中澤大輔さん
2009年生まれの現役高校生。80年代の好景気バブル時代に詳しい博士ちゃんとして、テレビ朝日の番組『サンドイッチマン&芦田愛菜の博士ちゃん』で活躍しています。
JK:かわいいよね、15歳!
中澤:よろしくお願いいたします。
出水:先週同様、中澤さんとジュンコさんは「~博士ちゃん」の大阪関西万博ロケでインタビューしたんですよね。中澤さんはジュンコさんにどんなことを聞いたんですか?
中澤:バブルの頃は肩パッドが入ったダブルのボディコンスーツが流行っている中、ジュンコさんのファッションは周りと違ったファッションで、そういうオリジナリティはどこにあるのかって訊いた際に「コピーをするのはアマチュアだ」とおっしゃったのが印象に残ってて・・・そういうことか!ってすごい思いましたね。
JK:何をやっても環境的に怖くなかった。それがバブルかもしれない。「調子に乗るな!」みたいな(笑)でもあの時代があるから一歩前に出たかな。
JK:中澤さんはバブル時の経済や建築文化について幅広く精通していますが、そもそもバブル時代にフォーカスして掘り下げようと思ったきっかけは何だったんですか?
中澤:もともと鉄道がすごく好きで、昔の鉄道について調べた時、もう引退してしまったんですけど、リゾートエクスプレスUっていう団体専用の列車があったんですね。
JK:どこからどこまで走るんですか? どの沿線でも行かれるの?
中澤: JR東日本の管轄内であれば大体の場所には行けた列車なんですけど、何よりも面白かったのが、中間車両にディスコがついてたんですよ! 実際車内でもディスコっぽい音楽が流れてたっていうので、すごい憧れて。
出水:知らなかった! 中澤さんはダンスも好きなんですか?
中澤:ディスコは好きで、1年に1回新宿で未成年でも入れるようなディスコイベントがあって、そこに毎年行っていて、この前で3回目。ある程度ステップを覚えて、周りの人たちと踊ったり。
出水:同じくらいの年齢の人います?
中澤:いないですね、僕が知ってる限りでは(^^) 当時ディスコに通ってた方と一緒に踊ったり。
JK:電車でディスコっていうのは、実現する気になればできますよ!
出水:ジュンコさん好きそう(^^)
JK:建築家では誰が好き?
中澤:僕が好きなのは隈研吾さん。
JK:写真は撮らないの? 自分の好きな建築家シリーズじゃないけど、写真を撮ったらいいですよ。
中澤:ガッツリ撮りました(^^)建築をたくさん見続けていると「あ、これバブルのオーラがあるぞ」ってわかるんですね。調べたら案の定89年竣工とか90年竣工とかだったりするので、見つけたら必ず資料のスクリーンショットと建物の写真は撮るようにしてます。あとはマップに、どこにどういう建築があって何年竣工かというのもちゃんとメモするようにしています。
出水:バブルの建築ってどの辺りで見分けるんですか?
中澤:普段はオーラって説明しちゃうんですけど、なかなか普段見てない人にはわかりづらいと思うので・・・
JK:わかります。言葉じゃないですよ、感じるものだから。
中澤:そうなんですよ! 初めてわかる人に出会えた気がする! たくさん見ていると当時の雰囲気とか、使われている材質とか、曲線の雰囲気とかで見分けられるようになってきますね。
出水:バブル期に建てられたリゾートマンションお好きだそうですね。
中澤:僕が一番好きなのは、伊豆のリゾートマンション「ロワジール」。異常なくらいに設備をふんだんに取り入れていて、例えばレストランとかプールはもちろん、温泉もついて、今は使えなくなっちゃってるんですけど、これまたディスコルームがあったんですね!
JK:ディスコ好きなのね(笑)
中澤:しかも僕が一番好きなディスコが、かつて新宿にあった「ゼノン」なんですけど、この雰囲気をちょっと取り入れたような部屋がロワジールにあって。ゼノンは客層の雰囲気とかも含めて全てが好きですね。
JK:ニューヨークのスタジオ54はもう最高でした! ただ、入り口で入れる人と入れない人に分けられるの。まずカッコよくないとダメ。ちょっと人種差別じゃない?ってくらいハッキリ言うのよ、あなたダメ、この人ダメって。3人で行って1人だけ良かったりする。そのためにみんなカッコよくしていくわけ。
中澤:それで言ったら、当時流行ったマハラジャとかもドレスコードがあったり、男性のみでの入店禁止とかもあって、ニューヨークに比べたら緩いですけど、若干引き継いでるような感じはしますね。
JK:東京ではMUGENっていうのもあったの。私もう入り浸りだった。日本のディスコの始まりだから、そこにもいろんなすごいタレントが来るんですよ。
中澤:いいなぁ、うらやましい~!!!! 今、学校でスマートフォンの依存を減らそうみたいのをやってるんですけど、ディスコとかそういう場所で楽しんでる時はまったくスマートフォンとか気にならないで楽しめるんだ! っていうことに気づいて。
JK:今の若者のためにもいいかもしれない!
中澤:そうなんですよ、やっぱりスマートフォンだけじゃ見れない世界があるっていうのはみんなに分かってほしいですね。

出水:昭和から平成にかけてのバブル好景気のエピソードで、現在15歳の中澤さんが驚いたベスト3を選んでいただきました!
