朝の放送とは思えないほど濃密な対話が繰り広げられたTBSラジオ「パンサー向井の#ふらっと」。6月25日のゲストは映画『国宝』を手がけた李相日監督でした。
映画への道は「悶々とした大学生活」から始まった
李監督が映画の世界に魅了されたのは子供の頃。1980年代、『E.T.』を観るために映画館の階段に座って鑑賞した経験が「原体験」と言います。しかし、映画製作の道に進むことを決めたのはずっと後のこと。新潟で育ち、経済学部に進学した李監督は、特別目的なく大学生活を過ごしながらも、就職を考える時期になって「やっぱり映画をやりたい」と思うようになりました。
「監督とか脚本は、当時は本当に一握りの天才がやるものだと思っていた」と語る李監督。最初は経済学部出身を活かしてプロデューサーを目指したものの、映画学校ではプロデュース学科がなく、次に志望した脚本学科も人気で落ちてしまいます。結果的に演出科に入り、その卒業制作が思いがけず「ぴあフィルムフェスティバル」でグランプリを含む4つの賞を受賞。これが映画監督としての道を開くことになりました。
運と出会いが生んだキャリア
李監督は自身のキャリアを「運が良かった」と謙遜します。通常なら助監督として10年、20年と積み上げていく道のりを、ピアの受賞をきっかけに飛び級で進むことができました。さらに、その作品が別のプロデューサーの目に留まり、東映の大作『69 sixty nine』に抜擢されるという幸運にも恵まれました。
こうした経験を重ねる中で、李監督はある出会いに大きな影響を受けます。それは映画祭で知り合った韓国の名監督、ポン・ジュノさんとの出会いでした。
『国宝』誕生秘話 ― 歌舞伎への思いと3時間の濃密な物語
『国宝』は吉田修一氏原作の小説を映画化した作品。任侠の家に生まれながら歌舞伎の道に人生を捧げた男・喜久雄を主人公に、50年におよぶ壮大な物語が描かれています。李監督は学生時代に観た『さらば、我が愛/覇王別姫』から日本の歌舞伎に関心を持ち、長年温めてきたテーマでした。
「悪人」という作品を完成させた時点で「自分で納得できる映画ができた気がして、改めて日本の伝統芸能、特に歌舞伎にもう一度目を向けて」映画化を考えるようになったといいます。
作品の上映時間は3時間近くと異例の長さですが、李監督はあえて映画館での公開にこだわりました。「ストーリーを紹介する意味なら配信もありえると思うんですけど、描くべきはこの喜久雄という国宝になる人間の生き様をどれだけ濃密に描けるか。それと歌舞伎を見ていただくのに、やっぱりスクリーンの音響と映像、大きな画面で没入していただいてこそ」と語ります。
最初の編集バージョンは4時間半もあったというこの作品。「前編後編にすると時代がどんどん飛んでいく。
役者たちの覚悟と監督の演出哲学
『国宝』の主人公・喜久雄役を演じる吉沢亮さんについて、李監督は「彼でしかやれないと思っていた」と断言します。共演の横浜流星さんについても「どんな難関にも乗り越えようとするストイックさ」を評価し、「喜久雄に対しての俊介として、同じように極めていただかないといけない」と考えたそうです。
役者たちは1年半にわたる稽古を重ね、歌舞伎の所作に取り組みました。「彼ら自身も絶対自分たちが歌舞伎役者さんのようにはなれないけど、どうやったら近づけるかという死ぬ気度みたいなものが伝わる」と李監督は語ります。
映画のなかでも印象的な”屋上シーン”では、李監督ならではの演出が行われました。「スカイラインという、夕方の夜になる直前の、正味30分くらいで撮りきらなきゃいけない」状況のなかで、最後のテイクでは彰子役を演じる俳優の森七菜さんに監督がセリフを変えるよう耳打ちし、吉沢亮さんには「振り向いて彼女の顔見て、なんか言ってくるから反応して」と指示しただけだったといいます。このアプローチが映画の中でも特に印象的なシーンを生み出しました。
映画づくりは"魂を削る"仕事
李監督は映画づくりの過酷さについても触れています。「1本映画撮るたびに、歯が1個抜けるんです」という意外な告白は、撮影中の緊張感を物語ります。「撮影中グッと噛み締めてる」ため、「撮影終わって作品出来上がって、数ヶ月経ったらインプラントを入れるはめになる」と言い、現在4、5本ものインプラントが入っているそうです。
「歯医者さんに言われたのが、プロ野球選手とかゴルフの選手とかがスイングする時にグッと力むあれぐらいの負荷がかかって割れる」と説明する李監督。「そういった物理的な犠牲を払っている」という言葉からは、映画づくりに命を懸ける姿勢が伝わってきます。
『国宝』の魅力 ― 音楽から没入感まで
映画のエンディングでは、King Gnuの井口理さんが歌う主題歌が流れます。
作品は海外でも上映され、上海やカンヌでも反響を呼びました。「やっぱり皆さん歌舞伎という入り口が非常に間口を広げてくれていると思う」と李監督。「本当に歌舞伎の演出は食い入るように見られていますし、終わった後皆さん拍手していただける。やっぱり『美しい』という言葉が一番聞こえてきます」と海外の反応を語りました。
「劇場での没入感を是非味わっていただきたい」という言葉で番組を締めくくった李監督。映画『国宝』は現在も全国で絶賛公開中です。歌舞伎と映画が融合した、この3時間の美の世界をぜひ劇場で体験してみてはいかがでしょうか。
(TBSラジオ『パンサー向井の#ふらっと』より抜粋)