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7月28日放送後記

「週刊映画時評ムービーウォッチメン」。ライムスター宇多丸が毎週ランダムに決まった映画を自腹で鑑賞し、生放送で評論します。

今週評論した映画は、『Pearl パール』(2023年7月7日公開)です。

宇多丸:ささあ、ここからは私、宇多丸が、ランダムに決まった最新映画を自腹で鑑賞し評論する、週刊映画時評ムービーウォッチメン。今夜扱うのは、日本では7月7日から劇場公開されているこの作品、『Pearl パール』。

昨年公開され、スマッシュヒットしたホラー映画『X エックス』から始まる三部作の第二弾。舞台は『X エックス』の60年前、1918年。農場で暮らしながら映画スターを夢見る少女パールが、いかにして殺人鬼になったのかを描く。パールを演じるのは前作に続きミア・ゴス。今回は脚本と製作総指揮にも名を連ねています。そして監督・脚本はタイ・ウェスト……監督・脚本・編集・製作ですね、タイ・ウェストさんでございます。とか、他のスタッフとかも、『X エックス』から続投という方が結構いっぱいいますね。

ということで、この『Pearl パール』をもう観たよ、というリスナーのみなさま、<ウォッチメン>からの監視報告(感想)、メールでいただいております。ありがとうございます。

メールの量は、「少なめ」。あらま。公開規模(が原因)……? 公開規模はそんなに小さくないけどな。まあ、ちょっといろいろあれですかね、『君どう』(『君たちはどう生きるか』)とか『ミッション:インポッシブル(/デッドレコニング PART ONE』)』とかあるからかね? 賛否の比率は、褒める意見が「7割」。主な褒める意見は、「面白かった! オープニングから最高」「主人公のパールの身の上が悲しく、感情移入してしまった」「パールを演じたミア・ゴスの演技がすごい」などがございました。

一方、否定的な意見は、「予告を見てスラッシャーホラー的な内容を期待していたら、そうではなくがっかり」「怖くなかった」などございました。『X エックス』の時も、「怖くなかった」っていうのは結構ありましたもんね。

「タイトルの時点で五億点!」

というところで、代表的なところを要約しながらご紹介しますね。ラジオネーム「お金大好きゼニゲルゲ」さん。「前作『X』のエンドロール後に今作の映像が流れた瞬間、「何!? 早く観たい!」とワクワクしていました! 評価は「最高」です! 開始数分でパールが置かれている環境が理解できる冒頭の会話。その直後の牛小屋のシーンでガチョウが登場し…「逃げて! ガチョウさん逃げて~!」からの「あ~~~!!!!!!」…そして、「待って! この水辺ってまさか…やっぱりアイツだ~~~!!!!!!」」。これ、『X エックス』で出てきた舞台立てがあるわけです。

「からの「タイトルドーーーン!」。

この時点で早くも5億点が飛び出してしまいました。建物の中の視点から始まるオープニング。ポルノを覗くシーン。ワニとブロンドなどなど、前作『X』との共通点や、ニヤッとしてしまう名作ホラー映画へのオマージュの数々も最高でしたが、中でも自分を唯一表現する事が出来た「ダンス」のオーディションに落ちた後の、こちらが引く程のパールの大号泣は、「あの家に縛られて訪れる人々を次々に殺害していくシリアルキラー=パール」が誕生した産声の様に聞こえましたし、また、最後のパールの笑顔の長回しは、徐々に歪んで行くその表情が「『X』までの時間経過なのかな?」と感じました。3部作の最後の『マキシーン(MaXXXine)』が、今からとても楽しみです! それにしても、ミア・ゴスの演技力は素晴らしいです!」というお金大好きゼニゲルゲさん。

一方、ダメだったという方。「パン切り包丁」さん。「前作『X エックス』の方は主人公を含むポルノ映画撮影クルーたちが怖い目に遭うという視点でしたので、一般的なホラー映画と同様に、受け身で鑑賞しました。その点本作『パール』は、主人公が怖いことをする人前提なので、能動的な視点で鑑賞を始めました。鑑賞スタイルが変わる続編というのは珍しい気がします。

観ていてちょっと期待はずれな気持ちになったのは、早々にパールは奇行を始めるのものの、その割にはなかなか話が怖くならないのです。母からの抑圧とか、父親の介護であるとか、材料は揃っているものの、前作のような不穏さなどはあまり感じられないので、前半はずっとパールの人物像を紹介されているだけのような気がしてしまいました。

