TBSラジオ『アフター6ジャンクション』は毎週月-金の18:00~21:00の生放送
ラッパーにしてラジオDJ、そして映画評論もするライムスター宇多丸が、ランダムに最新映画を自腹で鑑賞し、生放送で評論するのが、TBSラジオ「アフター6ジャンクション」の人気コーナー「週刊映画時評ムービーウォッチメン」(金曜18時30分から)。ここではその放送書き起こしをノーカットで掲載いたします。
宇多丸:
さあここからは、いま山本(匠晃)さんから1人、宇宙にポツンと取り残されて……コクピットに取り残された状態でお送りたいと思います(笑)。
私、宇多丸がランダムに決めた最新映画を自腹で鑑賞し評論する週刊映画時評ムービーウォッチメン。今夜はこちらの作品です。『ファースト・マン』。『ラ・ラ・ランド』の監督デイミアン・チャゼルと主演のライアン・ゴズリングが再びコンビを組み、人類初の月面着陸に成功したアポロ11号の船長ニール・アームストロングの戦いと葛藤を描く。
ニール・アームストロングを演じるのはライアン・ゴズリング。アームストロングを支える妻を『蜘蛛の巣を払う女』……とか、テレビシリーズの『ザ・クラウン』で非常に高く評価されたクレア・フォイが演じている。第90回アカデミー賞では4部門にノミネートされている、ということでございます。
ということで、この『ファースト・マン』をもう見たよというリスナーのみなさま、通称<ウォッチメン>からの監視報告(感想)をメールでいただいております。ありがとうございます。
主な褒める意見としては、「デイミアン・チャゼル監督ベスト。さらに今年ベスト級」「月面着陸という、常人には共感しづらい題材ながら、家族や仲間との別れ、仕事や任務への葛藤など普遍的なテーマを盛り込み、誰でも共感しうるドラマに仕上がっている」「音を使った緩急が見事」とかがありました。
あとは否定的な意見としては「物語と上映時間のバランスが悪い」。結構長いんですね。2時間21分ありますね。「デイミアン・チャゼルのこだわりの強さについていけなかった」。まあね。
■「“月面に立つ”という神話的な出来事を、ひとりの人間の話として描いた」(byリスナー)
代表的なところをご紹介しましょう。ラジオネーム「アイス」さん。すごくいっぱい書いてきていただいるので、ちょっと抜粋になりますが。「『ファースト・マン』、エキスポのデカいIMAXで鑑賞してきました」。あ、あれか。レーザーIMAXか。大阪のあそこ。いいな、いいなー! 「結論から言うと、これが2019年の個人的ベスト映画になるかも、というぐらい最高でした。デイミアン・チャゼル監督は音で観客を楽しませるのが非常に上手い監督だなと改めて思い知らされました。
過去作のように音楽を取り扱った作品ではないですが、宇宙や月面での無音状態や、宇宙船に乗った時の船のきしむ音、体感型映画と言われてる所以はこの音の演出が素晴らしいから。それ以上に、この映画の素晴らしいところは人類が初めて月面に立つという神話的な出来事を、あえて1人の人間の話として描いたところです。喪失や失敗、犠牲の上に成り立つ偉業を描く。なるほど、チャゼルらしいです。
娘を失い、月を見上げ、家族には自分の気持ちの全てを打ち明けないまま、娘を求めて死の世界へ。これらの喪失があったからこそ、アームストロングは月へ行けたとか言いたそうな作風、チャゼルらしいです」というようなね。「いろいろあるんですけど、とにかく映像すげえ、音すげえ、アンド、テンション上がる。『ファースト・マン』、最高!」というね、アイスさんのご意見でございました。
一方、ダメだったなという方。「タイガーマス子」さん。「同日に公開した『アクアマン』と『ファースト・マン』の“マン対決”。個人的には『アクアマン』の勝利でした」。
今回の作品はライアン・ゴズリングの演技のおかげでなんとか中盤までは見れましたが、月面着陸のシーンあたりでは強烈な睡魔に襲われて肝心なシーンが薄くなってしまいました。大作扱いでこれはダメ! 一緒に見に行った旦那と一致した意見は、デイミアン・チャゼルはそもそも大作映画よりも小さい作品の方が資質的に合っているのではないか、ということでした。撮り方にこだわりがありすぎて観客を退屈させたら元も子もないでしょう、チャゼル!」という厳しいご意見でございました。
まあ、だから『ファースト・マン』は「大きい映画」なのか?っていうことなんですよね。結局ね。そういうこともありますけどね。
■チャゼル監督の作風と「ニール・アームストロングの伝記」。すげえ合ってる!
