TBSラジオで毎週土曜日、午後1時から放送している「久米宏 ラジオなんですけど」。
10月26日(土)放送のゲストコーナー「今週のスポットライト」では、銭湯の改築・設計を数多く手がけている建築家の今井健太郎さんをお迎えしました。
今井さんは1967年、静岡県生まれ。一級建築士。武蔵野美術大学でプロダクトデザインを学びましたが、スペインでガウディの作品を見て感動し、建築の道へ。大学院で建築史を学び、設計事務所に7年ほど勤めました。そして独立を考え初めた頃、興味を持ったのが「銭湯」でした。ガウディに魅せられた人が銭湯に向かうというのはちょっと不思議な気もしますが、今井さんはかつて銭湯のヘビーユーザーだったのです。収入が少なかった30歳前後の頃は、家賃の安い風呂なしアパート暮らし。ちょうどいいことに近所に銭湯が5~6軒あったので、毎日ローテーションして通っていたそうです。
週末になると都内の遠くの銭湯にも足を延ばしていた今井さんが、銭湯好きには「キング・オブ・銭湯」として知られる足立区の大黒湯に行ったときのこと。白く長いひげを生やした仙人のような男性が浴場で隣りに座って話しかけてきました。

集合住宅や商業施設などは「設計資料」というものが出版物にもなっているのですが、銭湯はそういうものがないそうです。そこで今井さんは何度も銭湯に通って、間取りや内装、外装、浴場の設備などをスケッチ。図面を書き起こすためにできるだけ正確に記録しておきたいので、入浴しながらタイルの数を数えておよその寸法を頭の中に叩き込んで、お湯から上がると脱衣場で急いで紙に書き込んだそうです。
銭湯を設計するには、ほかにもいろいろなことを知らなければできないと今井さんは言います。銭湯の設備、建築材などはもちろん、銭湯の雰囲気やどんな人が利用しているのか。若い人はいるのか年配の人が多いのか。ひとりで来る人が多いのか、複数人で来ているのか。どのくらい離れたところからやって来るのか。曜日や時間帯、天気によっても利用者層や人数が違ってきます。立地的な特徴も重要です。
「ですから1回見ただけではまるで分かりません。同じ銭湯に曜日や時間帯を変えて何度も入りに行きました(笑)」(今井さん)
こうしたフィールドワークを2年ほど続けるうちに、今井さんの頭の中に自分で造ってみたい銭湯のイメージがいろいろ浮かんできました。独立したものの仕事も少なくなかなか厳しい日々、夜になると自分の夢の銭湯のイメージ図や設計図をせっせと描いたそうです。そうするとやりたいことがどんどん膨らんできますから、ついにはその設計図を持ってあちこちの銭湯に飛び込みで回るようになりました。実績は何もなかった今井さん、あるのは情熱だけでした。
「非常にムリがあるんですけど、回り始めちゃったんです。何か起こるかもしれないと思って」(今井さん)
それで縁ができて、ある銭湯のオーナーに銭湯業界のフリーペーパー『1010』を紹介され、2000年に「ケンタローの夢銭湯」というエッセイの連載がスタート。書き溜めていた設計図を掲載し始めました。すると「銭湯を改築をお願いできないか」という依頼が舞い込んできたのです。足立区にある大平湯(たいへいゆ)という銭湯でした。
大平湯のオーナーからは「またがずに入れる縁(ふち)の低い浴槽にしたい」「歩行浴ができるようにしたい」という2つの希望がありました。
銭湯にはいろいろな設備があり、排水管も入り組んでいて非常に複雑な構造になっています。それらをいかにすっきり収めて、広いスペースを作れるかが今井さんの腕の見せどころ。2001年にリニューアルが完成した大平湯は全く新しい「入浴空間」に生まれ変わり、銭湯業界で話題になりました。お客さんの評判もいいので、「これでよかったんだ」と今井さんは安心したそうです。
「いまから20年ぐらい前の銭湯業界では、改築してもお客さんが増えるのはせいぜい2~3年でその後はまた減ってしまうというのが通説だったんです。