その後、豚の丸焼きを経てどんどん猟奇的になっていきますが、凶行の動機が安易というか、シンプルすぎるというか・・・ホラー映画として何か物足りない気持ちでした。

その印象が変わったのは、クライマックスの「晩餐」シーンです。ああ、これはホラー映画というよりはミア・ゴスのアイドル映画なのかな?と感じ、ラストシーンで確信を得ました。その前提で思い返せば、全てのシーンが素晴らしいものだったような気がしてくるから不思議です。シリーズものでありながら通常の続編とは色々違いすぎて戸惑いましたが、三部作とのことですので、次回も必ず鑑賞しようと思います」ということで。はい。ジャンルがシフトするというか、タッチがものすごく変わっているというのは、これは本当でございますし。厳密にはもう、もはやホラーというよりは……という領域に入ってるのもこれまた事実かと思いますね。

ということで皆さん、メールありがとうございました。私も『Pearl パール』、観てまいりました。TOHOシネマズ日比谷で二回、観てまいりました。

『X エックス』終幕後、劇場で流れた『Pearl パール』予告編の衝撃!

夏休みなのかね、小さいスクリーンでしたけど、若い人中心にまあまあ入ってる方だったと思いますがね。ちなみに前作『X エックス』に引き続き、劇場販売パンフレット……先ほどね、告知もさせていただきました、我々がSUZURIさんで作った番組グッズのロゴをデザインしてくださった、我らが大島依提亜さんと、中山隼人さんという方のコンビによる、これ完全に『X エックス』とシリーズになっている超かわいいデザインのパンフレットでですね。

これはいよいよ、次作であり三部作完結編となるであろう『MaXXXine』というね──「X」が三つあって『MaXXXine』という──それと3冊、並べて永久保存しておきたい、本当に最高のパンフレットになってるかと思いますが。

ということで、今言いましたようにですね、この映画時評コーナーでは2022年7月22日に取り扱ったタイ・ウェスト製作・脚本・監督・編集、ミア・ゴス主演のホラー映画『X エックス』の、続編にして前日譚、ってことですね。こちらの『X エックス』のね、時評の書き起こしもあったりしますが、その時評の中ではですね、初見時の自分と同じように劇場で皆さんに驚いてほしかったので、あえて具体的なことはちょっと言わずに、評の中では伏せておいたんですけど。

実はですね、エンドクレジットが終わって、おなじみ製作会社A24のロゴが出た後にですね、劇場ではさらに、おまけがついていて。先ほどメールにもあった通り、その『X エックス』の前日譚、ミア・ゴスが一人二役で演じた老女パールの若かりし頃を描く、まさに本作『Pearl パール』の予告編が、そこまでの『X エックス』本編のざらついた、いかにも70年代調のタッチとめちゃくちゃ対照的な、色鮮やかな、なんならテクニカラー風と言っていいような映像で、パーッと始まるという。僕は事前にあえて何の情報も入れずに行ってこれを観たので、本当に椅子からずり落ちそうになるぐらい驚きました。「えええーっ?」みたいな。

で、最初僕はですね、その『X エックス』が、その時評の中でも言いましたけど、クエンティン・タランティーノの『グラインドハウス』のようなですね、往年のジャンル映画、まあジャンクな映画たちの有り様を、そのトータルで再現してみせるという、言ってみればメタジャンル的ホラーでもあったので、これも単にそういうギミックの一部、フェイク予告なのかな?って最初は思ったぐらいなんですけど。

実際はそれどころではなくてですね、タイ・ウェストとミア・ゴスが、『X エックス』の撮影に入る前、コロナ禍ゆえにですね、ちょっと待機期間を置かなきゃいけなくて、その間にリモートで練り上げた企画で。『X エックス』が実際クランクインする前にはもう、A24のゴーサインが出ていた、ということなんですね。なので、そのタイ・ウェスト、ミア・ゴス以外にもですね、撮影監督のエリオット・ロケットさん、プロダクションデザインのトム・ハモックさん、衣装デザインのマウゴシャ・トゥルジャンスカさん、音楽のタイラー・ベイツなど、『X エックス』のメインスタッフがそのまま、舞台は同じだけどタッチ、スタイルが全く違うこの続編『Pearl パール』にも、参加している。