はい。ということで私も『ファースト・マン』、公開週にTOHOシネマズ六本木。
ということで、デイミアン・チャゼル4本目の監督作でございます。2作目の出世作『セッション』、2014年作品ですが、こちらは私、2015年4月25日に評論いたしました。そして3作目、こちらも大いに評価されました『ラ・ラ・ランド』は、2017年3月11日。それぞれ土曜日の『ウィークエンド・シャッフル』時代に私、評しました。後者の『ラ・ラ・ランド』の方は、みやーんさんによる公式書き起こしがいまも読めますので、興味がある方はぜひこちらもご参照いただきたいですが。
とにかくその『ラ・ラ・ランド』評の中で、これは当時のリスナーの方のメールでも指摘があったことなんですけど、デイミアン・チャゼル作品の強烈なクセ、少なくとも『セッション』と『ラ・ラ・ランド』に共通する強烈なクセとして、僕はこんなことを言いましたね。「最終的に周囲の世界が消失して、主人公たちだけの世界に入っていく」。その分、それ以外のキャラクターは、ほとんど書き割り的と言っていいくらい、主人公たちの「背景」としてしか描かれなかったりする、なんてことを言ったわけです。
その意味で、デイミアン・チャゼルが、アポロ11号の月面着陸という一大イベントを描く……というよりは、やはりその、月面に立った最初の人間であるニール・アームストロングの伝記を映画化する、というのは、さもありなんと言うか。僕、その話を聞いた時点で、「ああ、題材としてそれ、デイミアン・チャゼルはすげえ合っているな」っていう風にすでに思った、という感じです。
というのも、まずこのニール・アームストロングさんという方は、非常にこう控えめというか、ストイックな方で。あんまり社交的とは言い難い方として知られていて。取材とかそういうことを、あまり喜んで受けるタイプじゃない。
本作の原作となる、日本では河出文庫から出てる『ファースト・マン:初めて月に降り立った男、ニール・アームストロングの人生』っていうこの伝記小説。これを書いたジェームズ・R・ハンセンさんも、もう何度もお願いしてようやく、という感じで了解をもらったということらしい。で、2005年の出版の前の時点、2003年の時点で、クリント・イーストウッドが映画化権をもう取ったりしてたんですけど。まあいろいろあったんでしょう。イーストウッドだったらまたね、ちょっと温度感が違うっていうか……でもたぶん、やっぱり『アメリカン・スナイパー』みたいな、ちょっと温度の低い作品だっていうことは変わりないんじゃないかな。ニール・アームストロングなら。
■実録物の名手、脚本家ジョシュ・シンガーの貢献も大きい
まあとにかくいろいろとあって、2011年にユニバーサルが映画化権を獲得。もともとワーナーだったのをユニバーサルが映画化権を獲得して、2014年に『セッション』を完成させたばかりのデイミアン・チャゼルに監督オファーが行った。で、デイミアン・チャゼル自身も最初は、「宇宙とかにそんな強い思い入れとかないからな」なんて言ってたんですけど、原作を読んで気が変わった。おそらくは、まさにさっき言ったような、「主人公たちだけの世界に入ってゆく」、自分の映画らしいビジョンっていうのを、やっぱりこの原作の中に掴んだんじゃないかと思いますね。
で、まあ『ラ・ラ・ランド』の制作をしながら、脚本のジョシュ・シンガーとずっと中身を練り上げていった、ということらしいんですけど。ということで今回の『ファースト・マン』はですね、実はデイミアン・チャゼル作品にとってはちょっとエポックと言うか、ちょっとまたフェイズが変わった作品でございまして。要は、初めて他の人の脚本で映画を作っているわけです。で、その脚本を手がけたジョシュ・シンガーさん。この方が果たした役割というのがものすごくでかい作品なんですね。この方、ジョシュ・シンガーさん。テレビシリーズの『ザ・ホワイトハウス』とかですね、あと映画だと、ウィキリークスの創設者のジュリアン・アサンジを描いた『フィフス・エステート/世界から狙われた男』っていう2013年の作品とか。
