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松井五郎さん(part 2)
1957年岐阜県生まれ、横浜育ち。1981年、チャゲ&飛鳥の「熱風」で作詞家としてデビューし、その後安全地帯、氷室京介、坂本冬美、工藤静香光GENJIV6、その他アニメや特撮、韓流アーティストまで幅広いアーティストの作詞を手がけています。


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出水:お生まれは川崎、育ちは横浜だそうですが、子供のころから言葉が好きという少年だったんですか?

松井:いや、時代的にはそれこそ『鉄腕アトム』とか『鉄人28号』とかマンガの時代ですよね。Tそのあとに特撮ものやウルトラQが始まって・・・っていう時代だったので、どちらかというと文字よりも映像の方がすきでしたね。

JK:バンドを組んでやってたんですか? 歌手?

松井:最初は歌も歌ったりしてたんですけど(^^) いわゆるフォーク時代ですよね、吉田拓郎さんや井上陽水さんがブームになってたころに自分もギターを買って。

JK:じゃあ拓郎さんの影響は大きいんですか?

松井:すごい大きいですね。あの頃はみんなギター持って詩曲してましたからね。

出水:じゃあ今もその気になれば曲もお書きになれるんですね(^^) そのころヤマハのポップコンサートにもご出演されてるんですよね? やはりミュージシャンになりたいという志から?

松井:プロになりたいかどうかというより、たくさんの人に聞いてもらう場としてバンドとして出場したんですけどね。5人で、横浜・川崎で活動してて。

出水:その時の評価はどんな感じだったんですか?

松井:クリスタルキングが「大都会」でグランプリを取った年だったんですよ。僕らは杉山清貴くんのバンドと根本要くんと関東代表として行ったんですけど、僕らはちょうどクリスタルキングのちょうど前だったんで、こっぱみじん(^^;)

JK:それはショックだったわね! 立ち直れないでしょ。

松井:それでバンドも解散してしまって。僕もやることがなくて、そのころから詞だけを書くようになりました。

出水:そこからどのように作詞家デビューへとつながっていくんですか?

松井:杉山清貴くんなんかと一緒に活動したり、ポップコンに参加したりしてたんです。

その時たまたまヤマハのプロデューサーの方から声をかけていただいて。それがチャゲ&飛鳥のプロデューサーだったんです。

JK:ああ、あの2人はすごかったわね! 一世を風靡して。いい人と出会いましたね!

出水:そこから1981年のチャゲ&飛鳥のアルバム『熱風』につながっていくんですね。

松井:飛鳥はわりと自分で詞を書いてたんですけど、チャゲがコンビを探していて、まぁ歳も同じなんでいいんじゃないかということで。それが僕の作詞家デビューになりました。

出水:その後、作詞の世界で生きていくんだ、というきっかけは何だったんですか?

松井:なんでしょうね、作詞家になりたいと思ったことが実はなくて・・・実はいまだに実感がなくて。ただ楽しかったし、自分が必要とされる現場に恵まれて、それに応えていくうちにいろんな人との出会いがあって。結果として40年経ってしまった、という印象だったんですよね。

JK:水に合ってたんですね。裏方に徹するというか。

松井:歌や曲もそうですし、自分にはできないことがいっぱいあって。

それを詞だけに特化してやることで世界が広がっていったんだと思うんですよね。自分も歌いたい、みたいなこと言ってたら、いまどういうことになってたかわからないです(笑)

出水:コンセプトをアーティストさんに与えられて、その世界観を表現していくことが多いんですか?

松井:それもケースbyケースで、たとえばタイアップが決まっていて代理店さんのほうである程度イメージがあってそれに沿って作っていく場合もあるし、アーティストと2人で話し合いながら作っていく場合もあるし。最終的なできあがりのところで、もっと他の言葉がないか?とかいろんなことはありますが、そんなに一般の方が思っていらっしゃるほど、喧嘩とかがある現場ではないです。

JK:食い違いとかはないんですか?