中澤: 3位はバブルの終わり頃ではあるんですけど、1992年に大手派遣会社の入社式がジュリアナ東京を貸し切って行われたんですよ! どこかを貸し切っての入社式はできるかもしれないけど、入社式を、あのジュリアナ東京でやっちゃうっていうのがぶっ飛んでいる感じがして! イケイケな雰囲気が最高ですね!! ただ翌年はバブル崩壊の影響で、入社式がボランティア活動に変わったらしいです。だからこれを見て入社しちゃった人は「ええ~っ!」ってなっちゃったんじゃないかなと思います(^^;)
出水:だいぶ落差ありますね~(T.T) 勢いがあったんだなっていうのが分かります。第2位は?
中澤:これは実現しなかったんですけど、山手線の内側すべてを使って高さ1万メートルのタワーを150年以上かけて作っちゃえ!っていう案が出たんですよ、バブルの末期に! ぶっ飛んでいて、これを知った時は「なんじゃコレ!」って思いました。
JK:150メートル?
中澤:いや、1万メートルです! もう宇宙まで伸びちゃう! どこかの大学の教授が言い出したらしくて、「大学の教授がこんなことを言い出すのか?!」って。
JK:それがバブルだ(笑)
出水:バブル時代って発想が大きくなりやすいですよね、飛躍してもいいというか。
JK:浮ついてるっていうか、通っちゃうんだよ。今思うとよくあんなこと言ったな、みたいな。でも実現したら本当にすごかったわね。
中澤:実現した姿もちょっと見てみたかったけど、やっぱりいろいろ問題点もあったりすると思うので。
JK:相当土地の確保が・・・(^^;)
出水:知って驚いたエピソード第1位は?!
中澤:1989年に横浜で横浜博覧会があったんですけれど、あまりにも交通にお金をかけすぎてるっていうのでびっくりしたんですね。博覧会のためだけに、新たな鉄道の路線と、ロープウェイと、新たなリニアモーターカーの路線まで作っちゃって、開催期間が終了したらすぐに撤去するっていう! こんなことをしてしまうのか!って本当に一番驚きましたね。
出水:実際に竣工して運用されたんですね?
JK:実際に使った人もたくさんいます。
出水:中澤さんが思うバブル時代の代表曲も選んでいただきました。
中澤:山下達郎さんの「クリスマス・イブ」。今の季節とは真逆ですけど、バブルの代表曲といったらこれは欠かせないんじゃないかなと思います。80年代の曲に詳しくない人でも1回は聴いたことある曲ですから、この曲が与えた影響はすごく大きいんじゃないかなって思いますね。僕が初めて聴いたのはJR東海のCMのクリスマスエクスプレスで、初めて聴いて「いい曲だな、バブリーだな」って。曲自体はバブリーより前になってしまうけど、CMとのマッチがすごく良くて。
JK:その時はまだもっと若いわけでしょ?
中澤:小学生ぐらいの時ですね。もう1曲はTUBEの「シーズン・イン・ザ・サン」。夏の定番曲ですよね! 1986年に発売されて、まさにバブルと夏を共に駆け抜けたような1曲。
JK:今日はいろいろ教えてもらえるね(^^)
中澤:この曲は僕も大好きで、海辺とかに行っちゃうとついつい聴いちゃいますね。湘南行ったり熱海に行ったりすると必ず聴いてます。
出水:同級生に昭和の名曲をお勧めすることはありますか?
中澤:同級生で1人、70年代の曲を好きっていう子がいて、偶然数学の時の席が隣だったんですよ。仲が良いんで、数学の授業中にこっそり2人で歌ったりとか(笑)バレてないんで怒られはしないですけど、その授業はすごく楽しいですね。
JK:いいのか~? でもいいですね、そういう思い出っていうのは。あなたまだ若いけど、大きな夢ってあるでしょう?
中澤:今はやりたいことがすごく多くて、何から手をつけようか毎日迷ってて・・・まず1つ挙げるとすれば、喫茶店を経営したい。
JK:どんなようなイメージ?
中澤:それこそ昭和な、80年代を意識した喫茶店にすごい憧れてて、そういう雰囲気を復活させたいなって。地域に寄り添えるようなお店も作りたいです。あとは普段、ちょっと歌詞を書いたりとかしてるんですよ。ほんと趣味程度で下手なもんですけど、それをいつか歌ったりできるようになりたい。自分が歌いたいのもありますし、誰かに歌ってほしいっていうのも。
JK:楽器はできるんですか?
中澤:アコースティックギターを少しやっているので、ちょっとできますね。ただ作曲がまだ上手くいかないんで、ここから練習だなと。
JK:すごい時代を作ろうとしているわよ! やっぱり都市計画といってもただ住むだけではなくて、街をファッショナブルにして、みんなが生き生きする時代を作るわけだからね。自分で建築家にはなりたくないですか?
中澤:建物のデザインはすごい好きなのでそれも考えたけど、他にもいろいろ興味があって、そっちに手が回るかなって(笑)
JK:ご自分で、これはマサカっていうのは何ですか?
中澤:僕の中では「~博士ちゃん」の番組に出れたことがマサカでしたね。小学生から憧れていた番組のスタッフさんにお声掛けをいただけるなんて、もう嬉しすぎて! 出たいって気持ちがずっとあったので、嬉しすぎて今でもあの時の感覚とか気持ちは鮮明に覚えてますね。今こうやってコシノさんのラジオに出れてることもマサカですし。
JK:それも出会いですね。これから楽しみですね! 夢がいっぱいで、きっと実現しますよ!

(TBSラジオ『コシノジュンコ MASACA』より抜粋)