あと、アカデミー賞も獲りましたね……脚本でも獲りましたし、作品賞も獲りました、『スポットライト 世紀のスクープ』、2015年の作品とか。あと日本では去年公開されました『ペンタゴン・ペーパーズ 最高機密文書』、スピルバーグの。これ、素晴らしかったな! とか、まあそのフィルモグラフィーを見れば一目瞭然。丹念に資料を調べまくって、そういう情報を劇映画に落とし込む、というね。非常に調査を綿密にするタイプの、実録物の名手ということですね。これ、ジョシュ・シンガーさんね。
ということで、今回の『ファースト・マン』も、あくまでニール・アームストロング個人の視点から、徹底して彼の主観に寄り添って月面着陸までを見つめてゆく、という、まさに「主人公だけの世界に没入してゆく」、デイミアン・チャゼル的な語り口っていうのをベースにしながらも……そこにやっぱり、調査に基づく非常に細かいディテールとか、あるいは社会背景などの広がりや厚みを加えたっていうのは、これはやはり、明らかに脚本ジョシュ・シンガーの貢献部分じゃないかと思いますね。いままでのデイミアン・チャゼルにはなかった部分という。
■主観ショットの多用で生々しいまでに主人公に寄り添う
その意味で今回の『ファースト・マン』、十全に理解して楽しむための、最良のサブテキストがあるんですね、実は。日本ではDU BOOKSから出てる『ファースト・マン オフィシャルメイキングブック』という本がありまして。これがですね、メイキングブック本多しといえど、本当に今回のこれは素晴らしくて。ジョシュ・シンガーさんとその原作を書いたジェームズ・R・ハンセンさんの対談形式で、脚本の最終稿と実際に映画になったバージョンの違い、あるいは、史実と映画で描かれてることの違い……で、なぜその違いを出したのかとかについて、全シーン詳細に、この2人が語り尽くしてるんですね。
ぶっちゃけこれ1冊に勝る解説はなかろうという、究極の1冊がもうすでに出ちゃっているんで。充実の内容。ぜひ『ファースト・マン』、ご覧になった方はこちらも副読本として見るとですね、もう完璧な理解が進むこと間違いなし、という1冊でございます。僕もこれを読んで初めて分かったことが本当に多かったんですけど。ということで、ちょっと順を追って行きますね。
たとえば、冒頭のつかみとなるシークエンス。1961年に、ニール・アームストロングがX-15という機体をテストパイロットとして操縦している。で、大気圏の外側を一瞬垣間見た、っていう。一瞬その、地球の重力的なところを離れた……っていうのを垣間見た後に、危機的的状況に陥るというくだり。もうここにすでに、この全編のタッチと語り口が出ていますね。とにかくひたすら彼の主観に寄り添う語り口。コクピット内部、もしくは機体に密着した位置からしか、カメラを置かない、撮らない、見せない。つまり、彼が乗ってる機体が、いま客観的にどうなってるかという外側から見た客観ショットみたいなのは、排してるわけですよね。
このX-15も、飛んでるところのショットとかはないわけです。着陸した後に離れたところ(のショット)はありますけど、飛んでる時(のショット)はないわけです。寄ったショットしかない。で、とにかくひたすら、彼がコクピットで感じたであろう揺れとか、あとは機体の、いかにも心もとないきしみ。ギシギシギシギシ……って。要するに、軽くするためですから、機体なんて薄いですし。そこにビスが止まっているんですけど、これがまたいかにも心もとない。映画のジャンルで言うと、潜水艦映画にちょっと近い。潜水艦映画の閉所恐怖症感にも通じる……潜水艦映画で、水圧でボルトがバーン!って飛んできたりする、ああいうような「うわっ、怖い!(ギシギシギシ……)」っていう、あのきしみ感。
