TBSラジオで毎週土曜日、午後1時から放送している「久米宏 ラジオなんですけど」。
7月27日(土)放送のゲストコーナー「今週のスポットライト」では、脳科学者の恩蔵絢子(おんぞう・あやこ)さんをお迎えしました。
恩蔵さんは1974年、神奈川県生まれ。ご本人曰く「この世界の真実が知りたい!」という思いをこじらせて上智大学では理論物理学(卒論は量子カオス)を学んだそうです。でも「真実って、もうちょっと猥雑な中にあるのかも」と考えるようになり、東京工業大学大学院に進み、脳科学者の茂木健一郎さんのもとで神経科学を研究。その後は茂木さんとともに化粧品会社と共同研究を行ったり、いくつかの大学で非常勤講師を務めるなど、研究者としてキャリアを重ねていました。
恩蔵さんが母親の異変に気付いたのは、今から4年前の2015年。後頭部に手を当て、ひどく困っているような姿を頻繁に見かけるようになりました。何か不安を必死に打ち消すように頭を掻きむしる母親。
「今まで見た中でいちばん冷たい顔をして『おかしかったら自分で分かるから大丈夫』って言われたんです。家族って自分をいちばん認めてほしい人なのにその娘から『おかしいよ』って言われて…。やっぱり本人がおそらくいちばん不安なんです」(恩蔵さん)
認知症と診断されてほっとした

恩蔵さんは母親を病院に連れていきました。異変に気が付いてから10ヵ月、検査の結果は予想通り「アルツハイマー型認知症」でした。診断名を告げられた母親は、取り乱すこともなく、むしろほっとしたように見えたそうです。でも、ほっとしたのは恩蔵さんも同じでした。病院に行くまで、恩蔵さんもずっと不安な日々を過ごしていました。認知症で母親の人格が変わってしまったらどうしよう。徘徊するようになるのだろうか。
「でも、認知症って告知されたら、もうできることが決まったんですね。病院は2ヵ月に一回行くとか、薬はこれだとか。治すためにはこれ以上のことはできないからほかのことについては考えなくていい。ここからは楽しくなることを考えようって。告知される前は、アルツハイマー病になったら世の中終わりみたいな気持ちで切羽詰まっていたけど、診断されたら、全然、断崖絶壁じゃなくてさっきと同じ1秒が続くというか、このラインを越えても今までと同じだっていうのが実感としてありました」(恩蔵さん)
「脳の専門家でもそうなんですね。それを聞くと、安心する人がいっぱいいると思いますよ」(久米さん)
その人が大事にしていたものが見えてくる

アルツハイマー型認知症は記憶の中枢である「海馬」が委縮するところから始まるので、新しいことを覚えるということが苦手になる病気です。そして後頭頂皮質の活動が低下し、大脳皮質が委縮りすることによって、注意力、判断力といった認知機能が衰えます。それで今までできていたことがだんだんできなくなっていくのです。だから認知症と聞くと私たちは絶望的な気持ちになります。でも、認知症の母親を毎日の生活の中で見ていると、絶望とは違うことを感じるようになったと恩蔵さんは言います。
「アルツハイマー型認知症は、その人が大事にしていたことが見えるようになる病気だなあと思います。
恩蔵さんは、母親に自分の誕生日を忘れられてしまったことがいちばん悲しかったそうです。お母さんは恩蔵さんの誕生日を大事に思っていなかったから忘れてしまったのでしょうか。恩蔵さんはそうではないと考えています。
「母には、私が生まれたときの状況をもうずっと何十年も聞かされてきたんですね。だから、母はきっと私にもう十分伝え切ったのかなと思います。