あとは今回、お母さん役でタンディ・ライトさんという方が非常に見事な好演を見せてますが、この方、俳優でもありつつ、『X エックス』ではインティマシー・コーディネーター──つまり親密な表現、ベッドシーンであるとか、そういう親密なシーン表現の際に俳優たちのケアをするという、2021年5月11日にこの番組でも西山ももこさんをお招きして特集をしたりしました──インティマシー・コーディネーターだった人を、たぶん雰囲気的に厳格な感じがぴったりだってことになったんですかね、キャスティングした、ということなんですね。

三部作化することで浮かび上がる(裏)映画史的意義、そして切実なドラマ性

で、もっと言えばですね、先ほどもちょろっと言いましたが、『X エックス』のラストで生き残った……ミア・ゴス演じる、1979年の時点で生き残ったマキシーンの名前を冠した三作目『MaXXXine』もですね、既にティーザー映像というのができていて。アメリカ本国の一部劇場で、やっぱり同じく『Pearl パール』が終わった後、エンドクレジットが終わった後にくっつけて上映したらしいんですね。で、今回は日本ではちょっとその『MaXXXine』のティーザーがつかない状態での上映だったんで。ちょっと悔しいんですよ。っていうのは、やっぱりどう考えてもそれがついている方がいいんです。どう考えても。

というのはですね、この『MaXXXine』のティーザー映像。モロに80年代的なビデオ映像に乗せて、おなじみのあのハリウッドサインをグーッと空撮で撮っているのかな?って思ったら、その字が実は「MaXXXine」ってなっている、というのを見せるティーザー映像なんですけど。これ、YouTubeとかで観られますんで、ぜひ観ていただきたいんですけど。これが今回の『Pearl パール』のラストにつくことで、そのパールからマキシーンへと、血みどろのバトンで受け継がれた、「映画スターになる」という夢が、この三部作完結編で、ついに叶うのか?っていう……ただしそれはおそらく、タイトルに入っているこの三つの「X」、「XXX」からして、まあハードコアポルノ業界であろう、ということがわかる。

つまり、今回の『Pearl パール』の劇中で出てくる、あの古いポルノ映像、ありますね。あれは実在の、現存するアメリカ最初期のハードコアポルノ映画と言われている、『A Free Ride(ただ乗り)』っていうね、いわゆる「スタッグフィルム」と呼ばれる古い短いポルノフィルムなんですけども。そこから、『X エックス』が1970年代のインディペンデントポルノ、それを経て、80年代、おそらくポルノビデオ産業へと繋がっていくこの三部作……いわば裏アメリカ映画史、裏アメリカ映像史としてのポルノ史、みたいなもの、その側面がよりはっきり浮かび上がる、ってことですね。

この『MaXXXine』のティーザーがもし付いていたら。

で、もちろんその中で翻弄され、傷つき、血みどろになりながら生きてきた、パールとマキシーンという表裏一体の女性二人の人生、というのも、よりドラマチックに印象づけられることになると思うんですよね、やっぱり最後に『MaXXXine』がつくことで。ということで、今回の『Pearl パール』の、あの悲しい悲しいラストの余韻がまだ生々しいうちに、すぐですね、皆さん、パッと手元でYouTubeを開いて、『MaXXXine』のティーザー映像を(観る)。こちらはもう対照的に、80年代的イケイケ感みたいなものがビンビンなんでね(笑)。こちらを繋いで観る、というのがおすすめでございます!ということですね。

とにかくそんなわけでですね、『X エックス』単体でも面白かったんですけどね。『グラインドハウス』的な「ジャンル映画論的ジャンル映画」といいましょうか……という意味で、とてもユニークでスリリングな一作でしたけども。この前日譚の『Pearl パール』、そして来たる後日譚の『MaXXXine』と三部作化することでですね、単に面白い知的遊戯みたいなところを超えた、映画史的な意義と、本気で胸を打つ物語性が、割とはっきり浮上することになったかな、という風に思いますね。

少なくとも本作を観た後だと、一作目『X エックス』の見方も、全く変わるわけです。私もこのタイミングで観直したんですけど、あの老夫婦の関係性……もちろんシリアルキラーなわけですね。若いやつをとっ捕まえて拷問して殺してる夫婦なんですけど、あの老夫婦の関係性、わけても老いたパールが見せる、若さや性への執着、それと裏返しの人生の後悔、というのが、めちゃくちゃ切実な、なんなら誰にとっても他人事とも言えない痛みとして、グリグリとこっちの胸をえぐってくるような物語になってるんですよね。『X エックス』が。

