長崎県の小さな島で幼少期を過ごし、アイドルとして芸能界入りした長濱ねるさん。現在26歳(放送日7月25日時点)の彼女が紡いだエッセイが、来年から高校1年生の国語教科書に掲載されることになりました。

TBSラジオ「パンサー向井の#ふらっと」に出演した長濱さんは、その原点となる島での記憶や、自身の表現者としての姿勢について語りました。

小さな島が育んだ好奇心

「3歳から7歳まで五島列島で過ごして、小学校に通っていました。その後も中学3年生くらいまでは毎年夏休みに1カ月は島で過ごしていました」と語る長濱さん。島での生活は、現在の彼女の感性に大きな影響を与えています。


「遠足では、みんなで『耳かき網』という網で魚を取りに海に行くんです。お母さんたちがあら汁にしてくれて、みんなで飲んだりしていました」


1クラス10人もいない小さな学校で、カラオケや美容室もない環境。兄について木登りをしたり、自然の中で遊ぶ日々が、長濱さんのルーツになっています。


「根本に野性児だった時の生きていくサバイバル精神があります。教会が多く世界遺産にもなっているので、神聖なものへの憧れや敬いの気持ちも心のどこかにずっとあるような気がしています」

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突然の東京行きと芸能界デビュー

高校生まで島と長崎で過ごした長濱さんが、突然東京へ行きたいと思い立ったのは高校生の時でした。


「当時、乃木坂46さんが大好きで、その妹分のグループができるというので、人生で初めてオーディションを受けました。親にも言わずにオーディションを受けていたので、親はびっくりしていました」

教師の家系で育ち、姉も学校の先生になるなど、ある程度将来が見えていた中での急な方向転換。当初は反対された長濱さんですが、2015年にアイドルグループ欅坂46のメンバーとして芸能界デビューを果たします。

「幼い頃からずっと芸能界やアイドルに憧れがあったというより、別の遠い世界として楽しんでいました。当時の衝動は自分としてはすごく珍しい感情でした」

自己探求の日々と新たな挑戦

グループ卒業後は約1年間休業。コロナ禍で留学の夢も叶わず、その時間を自分を見つめ直す期間に充てました。


「本当になんかリラックスして金髪に染めてみたり、免許を取ったり、ピアスを開けてみたり...アイドルではなかなかできないことをやって楽しんでいました」

その後、好きだったバラエティ番組『セブンルール』のオファーをきっかけに芸能界に復帰。現在は日本テレビの報道番組『NEWS ZERO』の火曜パートナーとしても活躍しています。

「報道に参加させていただくと(周囲が)すごいかっこよくて。報道の方もそれぞれの担当がビシッと決まっていて。生放送中に新しく速報が入ってきたり、どんどん番組が作られていく感じが、今までの自分のスピード感とは全然違いました」

長濱ねるの文才の源泉。教師の家系とアイドルの経験

国語教科書に載る文章を書いた瞬間

長濱さんがエッセイを書き始めたのは、この仕事を始めてからだといいます。元々本を読むのが大好きで、図書館にいるような子供だったそうですが、自分の思いを言葉にする機会はブログやエッセイの執筆を通じて増えていったようです。


「3年前に出版したエッセイ集から選ばれて、1年くらい国の審査があって、来年の春の高校1年生の国語の教科書に載ることになりました」


掲載される文章は、長崎県出身の彼女が小さい頃から受けてきた平和教育と、『NEWS ZERO』の取材で訪れた沖縄での経験から感じたことを綴ったものだといいます。


「授業中に教えられているところ以外を、こっそりペラペラめくって読んでいたので、すごく嬉しくて胸いっぱいです」

新たな写真集と今後の展望

インタビュー当日は、長濱さんの2冊目となる写真集『長濱ねる』の発売日でもありました。アイスランドとフィンランドで撮影されたこの写真集について、彼女は「今回はNGを出さずに、自分の気持ちよりもカメラマンや周りの方に委ねることを意識しました」と語りました。


4年ほど前に一人で訪れたアイスランドに再び足を運び、大好きな写真家・高橋洋子さんのレンズを通して等身大の自分を表現したといいます。

今後については「全部に100%で向き合い続けるのはキャパが足りない」と語り、「30代、40代に向けて少し絞っていきたい。今はお芝居をちゃんとやっていきたい」という思いを明かしました。

小さな島で育った少女が、国語教科書に載る文章を書く表現者へと成長した軌跡。

これからも彼女の言葉と表現に注目が集まりそうです。

(TBSラジオ『パンサー向井の#ふらっと』より抜粋)

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