アルツハイマー型認知症になると認知機能が衰えて、できないことが増えてきます。今まで料理も整理整頓も完ぺきで、人付き合いもよく快活だった母親が何もできなくなってしまうと、すっかり人格が変わってしまったように見えます。でも、それは本当に〝その人〟でなくなってしまうのでしょうか。そこが家族として恩蔵さんがいちばん怖かったところであり、脳科学者として解明したいことになりました。
「2015年に『これはひょっとして…』と思ったときに、お母様がお母様でなくなっちゃうかもしれない。私が知っている母親とは違う人格になってしまうんじゃないかというのが、いちばん怖かった?」(久米さん)
「はい」(恩蔵さん)
「それは誰でもそうだと思います。家族が認知症になったときに、人格が変わっちゃうんじゃないか、人間が変わっちゃうんじゃないか。
「そうですね、それがいちばん悲しかったんですけど、診断が下ってから、これは今まで小説とか映画とかで書かれたことを鵜呑みにしてしているだけで、本当に生活の中で母に現れる症状を見て、細かく脳のことを知っている人が分析して、そのあとで、その人が〝その人〟でなくなるのかということを結論付けなければならないと思いました。だから、むしろこれはちゃんと考える私の仕事だというふうに思って、それを本に書いたつもりです。結論としては、認知症の診断から4年経っても、まだ母は〝母〟のままでいるというふうに思っています。それはどんな感じかと言うと、例えばみなさんに大好きな人がいて、その人の笑顔が大好きで、それを見ようと思って笑わそうとしてもそんなにうまくは笑ってくれるものではなく、偶然に出てくるものなんですね。アルツハイマー病もそれとまったく同じで、本当に今までと同じ〝母らしさ〟というのは、何か条件が揃ったときに、その笑顔みたいに、ふっと昔と変わらない母が見えるんですね。注意が届かなかったりものを忘れちゃったりするという症状でそれが現れにくくはなっているけど、記憶の古層にまだちゃんといるというのが私の実感です。そこのところをつかめたら、怖くなくなって、安心して暮らせるようになりました。でも、今でもたくさん母を怒ったりしちゃうんですけど(笑)」(恩蔵さん)
「昔のできるお母さんを知ってるから、ついイラッとしちゃう(笑)。でも、それはしょうがいないよ、人間だもん」(久米さん)
「全然だめなんですけど(笑)。でも、〝母〟はいるなあという安心感は、確信しています」(恩蔵さん)
「今の話を聞いて思ったんですけど、誤解を恐れずに言えば、お母さんはあなたがイラッとして怒るのを見て、それはそれで楽しんでるんじゃないかって気がしました」(久米さん)
「救われます(笑)。そうだといいなあ」(恩蔵さん)
「感情」がひとつの希望

認知症に対する不安や恐怖というのは、「知性」が失われていくことの絶望感によるものが大きいでしょう。
「研究では、絶望的な状況に置かれても人間は明るい感情を持つことがあるというふうに言われています。そして、ひとつの状況の中でたくさんの感情を持てる人ほどショックな出来事からの立ち直りが早いということです。感情をいっぱい持っていることが生きる力になるということが示されています。アルツハイマー病の人は、ロジックをつなげてひとつの物語を語るということはできないんですけど、『感じる』ということは根本として残っていて、私の母も矛盾したことは言うけれど、本当にいろんなことを感じているというのはそばにいて実感できます。感情が残っているだけですごいことなんだというのが最近の脳科学の常識なんです。感情が根本であって、知性はその上に乗っている表層のようなもの。知性がつくる〝その人らしさ〟だけでなくて、感情がつくる〝その人らしさ〟もあるんです」
恩蔵さんが、認知症と診断されてからの母親の生活を記録し、考察したことは『脳科学者の母が、認知症になる』という本にまとめられています。一見、訳が分からない言動も、脳科学者だから見えることがあります。また、医者には分からなくても家族だから分かることもあります。その両方の視点を持つ恩蔵さんだから書けたこの本は、認知症の家族を持つ人、介護に携わる人、脳の仕組みに興味ある人、それぞれにとってとても興味い内容だと思います。
恩蔵絢子さんのご感想

お会いする前からなんですけど、久米さんは心を動かして話を聞いてくださる方なんだなあというのがいちばんの印象です。
母がこのラジオを聞いてどう思うかということにまず最初に配慮してくださったことが、本当に嬉しかったです。それから、私がイラッとすることがもしかしたら母は嬉しいんじゃないかっておっしゃってくださったことも嬉しかったです。親の気持ちにもなって聞いていただいたような気がします。母もきっと嬉しいと思います。今日のラジオもきっと全部の内容は追えないと思うんですけど、私が楽しそうにしている限り、たぶん楽しく聞いてくれたんじゃないかなと思います。
対談が終わった今は、頭が真っ白です(笑)。でも、アルツハイマー型認知症のいやなイメージをなくすということについては、できたかなと思います。ありがとうございました。

◆7月27日放送分より 番組名:「久米宏 ラジオなんですけど」
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