TBSラジオ「コシノジュンコ MASACA」毎週日曜夕方5時から放送中!(2月20日(日)放送分)

河原成美さん(Part1)

1952年生まれ、福岡県出身。1985年にラーメン店「博多一風堂」を創業し、翌年には「力の源カンパニー」を設立。

2008年のNY進出を皮切りに世界各国に店舗を展開する他、飲食業のコンサルタントやプロデュースも手掛けています。

JK:私がたまたま福岡空港で一風堂の生ラーメンを買ったんですよ!焙烙のお鍋で作ったらどれほど美味しいかしら、と思って。そしたらあくる日、突然アポなしで河原さんが突然いらして、「お鍋見せて」って。ね?

河原:それがね、先生の話だとものすごく美味しそうだったのよ! 「あの鍋でラーメン作ったら絶対美味しいわよ」って。本当に創造力をかきたてるような話だったんです。これはやっぱり見なきゃ!って。そのころ僕も創作ラーメンを作ってたから、そんな鍋だったら美味しいだろうな、と思って見に行ったんです。

JK:それで20人分のコンロとお鍋を用意して、せーの、でパチッと点けて、全員であつあつのラーメンを食べた。

河原:麺も打ったのよ、そこで! 小麦粉をね、水入れて、伸ばして、包丁かなんかで切って。

JK:いちから! 家でやってくれたの! あれは一生忘れられない。自慢のひとつです。ハートがあるっていうか・・・大きいお鍋持ってきてくれて、コンロも20個ダーッと並べて!

出水:急遽20人分のラーメンパーティが始まったわけですね。

最高ですね!

JK:河原さんってそういう人なのよ。

出水:Drum Taoとのご縁も河原さんなんですよね?

JK:おかげさまで! 2011年の震災のときにTaoがBlitzに出たでしょ。その時河原さんに「見てよ!」って言われて・・・それで見て、その後もラーメン食べにいったんですよね(^^)

河原:そうそう。見る前はあんまりジュンコ先生も全然熱心じゃなかったの! 興味ないんだなと思って(^^;)でも見たら絶対いいから、と思って。なんでそんなに言ったかっていうと、その前からTaoの舞台を見てて、舞台衣装を作ってたマキちゃんって子がジュンコ先生の大ファンだったの! これジュンコ先生が作ったらもっといいよね、って思ってたわけよ。だから見てほしかったの。それで衣装を作ってほしかったの! やがて、ね(笑)

JK:それで見たら、これ凄いんじゃないの!と思って。そのあとみんなで六本木の一風堂に行ったのよね。貸し切りもいいとこ(笑)初めて皆さんと一緒にラーメンを食べて・・・あれが始まりね。

河原:いろんなことがあったけど、僕はTaoのファンで、ジュンコ先生も大好きで、僕のファンのものが一緒になってひとつのものを作り上げている。

出水:一風堂のラーメンを食べたことないって方はあんまりいないとおもうんですが、今現在の店舗数はどのぐらいですか?

河原:えっとね、今の時期でずいぶんクローズしたところもありますけれど、国内が130かな。海外は15か国ぐらいで全く一緒。

130ぐらい。でもおかげさまで、たくさんの方に食べてもらっていると思います。

JK:私も本当に大好きです! この前もある方とお食事して、最後にデザートじゃなくて一風堂に行こうって(^^) 食べれるんですよ! 25gって教えてもらったから。

河原:東京の方は麺を食べるのが好きだけど、博多ラーメンは麺が少ない量で食べると美味しいんですよ! 僕のベストは30~50g。本当2口ぐらいですよ。そのぐらいを熱々のスープにぽんっと入れて、ささっと食べる。これがやっぱり美味しい! それを先生は贅沢して、25g(^^)

JK:その粋な感じを教えてもらって。あれはお腹いっぱいでも食べられる! 男の人がごはん食べた後も「ラーメン行こう」って言うのが考えられないわ、って思ってたけど、あれは考えられる!

河原:でも本当にバランスが取れて美味しいんですよ! ぜひ一度! 一言「30gちょうだい、おたくの創業者の河原さんに聞いた」って言ってもらえれば、だいたいOKだから(^^)

出水:いいこと聞きました(^^)一風堂のラーメンって毎日何食ぐらい出ているんですか?

河原:今はこういう時期ですから減ってるけど、普通であれば2万5000人から3万人ぐらい。日本国内でね。世界全国でいったら5万ぐらいかな?

