てなきゃいけない。立場が逆になっちゃうから。

大嶽:全然変わりますね。若い力士には言えないですけど、自分自身も師匠として成長していかないと。みんなから「大変でしょ、大変でしょ」って言われるんです。正直大変なんですよ、やることいっぱいあるし、すごい責任もあるし。でも「そうなんです、大変なんですよ」って言ってると自分自身が辛くなると思って。たぶん、師匠になって大変なのは当たり前なんだと。そこが普通なんだと。だから自分が苦しくても、きつくても、「大変でしょ」って言われたら「楽しくやらせてもらってます」って言おうと思って。

JK:笑顔が重要ですね!

大嶽:楽しいこともたくさんあるんですよ、力士たちの頑張りとか見るのは。稽古でもそうですし、本場所も、師匠になって弟子たちの相撲を見ると、やっぱり全然今までとは見方も変わってきます。

引退して初めて相撲を好きになりました 大相撲・大嶽親方

出水:今年も残すところあとわずかですが、部屋を継がれたりと大きな決断があった1年、どんなふうに振り返りますか?

大嶽:自分の中ではすごく長い1年だったなって。大嶽部屋を継承する話も今年の5月ごろにお話をいただいたので、そこからまだ半年ぐらいしか経ってないんですけども、今年の1年はなんか本当に長いなって。

JK:緊張感とか責任感とか、そういうこと?

大嶽:そうですね。東京はもともとの大嶽部屋の場所でやらせていただいてるんですけども、大阪、名古屋、九州と地方場所は全部場所が新しく変わることになりまして・・・

JK:前の使ったところとかダメなんですか?

大嶽:1回部屋をやめようとされてたので、もう片付けられてしまっていて、同じように使えない状態ですね。力士たちを見るだけではなくて、そういう違うところも考えないといけなかったりする。

JK:師匠になって、初めての苦労や経験ね。

大嶽:来年は力士たちが土俵でもっと輝けるような、そういうところをもっと引き出せるような1年にしていきたい。それはずっと続いていくんですけど、やっぱり力士たちをやっぱり少しでも強くさせてやりたい。あとは新弟子を見つけて、育てて! 皆さんぜひ大嶽部屋をよろしくお願いします!! ジュンコ先生、一緒にやってもらってもいいですか?

JK:全国の高校・中学校、行きましょう!!

出水:プライベートでは3人の男の子のお父さんですが、それぞれ何歳ですか?

大嶽:中学3年生と小学5年生、小学3年生になります。

JK:お相撲はお好きですか?

大嶽:だいぶ好きになりました。3人とも野球やってるんですけど、夕方四股を踏みに来たりとか、力士たちが休憩してる時に一緒にゲームやってもらったりとか。

JK:環境良すぎて甘えちゃうわね(笑) でも血は引いてるから、あまり焦らず。もし入門したいといったら、そういう時は外に出すんですか? 自分のところ育てる?

大嶽:もちろん自分の部屋に入れたいと思います。ただ、やっぱり自分の息子になりますんで、他の弟子たちよりももっと厳しく接しないといけないなと思います。・・・でも全然入るとかなんとも言われてないですけどね(笑)

JK:でも背中を見てるはずですから、見て、憧れてもらって!

TBSラジオ『コシノジュンコ MASACA』より抜粋)

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