で、そこから生じる不安や恐怖を、観客に一種ドキュメンタリー的な感じ、ドキュメンタリックな生々しさで、ダイレクトに体感させるつくりという。で、この客観ショットをできるだけ排して、主人公の主観にひたすら寄り添うという撮り方、見せ方、語り口って、最近特に多いというか、ちょっと軽いトレンドですらあるな、という風に思います。それこそね、1月8日に評したばかり、『アリー/スター誕生』がまさにそのスタイルでしたし。その前の週に評した『暁に祈れ』。これも完全にこのスタイルでしたし。
あと、バリー・ジェンキンスの『ムーンライト』も結構そのタッチかな、という風に思いますし。ちょっと前だけど、2016年3月6日に評した『サウルの息子』とか、これも完全にこのタッチでした。まあ『ビール・ストリートの恋人たち』も、主人公の見た目の主観っていうところで描いているのはやっぱりそうかな。バリー・ジェンキンス。ということで、まあちょっと流行りのタッチってはあるかなという風に思うんですけど。でも、デイミアン・チャゼルはその潮流のひとつの中心にはいるでしょうからね。
■これまでほとんど語られてこなかったニール・アームストロングの娘の死
ともあれこの生々しい、ドキュメンタリックな主観寄りショットというのを実現するために、『ラ・ラ・ランド』に引き続きの投入、カメラマンのリヌス・サンドグレンさんという方は、普通のドラマシーンは35ミリで撮影して、コクピットの内部は16ミリフィルムで撮影……だから当時の記録映像とかにも近いタッチになっている。そして、窓の外の画は、普通これ、CGで作りそうなところを、今回は、巨大なLEDスクリーンに映し出した資料映像だったりする。つまりこれ、映画で昔からある手法の「リアプロジェクション」の、最先端版っていう感じだと思いますけど。そんな感じで工夫を凝らされたようで。
まあ実際、全体で計3つあるこのコクピットでの見せ場……これが3つ、配されているわけです。冒頭のX-15と、ジェミニ8号と、アポロ11号。この3つのどれも、本当に見ていて具合が悪くなるような生々しさ、迫力に満ちている、という感じだと思いますね。ちなみに、本作においてですね、そのニール・アームストロングの知られざる内面っていうのをもっとも象徴する出来事、全編にその影を投げかけている出来事として、娘さんのカレンさんが実は亡くなっていた、ということがあるわけですね。
これ、劇中で語られている通り、実はニール・アームストロングさん、このことについてほとんど語ったことがない、っていうことらしいんですね。で、伝記を書くので調べて、「ああ、そういえば娘さんをこの頃に亡くされている」と。しかもこれ、冒頭のX-15飛行任務の前に実は、娘さんはもう亡くなっちゃっていたんだそうです。実際の史実で言うと。で、劇中で話される三度の飛行ミスは、まさにその娘の死が及ぼした影響と思われる。その娘の死の後に、その三回の飛行ミスというのをやらかしてる。と、いうようなことがあったらしいんですけども。それも全部、このメイキングブックに書いてありますけどね。
あと、ここのところ、X-15というロケットエンジンで飛ぶ飛行機が着陸した後にですね、一瞬だけ、伝説的パイロット、チャック・イェーガーというのが登場するわけです。これ、チャック・イェーガーといえば、もちろん宇宙開発史に詳しい方はもう伝説のパイロットとしてご存知でしょうし、映画ファンであれば当然……1983年、マーキュリー計画を描いた『ライトスタッフ』で、サム・シェパードが演じていました。「うわ、『ライトスタッフ』がここでつながった! ああ、『ライトスタッフ』の直後から始まる話だ!」みたいな感じがすると思うんですけど。アガってしまうあたりだと思います。実際にチャック・イェーガーは、ニール・アームストロングには非常に辛辣な批判者の1人だったそうですね。