そして、たとえばこの前作『X エックス』はですね、当然のように70年代が生んだスラッシャーホラーの金字塔、『悪魔のいけにえ(The Texas Chain Saw Massacre)』オマージュに満ちた一編でしたけども、本作のラストで、パール一家が、まさにその『悪魔のいけにえ』的な「家族の食卓」についに辿り着く時にですね、我々はその『悪魔のいけにえ』に代表される、いわゆる「田舎ホラー」のシリアルキラー・ファミリーみたいなの──いっぱいいるんですけど、このジャンルの世界には──その、田舎ホラーのシリアルキラー家族の動機とか事情の側に、完全に寄り添うことになるわけです。彼らがああなるのには、彼らなりの理由がある!っていうところに行き着くわけですよね。そういう風につまり、その「ジャンル映画論ジャンル映画」みたいなところから始まって、最終的にはそのジャンルの構造みたいなものを反転させてみせるような、そういうところに至るという。

「イメージとしての黄金期ハリウッド映画」を再現する鮮やかなテクニカラー調

で、なにしろ本作、さっきから言ってるようにですね、画面のタッチ、スタイルとか、あと音楽とか、あとクレジットのフォントとか出方ですね……横からシューッと出る出方とか、あと編集のテンポとか、あと演技・演出のトーンですね。演技……たとえば「ああ、わたしもここからいつか出るわ」なんていう、ちょっとクラシカルな、クラシックな演技の感じも含めてですね、そういう隅々に至るまで、前作『X エックス』がさっきも言ったように、たとえばアメリカン・ニューシネマ的、あるいは『悪魔のいけにえ』的と言っていいような、ざらついていて荒々しい、70年代アメリカ映画的なトーンだったのに対して、映画としての作りが、根本から違うわけですね。

前作『X エックス』のオープニング同様、納屋の中から戸外へと、グーッと前に進んでいくカメラ。カメラワークは同じです。ただ、前作がスタンダードサイズ、要するに戸外の景色が横に区切られていて、スタンダードサイズみたいに見えるなと思ったら、実はアメリカンビスタでした、ってなっているのに対してですね、今回の『Pearl パール』は、一気に2.39対1、要するにビスタよりさらに横長、シネマスコープサイズに、ニューッと左右、さらに大きく横に広がっている。で、その外に広がってる景色もですね、『X エックス』がいかにも朽ち果てた古民家、あんまり色とかもない感じでね、1979年の時点では寒々しい光景になっていたのが、遡って1918年の今回は、グーッと表に出ると、赤と青と白!みたいなものが、もうバーッと輝くように鮮やかなカラー。

映画で言えば、後ほどもちょっと言及しますが、1939年の『オズの魔法使い』あたりから、たとえば1950年代、ダグラス・サーク監督のメロドラマの数々、みたいなぐらいまでの感じ。まあ要は1940年代を中心とした、テクニカラー的な画調、みたいな感じですね。で、それに合わせて音楽も、クラシカルな、まあバーナード・ハーマン的なというか、そういうオーケストラだったりするみたいな。

要は、一番リッチで華やかでドリーミーで……ザ・ハリウッド!っていうかな。一番ハリウッドがハリウッドらしかった時の、「イメージとしての黄金期ハリウッド映画」的なもの、ってことですね。で、それはもちろん、主人公パールが心に描いている、夢の世界っていうのの具現化でもあるわけです。で、本作はまずその、何て言うかな、1940年代テクニカラーみたいな画調で描かれる、オールド・ハリウッド調で描かれる、ヘンな話っていうか……「(オールド・ハリウッド映画)にしては、描かれてることがヘン!」みたいな(笑)。その、すごく目に楽しいのと中身の歪み、みたいなものがまず……そこを楽しむ作品ではあるわけなんですね。はい。