老朽化した銭湯をおしゃれに改築すればお客さんが増えるというものではないと今井さんは考えています。今井さんの設計事務所のホームページにはこんなことが書かれています。
「私が湯空間を考える時に大切にしているビジョンのひとつは『場になじむことで独自化する空間』を創造するということです。場にはそれぞれ固有の地歴や文化、気候風土などといった様々な背景が存在します。それぞれの場に内在する諸条件を湯空間に統合することができれば、そこには周辺環境になじみながら独自性をともなう空間が必然的に醸成されるはずです。それぞれの土地に生活する人びと、風俗、歴史、街並みが発する空気の匂いや質感。その場たらしめるそれら要因をフィールドワークを通じて読み込む時間、それは設計の基礎を形成する大切な経験となります」(今井健太郎建築設計事務所のホームページより)
大事なことは、リニューアルの軸となる「コンセプト」を、銭湯のオーナーとしっかり話し合って作ること。
墨田区にある「御谷湯(みこくゆ)」は、東京の下町の銭湯で葛飾北斎の生家も近いということで、「現代の江戸前銭湯」というコンセプト。
新宿区・新大久保のコリアンタウンにひっそりとある「万年湯」の場合は、ちょっとあやしい路地で入りづらい雰囲気を逆手にとって「隠れ湯」をテーマにリニューアル。
同じ新宿区にある「栄湯」は、近くに哲学堂公園があることから、そこに祀られている四聖人(釈迦、孔子、カント、ソクラテス)を4色の光で表現した照明で演出(黄色、オレンジ、青、紫)。自分を見つめ直せる浴室空間にリニューアル。
東京の郊外・町田市にある「大蔵湯」の場合は、近隣のスーパー銭湯が競合相手という点が都心の銭湯と大きく違うところ。そこでスーパー銭湯とは逆の方向を目指し、マッサージ風呂などのレジャー設備をなくして静かに落ち着ける空間にしました。
銭湯の魅力をプロデュース

元々はガウディの作品に感動して建築の道を志した今井さん。そこには銭湯につながるものがありました。
「大聖堂にしてもアパートメントにしても、みんなガウディを褒めるんですけど、ぼくはどこがいいのかどうしても分からないんです。ガウディを見て『建築はいいな』と思ったのは、何なんですか?」(久米さん)
「有機的な造形が、ほかにはないガウディ独自の感性というか…」(今井さん)
「ああ、誰とも似てないってことですか」(久米さん)
「ええ。なおかつ、芸術性が統合されていると思うんですよ。かたい建築というものって四角で垂直で、それは経済的な要素も構造的な要素もあるんですけれども…。そういうところからちょっと逸脱して、でも構造的要件も成り立っていますし、見た目も非常にきれい、美しい。そして、そういったアート感覚が公共的にオープンにされていて、その中に入ることができて、楽しむことができるっていう。
アートでありながら、多くの人が生活の一部として体感できる建築。今井さんがこれまでに手がけた銭湯や温浴施設は、20件以上になりました。先月(2019年9月)には、東京・八王子で65年の歴史を持ちながら一時は廃業の危機を迎えた「松の湯」のリニューアルが完成しました。銭湯の改築には「億」単位の費用がかかります。そのお金を返し続けるには、改築後も20年、30年と経営を続けていけることが条件になります。そのカギとなるのは、やはり若い後継者。今井さんは銭湯を盛り上げる活動もしています。
今井健太郎さんのご感想

とても楽しくお話させていただきました。私は「ザ・ベストテン」世代なんですけど、まさかこんな形で久米さんにお会いできるとは思っていませんでした。
久米さんの洞察力と知識はさすがですね。銭湯に関しても理解と造詣が非常におありで、とても話しやすかったです。銭湯がいまどういう状況で、どういう社会的位置にあるのかということについて、私の言葉が足りなかったところを非常にうまくフォローしてくださったなあという感じがありました。ありがとうございました。
◆10月26日放送分より 番組名:「久米宏 ラジオなんですけど」
◆http://radiko.jp/share/?sid=TBS&t=20191026130000