■史実をベースとしながらも、サスペンスを盛り上げる演出の丁寧な積み重ねも
まあ、ともあれこんな風に、コクピットのニール・アームストロングの視点から、危機的な状況をいかに乗り切ったか、っていうのが、さっき言ったX-15の飛行テスト、ド頭のシーン。そして中盤の大見せ場であるジェミニ8号のシーン。そしてもちろん、クライマックスはアポロ11号。この3つの見せ場で用意されている。で、ジョシュ・シンガーの脚本、デイミアン・チャゼルの演出ともに、非常に感心させられるのは、概ね史実をベースとしながらも、そのいま言った大きく言って3つの見せ場に向けた前振りが、非常に良くできているところ。
たとえば、ニールたちが陥る状況がいかに危険なのか、ということですね。さっきから言っているように、そのシーン自体では主観寄り視点を徹底させるために、客観的な……要するに説明的なショットを入れられないわけですね。実際にいま、機体がどういう状態なのか?っていうのを、引いた画では見せない、というルールでやっている分、事前の訓練シーンで、観客にも一度分かりやすく「いまがどういう状態なのか」というのを理解させるくだりを、かならず入れてるんですよ。これ、すごく上手いあたり。
たとえば中盤、ジェミニ8号。これね、ジェミニ8号、最初は順調ですよ。あのドッキングするところまでは順調。ドッキングシーンで「ああ、これは順調だ」ってなったところで、たぶんあれ、『2001年宇宙の旅』のオマージュでしょうね。優雅なワルツがかかって、ドッキング。まあパロディーかな?っていういぐらい、ちょっとモロに『2001年』オマージュなところですけども。ところがそれが、その時点では原因不明な理由で、制御不能な状態になってしまう。要は乗ってる船が、宇宙空間でグルングルングルングルン回っちゃって、操縦者ももうほとんど失神という、ちょっと悪夢的な事態になってしまうわけですけど。
その前振りとして、実際には訓練には当時はもうすでに使われていなかったと思われる、MAT(Multi Axis Trainer)という、三方向にグルングルン回るマシーンを、あえて、史実とはたぶん違うんだけど登場させて。要は後のジェミニ8号のグルングルンを観客が想像できるようなパニック状態っていうのを、いったん客観的な説明代わりにそこで見せている、しっかり印象づけている、っていうことなんですね。ここがやっぱりすごく、上手い段取りを踏んでいる。
史実をちょっと曲げても説明を入れている、という。あと、ジェミニ8号のくだりは他にもですね、たとえば発射直前に、「えっ、これ大丈夫?」な出来事がちゃんと少しずつ重なるようになってる。向こう側で、アジェナっていうドッキングする機体がドーン!って打ち上がっている横で、電気がすげえ揺れている。あれはちょっと実は、史実からすると嘘らしいです。アジェナを打ち上げている時点ではもうジェミニには座っていたと思われるので、あれは嘘なんだけど、やっぱりわざわざそんなガチャガチャ揺れるのを入れて、「なんか大丈夫か、この施設?」って。そしたら今度は、座ろうと思ったらパラシュートの金具になんか挟まっちゃっていて。「おい、ナイフ持ってる?」ってほじくり出しちゃったりして。で、「おい、嘘だろ?」っていうのがあったりとか。
あと、密閉したはずのコクピットの中に、ハエがいるっていう。その「ハエがいる」っていうところで改めて、壁のネジを見る主観ショットが入るわけです。つまり、「おい、これちゃんと密閉されてんの?」っていう感じがする、というあたり。そうした「これ、大丈夫か?」感とか、全てがちゃんと、後の悪夢的な事態を予感させる、丁寧な積み重ねの描写っていうのをやっている。これはサスペンス描写として非常に上手いあたりですね。