ちなみにですね、その時代考証、細かいことを言えば、途中でパールが映画館に入って映画を観るんですけども、1918年っていうのはまだトーキー前なんで。音楽が入ってたりね、音が入ってたりっていうのは、ちょっとおかしいんですけど。考証としてはおかしいんだけど、あれはまあ「パールには聞こえている」という解釈もできるし……とにかく、要はまさしく「夢の工場」と呼ばれてきたハリウッドが、その陰で産み落としてきたもの、あるいは見落としてきたもの。パールはそれを、一身に体現するシンボル的な存在、っていうことですね。夢工場ハリウッドの象徴なんです。だから、1918年の映画っていうものを再現したら、もちろんサイレントになっちゃうし。白黒のサイレントになっちゃって……っていうことだけど、そうじゃなくて、もうちょっとハリウッド全体が歴史で生み出してきた中の、一番華やかな、一番リッチな、一番ドリーミーなところ、っていうのを体現してるタッチであり、それはパールの心の中だ、ってことなんですね。

「夢から覚める」パール、三世代に渡る大河物語

つまり、「まるで映画の中」みたいな……我々は映画を観てるんだけど、映画を観ている我々も「まるで映画みたいな」(と感じるような)世界を生きている、生きようとしてるわけです、パールはね。

なんだけど、その彼女が、しかしやがて自分を取り巻く現実と、その「映画みたい」な理想の世界の激しいギャップに対してですね、時に自分自身を偽り、自分の現実を見ないようにしたり、時にはもう都合の悪い存在は排除し……そうすることで何とかその自分の夢っていうのを取り繕い続けようとするんだけど、やがてそれが破綻し、ついには、絶望の中で生きることを覚悟するしかなくなる。

なので僕は……これは解釈次第だと思いますが、最後、パールは、「狂気に陥った」んじゃないんです。むしろ、「正気に返った」から、ああなってるんです。それが悲しいんです。最後の、あのもう精一杯の作り笑顔なんだけど、あれは狂気の笑顔というよりは、正気に返っちゃった笑顔だから、悲しいんですよね……ということだと思うんです。

思えば『X エックス』を観返すとね、『X エックス』の中でのパールは、僕らは最初ね、もうおっかない、なんか気持ち悪いばあさんだと思ってるから、「なんだ?」って困惑するんだけど、実は切々と「私の人生、こんなはずじゃなかった」って、繰り返し言ってるわけですよね。しかも皮肉にも、その1979年の『X エックス』の若者たちが撮ってるポルノ映画のタイトルは、『農家の娘』……で、まさにかつての自分だったような娘たちが、そういうポルノを撮っている、ということなんですよね。

で、さらに切ないのはですね、今回の『Pearl パール』の劇中、「籠の鳥」というものによって非常にわかりやすく象徴されている通り、家族、わけてもね、厳格なドイツ系移民でもあるお母さんによって、束縛、抑圧され続けているパール、というのが描かれるんだけど。そのお母さんもまた、中盤ついに訪れる娘との正面衝突の際にですね、自分もまた、おそらくはその結婚とか、そしてパールの出産によって、人生のいろいろを断念せざるを得なかったんだ!ってことを激白するところがあるわけです。抑圧的な母親っていうのは結構、数々のホラー映画で出てくる、描かれてきたモチーフなんだけど、そこにもまた一人の女性としての人生、痛みがある、っていうことをしっかり描くことで、このパールのお母さん、そしてパールからマキシーン、というこの三世代の女性の大河ドラマ的側面、っていうのも浮かび上がってくる、ってことですよね。

特にやっぱりパールとマキシーンというのはすごく裏表の存在なんで。たとえば『X エックス』のマキシーンがコカインをこうやってね、ガーッと吸っているように、パールも、お父さん用のモルヒネをグビグビ飲んで景気づけしながら、映画を観たりするわけです。

『オズの魔法使い』オマージュ、「スタッグフィルム」が暗示するもの

またですね、テクニカラー的な画調だけではなくて、序盤のその「かかしとのダンス」からも明らかなように、1939年『オズの魔法使い』がオマージュされていることは明らかですよね。あのトウモロコシ畑を走っていくところとか……あとは、それが夜の場面になると今度は『狩人の夜』(1955年)っていうね、カルト映画中のカルト映画『狩人の夜』っぽい感じなるんだけど。まあ昼間の明るい場面っていうのは『オズの魔法使い』チックなんだけど、これが実は非常に意味深で……詳しくはこのコーナー、ムービーウォッチメンの2020年3月20日に扱った『ジュディ 虹の彼方に』というね、ジュディ・ガーランドの伝記映画というか。それの時評、公式書き起こしなんかもあるんで、それを参考にしていただきたいんだけど……『オズの魔法使い』のドロシー役ジュディ・ガーランドは、その『ジュディ』の中でもほのめかされていましたが、超大物プロデューサーのルイス・B・メイヤーをはじめとするハリウッド映画産業、男たちが仕切るあの世界で、まあ事実上やっぱり搾取され。そして性的なものを含めて、おそらくは虐待というか……虐待的な環境もあり、精神のバランスを崩していく、っていうことなんですよね。

