TBSラジオ「コシノジュンコ MASACA」毎週日曜夕方5時から放送中!(3月27日(日)放送分)
パンチェッタ・ジローラモさん(Part2)
1962年イタリア・カンパニア州生まれ。1988年に来日し、NHK教育テレビの『NHK外国語会話 イタリア語会話』に出演。
出水:イタリアの方って陽気で明るいじゃないですか? 場を盛り上げるのはお母さまから教わるんですか?
ジロ:多分お父さんからですね。お父さんは明るい人。お母さんは守る人。お母さんは堅かったですね。お父さんは遊び人(^^) お母さんがいたからお父さんがいたんですね。お父さんは建設会社をやってたから、全国を回って家にいないこともあったし、たまにフラフラしてたこともあったし(^^;)我々は知らないけど、お母さんは守ってた。だからお母さんはえらいですね! お父さんが亡くなってしばらく経ってから、家にきれいな女性が現れて、お母さんとずっと話をしてた。女性が帰ったらお母さんが「実はお父さんのカノジョだった」って。おお~! お母さんの強さ! マンマですね。
JK:結局パッパ・ミーアじゃなくてマンマ・ミーアなのよね!
ジロ:まあ暗い人もいるけどね。オタクの人もいるし。
JK:ヴァカンス長すぎない?? 1か月から2か月半ぐらい休んでる。6月ごろから9月の中頃までいないのよ!
ジロ:まぁ長いですね。学生時代は3か月ぐらいあって、だいたい海の近くにいる。最初は「これから行くぞ!」と思って、仕事が緩くなる。休みになったら誰もいない。終わったら、みんなヴァカンスの話ばっかりして、10月から仕事し始める。
JK:もう引っ越しよね! 9月半ばになっても連絡が取れなくて。
ジロ:サマーハウスがあって、家族はお父さん以外みんな行くんですよ。お父さんは仕事があるから8月ぐらいに来る。でも今はけっこう不景気だから、半分ぐらいしかそういうことできないけど。
JK:ローマって遺跡がたくさんあるから、新しい建物たてられないのよね。どこ行っても遺跡。
ジロ:石蹴ったら遺跡です(笑)あの町は感動する。古代ローマの建物の中に住んでいる。だから修復するのも大変ですよ。あそこで地下鉄を作るために掘るじゃないですか。やればやるほど遺跡が出てくるから、そこで止まっちゃう。
JK:そこでオペラが生まれたり、歴史が生まれたのよね。
ジロ:あれはいいですね。
JK:映画も『ローマの休日』とか『終着駅』とか、イタリア映画大好き!なんかゴージャスなの。
ジロ:とくにフェリーニね。1960年代、ローマにチネチッタというハリウッドのような場所を作ってね。あの時代の映画はゴージャスですよね。夢を感じさせますね。
JK:私昔ね、ソレントからカプリに行ったことあるんだけど、そこで泥棒! 一緒に行った人がバッグを盗られて。
ジロ:すいません、親戚だったかもしれない(笑) 僕は泥棒に遭ったことはないんですけど、日本の場合は自分のバッグを置いて行ってもあんまり感じないじゃないですか。でもイタリアだったら、自分のバッグを置いていくだけで危ないです。取られちゃう。
JK:だから、抱えられないものは足の間に挟んでね。
ジロ:でも僕は日本に来る前、日本には泥棒はないと言われたんです。
JK:でも日本って携帯落としても必ず戻ってくるでしょう? 本当ちゃんと出てくる。
ジロ:実は、その自転車も2年後見つかった。登録するじゃないですか? 警察が夜調べるじゃないですか。だからびっくりした!

JK:マサカってイタリアでなんていうの?
ジロ:「Vero?」 本当ですか? みたいな。でも日本語にある表現が、イタリア語にするとちょっと微妙なニュアンスなんですよね。
JK:大阪弁とイタリア語って似てると思う!
ジロ:大阪大好きです! 大阪の商店街にいると、イタリアにいる感じがする。おばちゃんが知らないうちに声かけて、自分の話するし。僕の街のバス停で待ってるおばちゃんと全く同じことする(笑) あれはすごい!
JK:イタリア語でtantoっていうでしょ? 大阪弁でも「たんと食べ」って同じこというの。だから適当に言えばイタリア語になるよ(笑) あっ、マサカなことは?
ジロ:マサカといったら、ジュンコ・コシノさんと関係がある。昔ジュンコさんと日本の伝統を守らなければいけないといって、職人がいなくなってるとか、商店街がシャッター閉まってるとかそういう話になって、まさか! 今そういうことをやろうと思ってるんです。
JK:外国の人の視点で、また違う視点でね。やってください!
ジロ:もうやってます。もったいないです! 空き家が多いです。それが生まれたのは、ジュンコ・コシノさんの話でそういうのがあったから。当時は私はNHKで京都の番組をやってて、京都の職人の話をやってて。まさか、それがやれるようになりました。ありがとうございます!
JK:期待してます!
出水:その辺りの話は雑誌『LEON』でも発信したりするんですか?
JK:長いよね、『LEON』。もう何年?
ジロ:もう20年ですね。まぁあれは冗談っていうか、1回目は遊びながらやってたんですよ。
JK:でもそれすごい大切ね。もうギネスでしょ?
出水:連続して雑誌の表紙を飾った世界記録!「チョイ悪」ですとか、大人のカッコよさとかいう文化を作ったんですよね。
ジロ:チョイ悪というのはみんなそれぞれのイメージあるけど、やっぱりチャレンジですね。いままで赤い洋服は着なかったけれど、とか。一般的な人は色が固まっちゃうんです。でも時代によって変化するから。

出水:2019年からはYouTubeチャンネル「世界一のモテ男!? パンチェッタ・ジローラモのジローちゃんねる」も始めていますが、きっかけは?
ジロ:みんなやってるから、遊びでやろうかなと思ったんですよね。最初はプロの人たちと組んで、TVでできないことをやるわけですよ。でも僕はああいうんじゃなくて、もうちょっと日常のことをやりたい。
JK:らしくやった方がいいわよ。そっちの方がみんな興味ある。
ジロ:そう、それをやろうと思って、1度加賀のアンバサダーになって、加賀を紹介するためにやったり、古い30年前の船が手に入って、それを修復していろんなことをやったり。それも楽しいです。家を修復する人たちに頼んでクルーザーを修復してもらってます。
JK:あら楽しい! クルーザー持ってるとパーティしたくなるのよね。1人で乗ってたってつまらないし。
ジロ:その通り、パーティをやろうと思ってます。クルーズといったら遠いところ行かないといけないと思うけど、でも近いところがあるんですよ! 東京から15分ですよ! 羽田の手前にマリーナじゃないけどけっこう広いところで、桟橋でもパーティできるし。飛行機飛んでるところも見えるし、音楽かけても文句言われないし。釣りもできるし!
出水:初出航はいつぐらいですか?
ジロ:もう動かしてるんですけど、パーティはたぶん花見ねらってやろうかなと思ってるんですね。
出水:ぜひ、日本の男性のロールモデルとして活躍してください!
JK:これからも一生『LEON』は続けていくの?
ジロ:と思います。どこまで行けるかわからないけど。仕事というより、楽しむことですね。あとは50代の人たちを元気にさせないと!