■エンタメとして盛り上げつつも、最後はやはり主人公たちだけの世界へ
あるいは、アポロの月面着陸の場面。実際にも、かなりですね、諸々ギリギリの状態でようやく無事着地できた、っていうことらしいんですけど。燃料とかも本当にギリしかなかった。その前振りとして、LLTV(月面着陸訓練機)の、誰の目にも明らかなコントロールの困難さ、っていうのを見せておく。あんなの……あれ、しかも150メートルぐらいね、高く飛ばないとダメらしいんですよ。訓練をするには。あんなんで……羽根もないやつでですよ? 滑空できないやつでですよ? あれでやんなきゃいけない。
で、案の定、これは本当にあったことですけども、ニール・アームストロングも本当に間一髪で命が助かった、という訓練中の事故描写をちゃんと見せておくことで、いかに月面着陸……スーッて止まったように見えるけど、めちゃくちゃ難しいことをやってるのか、なかなか無謀なミッションであるか、というあたり。これを説明的に陥らずに伝えることに成功してる、っていうことですね。非常に上手いあたり。
という風に、かようにですね、しっかり観客をハラハラドキドキさせる劇映画としてのサービス性も、実は周到に組み込まれてるんですよ。非常に淡々とした語り口に見えるけど、実はちゃんとエンタメしている、っていうところ。ここが非常に感心させられる。でも……これは、やっぱりデイミアン・チャゼルの映画でもある、っていうことですね。最終的に、国家の威信も、そして社会の状況も……社会の状況っていうのを示すのに、本当はこれ、1970年リリースなんで嘘なんですけど、ギル・スコット・ヘロンの有名な「Whitey On the Moon」っていうポエトリー・リーディングというか、ラップの元祖とも言われる曲を、あえてそこに持ってきて。
あえてその「Whitey On the Moon」の歌詞に託して、説明的でなくアポロ計画を時代状況的には相対化してみせる、という。説明的でなく説明してみせる、このバランス感覚。やっぱり、ああ上手いな、ちょっと憎らしいぐらいだな、なんて思ったりもしますね。で、最終的に全て、主人公たちだけの世界、という風になっていく。で、その他のことは全て……要するに、国家の威信も、社会状況も、むしろ後景と化していく、っていうことですね。
だからその搭乗員たちも……アポロ11号を描く映画じゃない証拠に、ルーカス・ハース演じるマイク・コリンズとか、コリー・ストール演じるバズ・オルドリン……バズ・オルドリンはあんまりニールさんと折り合いはよくなかった、なんて話も聞きますけども。彼らもあくまでやっぱり「背景」ですね。一緒に(月に)行ったのに。あえて言えば、ジェイソン・クラーク演じるエド・ホワイトさんとその妻との関係は、そのニールとクレア・フォイ演じる――クレア・フォイは見事でしたね――ジャネットのその夫婦との、鏡像関係的なものとして、ここの夫婦は非常に味わい深く描かれていますけども。とにかく他の人は、基本的には背景、という風になっている。
■月面着陸=アームストロング船長の内的な旅だった、という着地
で、とにかく月面に行きました。この月面に行くまでのね、その爆音と無音の緩急。たしかにさっきのメールにもあった通り、非常に上手いですし。いざ月面に着陸してからは、ここは65ミリIMAXフィルムで撮ることで、これまでの映画のタッチとまるっきり変わる。つまり、異世界に来た感。異常にクリアな世界になっているわけです。そこで、史実に基づいたディテールで言うと、MESA(Modularized Equipment Stowage Assembly)っていう「モジュール装置積み込みアッセンブル」……要するに、カメラが内蔵されていて。要は、「アームストロングが降りているところを誰が撮ったんだ?」って陰謀論者が言うのに対して、ちゃんとそこに「いや、これで撮ったんですよ」っていうのを見せて。