一方、今回『Pearl パール』の劇中、かろうじてその映画界への足がかりになってくれそうかな?っていう、このデビッド・コレンスウェットさん演じる映写技師の男が、とはいえ、パールは「映画を観たい」って言っているんだけども、そのパールに早速見せるのは、さっき言ったハードコアポルノ(スタッグフィルム)なわけですね。で、「いやー、君が出てるところ見たいな」とか、「君もね、こういう映画に出れるよ」とかなんとか言うんですね。つまり、彼女の夢っていうのが、なんて言うんですかね、仮に叶ったところで、その先が、本当に彼女が元々望んでいたような場所なのかどうか……っていうことですよね。ハリウッドでスターになったところで……『オズの魔法使い』の主役でさえ、そんな目に遭ってるんですよ!っていうことだから。つまりその、ハリウッド映画とか、夢の工場としての映画というものの、影の部分っていうのがやっぱり、裏テーマとして通ってるわけですね。で、僕が言ったその「仮に夢が叶ってもその先に何があるのか? どんな場所なのか?」っていうのは、ひょっとしたら次作『MaXXXine』が、「その先」を描く話なのかもしれない、ということかもしれません。

コロナ禍の現在ともつながる普遍的な構図。落涙を誘う傑作!

そしてですね、「人生、こんなはずじゃなかった」というのを、主人公、登場人物たちは、何度も繰り返します。「人生、こんなはずじゃなかった」という後悔や、「ここではないどこか」を狂おしく思うことでしか生きられない、という感覚。一方で、そういう渇望を煽ることで巨大化していく「夢」産業、夢売り産業、というこの構図は、完全に普遍的なものですよね。それが映画でなくたって……(今なら)SNSかもしれないし。でも、この構造だけは変わらないですよね。むしろ巨大化してる、と言ってもいいかもしれない。

あまつさえ1918年、スペイン風邪の流行下、という背景なんです。誰もがマスクをし、隔離生活を余儀なくされ。お父さんはひょっとしたらそれの後遺症でああなっているのかもしれない、という設定……現在との連続性、どう考えてもこれは意識せざるを得ない、という作りにもなっているわけですね。

クライマックス、背水の陣で挑んだオーディション。結果は知ってますよ。『X エックス』でああなってるんだから、結果は知ってる……だからこそ、胃がちぎれそうだし、でも応援したい。「頑張ってくれ!」ってなるし。そして、7分にもわたるこのパールの独白。本当に見事なミア・ゴスの熱演。『X エックス』で「ブロンド、嫌いなのよ」って(いうパールのセリフ)、そういう理由だったんですね、っていう……からの、あの見事な長回しワンショット、というのもあったりしますし。

そして、先ほどから言ってるエンドロールの切なさ、悲しさ。僕はちょっと、落涙が止まらないラスト、エンドロールでしたね。ということで、もちろんホラーであると同時に、でもこれはやっぱり、メロドラマですね。見事な見事な、上質な……「上質な」って言っていいのかな、厳しいメロドラマ。そして今度はだから、「ジャンル映画論ジャンル映画」だったのが、今度は映画史批評というかな、ハリウッド映画史裏批評、みたいなところも入ってるという。非常に視野が広がってるし、深く、射程も伸びたということで。端的に言って、この『Pearl パール』ができたことによって、『X エックス』も含めたこの三部作、とてつもない大傑作になる可能性が高まったというか……ちょっと『MaXXXine』を並べてみて最終的にはジャッジしたいけど。この『Pearl パール』単体でも僕、すごい傑作になってると思います。

いよいよ『MaXXXine』、楽しみになってまいりましたし、タイ・ウェスト、大したことをやらかしたんじゃないでしょうか? 前作『X エックス』がね、長編映画監督としては久々の復帰作になったわけですが、それにして、ついに弩級のこの三部作をものにしつつあるのではないか、という。そして、やっぱり「映画論映画」でもありますんで……一番観るのにふさわしいのは、当然、映画館、劇場なんで! ぜひぜひ劇場で、ウォッチしてください!

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