JK:外国で一風堂ができても、入れないんですよ。並んで並んで。いつか念願のNY進出をしたじゃないですか。

開店の前に入れてもらったのよね。

河原:お店の中もすごいこだわって、ずいぶん時間かけて作ったから、先生に見てほしかったの。

JK:Taoがたまたまブロードウェイに出るっていうんでNYに行って。Taoの人たちとみんなで朝からラーメン(笑)そうでないと食べるチャンスないのよ! 11時半オープンの前から並んでるの! だからその前に行かないと。

出水:本当にラーメンブームを作った店舗ですもんね。

河原:ラーメンは日本食として2000年代前から海外にありましたけれど、文化として持ち込んだのは一風堂だと思います。

出水:NYの後も、フランス、イギリス、オーストラリア、ニュージーランドなど世界各地に広がっていますけれど、海外で日本のラーメンを認めてもらうために、何が一番苦労しましたか?

河原:そうですね、以前から海外にも日本のラーメン店はもちろんあったんですけど、2008年NYに1号店を出した時は、日本の食文化みたいなものも一緒に持っていくんだ!という思いで行ったんです。ラーメン屋ですから、勢いのよさとか元気のよさとかね。キッチンをオープンにして、働いている人が「ハイヤッ」「らっしゃい!」って、ひとつの見世物とかショウみたいに感じてもらえる店を作ろうと思ったのを覚えてます。日本のラーメンは違うんだぞ!って、そういう意気込みで行きました。

JK:どっちかっていうと文化人が好きな店よね。お腹すいているからなんでも、じゃなくてね。

逸品、選ばれたもの。日本の文化の革命だと思う。

河原: 1985年に福岡に作りました1号店も、今までとは違う。「ラーメンってこんなにすごいんだ!」って。お客さんたちに躍動感みたいなものを感じてほしいと思って作ったんです。

JK:河原さんの弟子も山ほどいるのよね。河原さんを崇拝している人いーっぱいいますよ! 若い人がみんなラーメン作って、みんな成功してる。だから先駆者っていうか、若い人に元気を与えてる。

河原:若い人はみんな成功してますよ。僕のお店にいる時にもっと働いてくれたらよかったのに(^^)

JK:だけどうらやましいのはね、たくさん従業員がいて、みんな独立して、一風堂を継いで世界中に広まっていくわけでしょう? その人からまた次、また次と、暖簾分けじゃないけど。

河原:暖簾分けもやってるね。暖簾分けはもちろん一風堂の名前でやってるけど、他にも自分たちのブランドを作りながらやってる連中もいっぱいいる。

どこも美味しいね!

出水:召し上がりに行くんですね?

河原:もちろん行きます! 一風堂の場合は看板も一緒で、メニューもそんなに変わりませんけれど、その地域限定だったり、お店独自の商品もあったりします。僕らも味噌ラーメンとか醤油ラーメンとかいろんなラーメンを季節ごとに出したりしますから、技術としてはみんなできる。その中で、独立していった人は豚骨だけじゃなく、味噌専門をやるとか、塩と醤油をやるとかね。

JK:女性が好きなのは塩とか醤油。ラーメンってこってりしたイメージがあるじゃないですか。

河原:やっぱり若い方は今でいったら家系ラーメンが大好きだけど。ラーメンっていいですよね、幅広くって。

JK:今度大分県立美術館で展覧会やるでしょ。それでキッチンカー出してくれるんですよね! 美術館の外で、展覧会の最中に。

河原:キッチンカーは、その前からそういう活動してたんですけど、この時期に新しく作り直して、いろんなところに出かけられるようにしてる。

JK:キッチンカーっていいわよね。これからどんどん広めていったらどうですか?

河原:僕、小学5年生の時にお料理に興味持ったの。

男4人兄弟の4番目で、いつもおふくろの隣でお手伝いしてて。昔は家庭科っていう授業があってさ、お味噌汁と卵焼きと白いご飯を炊く。そんなのお茶の子さいさいだよ! それで作ったら先生が「河原くん上手ね」って褒めてくれて。それからさらに料理が好きになった。それで褒められたから、小学校5年生を対象に「チャイルドキッチン」を2000年から始めて、もう750校ぐらい回ったの。

JK:生まれて初めて食べた美味しいラーメンって一生記憶に残るでしょ? それが大きくなって、自分の職業になるわね。

河原:8年ぐらい前になるけど、ラーメンと餃子を作ろうっていう僕らの授業を受けて、ラーメン屋さんで働いてますって女の子から手紙が来た。そういう人が1人でもいると嬉しいよね! もっともっと多いと思うけど。

JK:将来明るいじゃないですか!

出水:河原さんは出会った人にパワーを与える持ち主ですね!

OA曲
M. すみれ September Love / 一風堂

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