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2月3日(金)放送後記

ジャンボの愛称で親しまれた大型旅客機、ボーイング747の生産が終了し、今週、最後の1機が納入されました。「空の女王」と呼ばれたボーイング747。

この747のお陰で海外旅行や空の旅が身近になりましたし、生産終了はさみしいですね。そこで今日のテーマです。

「あなたの初フライトはいつですか?」

■初フライトは子どもの頃!

●「初フライト、小学校の低学年くらいだったような気がします。福岡から東京だと思います。母の妹に会いに行ったのが最初だと思う。前の日に、明日飛行機に乗るっていうのでワクワクしてたことは覚えてますもんね。飛び立つの前の加速はやっぱり怖かったというイメージはある。ガンと椅子にGがかかるじゃないですか。今、思えばGがかかるってわかるけど、椅子に吸い付けられるような感じが怖かった気がします。」

●「子どもの頃、記憶にあるのは6歳くらいかな。羽田から大分まで。父親の実家が大分だったので。感動しましたね、やっぱり。その時、YS11でしたけど。

飛行機は好きなので。そもそもその時に、今じゃないけど、結構、ドラマをやっていた。知らないと思いますけど、昔で言えば『アテンションプリーズ』とか、もうちょっとあれだと『虹のエアポート』とかってやっていたんです。『スチュワーデス物語』はその後。その前に飛行機の物語って、ドラマって結構やっていて、そこら辺を見ましたし、憧れもありましたし、って感じです。」

子どもの頃に初フライトです!明日、飛行機に乗るってワクワクした、感動した、いい思い出ですよね。『アテンションプリーズ』は1970年、『虹のエアポート』1975年のドラマ。

ボーイング747が日本に初めて飛んできたのが、1970年。747の影響は大きいですね。

18歳のときの初フライト!

そして、こんな声もありました。

●「30年以上前、18歳の時、高校生の時に初めて乗った。成田からロサンゼルス。ホームステイでアメリカに行かせてもらえて、その時に初めて乗った。緊張したというか、あんまり覚えてない。

ただ、ロサンゼルス行って、その後サンフランシスコ、シアトルに行った。その途中のどこかで、ボーイング社かなんかの工場を見学させてもらえたんですね。飛行機を作ってるところだったんですけど、本当にすごい広いところで作っていたなってことしか覚えてない。」

●「18歳の時ですかね、50年前かな。岩手県の花巻空港から、札幌、うーんと千歳。昔の、文通相手、文通の人に会いに行った。女性だったんですけども。転勤でいなくなった、お父さんが。それでたまたま、私の知り合いが友達だったんで、じゃあ文通したらって話になってそれから。あんまり接点はなかったんですけど、なんか、そういう話なっちゃって、それで会いに行きました!それが初フライトです!」

年代は違えど、同じ18歳。皆さん、色々と思い出がありますね。最初の方は初フライトが国際便。ホームステイでアメリカへ行き、ボーイング社の工場見学(本社はシアトル)。

そこで買ったキーホルダーをつい最近まで付けていたそうですよ。

もう一人の方は文通相手に会うために飛行機に乗った!照れながらお話してました。文通、というところに時代を感じますね。

747は出張でよく乗りましたよ~!

そして、こういう声もありました。

●「初フライト、あ、成田空港が出来た年。名古屋から成田まで、会社で乗らさせてもらいました。あ、飛ぶってこういうことかと思った(笑)
あ、ありますよ、747。あれは成田からシアトル。シータック空港、それが海外に行った初めての、ノースウェスト航空。二階建てだったじゃないですか、あれはすごかったよな~。いや、二階席はね、お客さん今日は二階席に乗せてあげるっていう感じで2・3回乗らさせてもらった。
3列4列3列だったじゃないですか、最初は嬉しいもので窓際に座っていたけども、慣れてきたら真ん中の4列の人のいないところって言って、ほら、肘掛け、あれを全部上げて横になって、ベッドのように寝れる、それはビジネスよりいいぞ!というそれが思い出です!」

成田空港が出来た年、1978年に初フライト。当時、名古屋にいて会社に入ったばかりでした。

海外からお客さんが来るというので成田に迎えに行ったのだそう。

その後、海外出張で747をよく利用したそうです。二階席、あこがれましたよね!

昭和47年、ロシアのイリューシンが初フライトだね!

最後に、こんな声もありました。

●「初フライトはね、日本の飛行機じゃなくてロシアの飛行機だね、イリューシンという。これをね、昭和47年4月に、乗った飛行場はね、ハバロフスクからモスクワまで。ロシアに2日間、おっただけ。

それからスウェーデンのストックホルムまで、またロシアの飛行機で、そうだ、それが初めてだね。

横浜からロシアの船で、いや、ナホトカまで船。ナホトカからハバロフスクまでは大陸鉄道。それでハバロフスクからイリューシンというね。

でね、あの当時、ロシアは軍事国家だから、旅客機の入るスペースがものすごく狭いのよ、と思うのよ。だから、モスクワ上空に来たら、きりもみで降りていくのよ。

こうやって降りていくんだよ、グルグル回って。戦闘機の元パイロットだろうから、それで狭いエリアをグググって、サーッと入っていた、僕なんか高いところが好きだからさ、おお!こんなのは一生乗れないぞ、と思った。本当に僕はね、あれは気持ちよかったのよ。」

ものすごい初フライトですね~!アクロバティックな降り方もそうですが、昭和47年当時はソビエト連邦。よくまあ、ソ連に行ったなと思いますよね。しかも横浜からナホトカまで船!イヤ~、驚きました!

なんでまたソ連に行ったんですか?と伺ったところ、最終的にはドイツで、1年間遊学するのが目的だったようです。ドイツでは、語学学校に通うも3ヵ月で挫折しちゃったよ、とおっしゃっていました。

みなさん、これだけ強烈に覚えているっていうことは、飛行機はそれだけ印象が強かったんですね!

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