松井:そこまで厳しいことはやらないです。逆にいうと、毎回毎回が勝負。その時がだめなら次がないわけですから。

出水:作詞家として、アーティストさんと向き合う時に大切にしていることは?

松井:一番は作詞家・松井五郎が見えなくなること。曲を歌っている人の生の言葉に聞こえるようにするのが目指すところです。

出水:ご自身が黒子に徹して、ということですね! 作詞にこめた思いをレクチャーすることもあるんですか?

松井:あんまり。若いころは自分やアーティストが伝えたいことをわりと考えてた気がするんですけど、ある時期から、聴いてくれる人が何をかんじてくれるかというのを探していく感じになってきました。

JK:そうですよね、相手あってのことですものね。

松井:そうなんですよね。

アーティストでも「伝えたいことがある」みたいなコピーがありますけど、僕は全然ないんですよ(笑) 伝えたいことじゃなくて、みなさんが何を思っているかを探していく書き方ですね。
作詞家・松井五郎、マサカのデビューから40年

JK:いままでいっぱい経験のなかで、松井さんのマサカは?

松井:数年前に「また君に恋してる」という歌がおかげさまでヒットして。でも実は、あれは坂本冬美さんがリリースする2年前にビリー・バンバンがリリースしてたんです。それでしばらくしてTV見てたら、坂本さんが歌っているCMが流れてきて。坂本さんが歌うってことを僕も聞いてなくて。「あれ、僕の曲に似てるなあ」と思って調べたら、あの曲だったっていうね(笑)ああいう形でたくさんの方に聞いていただいて。こういう業界ですから、お金や人海戦術でヒットを作っていく、っていうやり方もあるんですが、かつては一度作ったものが違う人でヒットする、というのは近年ではマサカでしたね。

JK:でも音楽ってそういうものですよね。昔のものも歌い手によって新鮮になりますよね。

松井:もちろん冬美さんは演歌の方ですし、ビリー・バンバンはどちらかというとフォーム。冬美さんの声で違う意味合いを持った感じに聞こえてきたんで、嬉しかったですね。

出水:作詞家活動40年を迎えて、いい歌詞を書き続けるための努力は何かしてますか?

松井:特にしているつもりはないんですけど(^^;)でも、いいかどうかは別として、書き続けることは大事だと思っているので、Twitterなどで自分が感じていることを言葉にする作業はしています。

JK:これからやりたいことって? 若手の人を応援するとか。

松井:もちろん新しい世代と新しい音楽を作ってみたいと思いますし、逆に演歌だとか、年齢的に自分より上の世代の日本に残していかなきゃいけないジャンルもあると思うんです。そういうものもきちんと形としてできることがあるんじゃないかな、と思います。

出水:松井さんの書く演歌の世界も見てみたいですね! ちょっと書き溜めたり、空気感とか構想はあるんですか?

松井:やっぱり僕はポップスの側の人間なので、こてこての演歌の依頼はないんですが、近年では五木ひろしさんなどその世界のスターたちとお仕事をさせていただいているんで、もう少し僕も歳をとってみんなより大人になったときに、新しい時代の新しい演歌ができるといいなと思います。

出水:コロナ禍でジャニーズのみなさんが歌っていた「Wash Your Hands」、話題になりましたよね。すごく勇気をもらいました!

JK:あれよかったわよね。一種の教育みたいな。みんな歌いながら、いいわよね。

松井:あれね、1週間ぐらいで作ったんですよ。もちろん作曲家やプロデューサーとも会わずに、本当にリモートで作った作品だったんです。ジャニーズのみなさんが歌う動画も含め、1週間ぐらいでできた曲だったんですよ。

JK:コロナの新しい発見! リモートですよね。

リモートで世界中つながりますからね! この曲も世界に行くんじゃない?
作詞家・松井五郎、マサカのデビューから40年

=OA楽曲=
M1.熱風/チャゲ&飛鳥
M2.また君に恋してる/坂本冬美

◆5月16日放送分より 番組名:「コシノジュンコ MASACA」
http://radiko.jp/share/?sid=TBS&t=20210516170000

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