そういう、ほかではあんまり描かれない部分は一応ディテールとして入れつつも、でもやっぱり、アポロ11号の……たとえば「星条旗を立てるところがないじゃないか!」っていう批判があったみたいですけども、そういうことじゃなくて。やっぱりニール・アームストロング個人の、内面の……なんならこの月への旅が、インナースペースへの旅のようにも見えるような描写に、どんどんなっていく。で、最終的にね、その『市民ケーン』における「バラのつぼみ」的な行動……もちろんあれはフィクションなわけですけど、要するに彼の内的な旅の話だった、というところに着地していく。
すべて1人の人間が実際に経験し、感じたことっていう、擬似的な追体験という風にこのアポロ11号の月面着陸を描く……このアプローチ、ニール・アームストロングさんという、非常に心を閉じがちだった人の伝記としては、僕はこのアプローチは正しいと思います。そしてやっぱり、ライアン・ゴズリングの「心閉じモード」演技。やっぱり似合いますよね、とってもね。で、ラスト。このね、デイミアン・チャゼルの映画は常に、「主人公2人が無言で向き合う」っていうラスト。これ、共通しているんですけども。
■チャゼル作品に大人の厚み、成長した深みが加わったラスト
実際にはあの2人、後に離婚するんですね。ということを考えると、「あちらの世界」と「こちらの世界」を薄いプラスチックで隔てられて、それでも理解し合おうとする、寄り添い合おうとするその夫婦の姿が、どういう風に見えるのか……というあたり。すごく切ない。つまりですね、この映画っていうのは、地球と月との距離っていうのが、家族を含む「他者」との距離。あるいは、生者と死者を隔てる距離っていうのの、メタファーとしても描かれてる映画なわけですよね。
だから最後、あれだけ離れていた……本当は近しいところにいたのに心は離れきっていた夫婦が、プラスチックの薄い板を隔てて、寄り添うことができるのか? でも、少なくとも世間の人たちが感じているのとは全く違うものを共有してる2人。2人だけの世界で、彼女たちだけが分かる苦しみ、悲しみと、その葛藤の乗り越えっていうのが、あそこにあるわけですよね。あのプラスチックで隔られた……あのプラスチック(が隔てる距離は)は厚いのか? 薄いのか?っていうあたり。これはでも何にせよ、どう受け取るにせよ、僕は一種の「倦怠夫婦物」としても、とっても味わい深い作品だな、という風に思いました。
ひとつ言えるのは、やっぱり他者性が消失するっていうところにデイミアン・チャゼルの作家的な特徴があったと思うんだけど、今回も他の人たちっていう意味では他者性が消失するんだけど、やっぱり「妻という他者」、あるいは「夫という他者」、あるいは死んでしまった娘、つまり「死者という他者」、もっと言えば「自分という他者」というところに向き合おうとしているという点で、ちょっとだけデイミアン・チャゼルの作風に、大人の厚み、成長した深みが出てるなと。それはやっぱり、ジョシュ・シンガーさんの手腕もあるのかもしれませんが、と思ったあたりで。
僕はやっぱりデイミアン・チャゼル、こういう風に本当に独自のアプローチして偉いなと思いましたし……いちばん僕は好きな作品になった、という感じでございます。はい。おみそれいたしましたというか、まだまだ成長するんじゃないですか? まだ彼も若いですからね。ということでぜひぜひ、これは劇場で絶対にね。体感型でもありますので、ぜひぜひ劇場の大音響、大画面の中でウォッチしてください!
(ガチャ回しパート中略 ~ 次回の課題映画は『ROMA/ローマ』に決定!)

以上、「誰が映画を見張るのか?」 週刊映画時評ムービーウォッチメンのコーナーでした。