「戦争を知らない子供たち」という曲は反戦の歌として知られていますよね。今日、戦後80年という節目を迎えますが、戦争を知らずに育った最初の世代が80歳になる、ということになります。
しかしながら、悲しい事に、世界では今でも紛争が絶えません。戦争を知っている、身をもって体験している子供たちが大勢いるのも現実です。そこで今日のテーマです。
「あなたは、今、世界で起きている紛争を気にかけていますか?」
紛争地を身近な存在に感るので、気にかけています
「基本的には気になりますね。結構、海外の友達がいるもんですから。積極的にやるわけじゃありませんけども、時間があれば、ユーチューブとか、オールドメディアとか、全て見ています。」
「もちろん気にかけていますね、そりゃもう。私、仕事の関係で、昔、40年以上前にイスラエルのガザに入ったことがある。当時としては珍しかったと思うんですけど、結構、紛争地域、レバノンとかも行ってましたし、危ない目にも遭いましたけど、アフガニスタンとか。あと当時、一緒に過ごした人がそういう砲撃とかで亡くなったりとかというのもありましたし、そこに居た普通の人が、ああいう形で残虐に殺されていくってことは非常に嫌な気持ちになります。」
身近な存在として感じているんですね。最初の方は海外のお友達がたくさんいらっしゃるし、最後の方は紛争地域で
お仕事をしていた(貿易関係の仕事)経験があるので、気にかけている、と。心配ですものね。
正直、遠くに感じてしまうので気にかけてないかも
一方、こういう声もありました。
「いや、ほとんど気にかけてないですね。ちょっと自分が生きるのが精一杯で、あんまり、目を向けてないというのが実態です。」
「いや、テレビで見るくらいで、そこまで気にかけてはいないです。
「いや、紛争は分からないです。気にかけてないかもしれない。あんまり、知らない。ま、ちょっと知ってますけど、でも、ほとんど知らない。」
「正直、ニュースで見る時は、あぁ~そういうこともあるんだっていう風には思うんですけど、気にしてないことのほうが多いですね。あぁ、自分に関係する人がその状況にないからですかね。自分と関わりがあれば、考えざるを得ないけど、そういうわけでもないというか、なんとく遠く感じてしまっているところがあると思うので、そういう所じゃないかと思います。」
遠く感じてしまう・・・正直な胸の内なのかもしれませんよね。物理的にも遠い場所だし、最初の声ではありませんが、身近な存在がそこにいる、という状況でもないと、なかなか・・・なのかもしれません。
悲しみも怒りもあるけど、キレイ事じゃないのか?自問自答の日々
そして、こんな気持ちの方もいました。
「気にかけてはいます。ツライですよね。特に小さい子供たちが出てくる映像とか見るとツライなとは思いますけど、でも、何か出来るわけでもないので、見て見ぬフリじゃないですけど、出来ない自分ももどかしい、悲しい気持ちになりますね。」
「もちろん気にかけてますね。怒りが強いですよね、やっぱり。ただ、自分が何も出来ないからね、たまに募金があれば募金をするくらいしかないし、そういう意味でも自分の力の無さもそうだけど、だから、悲しみと怒りと、怒りの方が僕は強いな~。
もどかしいし、複雑な心中。気には掛けているけど、行動に移せない自分がいるわけです。悲しみもあるし、怒りもある。だけど、じゃあ実際、何かアクションを起こしているのか、キレイ事じゃないのか、自問自答している。そんな気持ちの方は多いのではないでしょうか。個人で出来ることは限度がありますからね。
今すぐ何かを出来なくても、心にとどめておくことで今後へ
最後にこんな声もありました。
「気に掛けてはいるんですけど、あんまり、自分の実際の生活とは別世界のような話として捉えてる気がします。
なんか感情移入しすぎても、やっぱ自分の健康とかが第一の上で、でも、それを一切無視するってことはやっぱり、出来ないというか。
でも、友達によってはインスタとかで、そういう記事を、ガザの紛争とかで今日はこれだけ被害者が出たというニュースとかをインスタのストーリーとかでシェアして、寄付金とか募る人もいれば、そういうのをしなくても、それが起きてるってことだけを知らせる人もいるので、それを心に留めておくってことは、追々、今後もうちょっと、直接どこかで自分が還元出来たらいいなと思います。」
この方、30代ということでしたが、色んなことを考えたり、感じたりしていました。
今はまだ、行動を起こせなくても、今後、何か出来るといいですし、たとえ何もできなかったとしても、世界の紛争にも目を向けておく、そして、自分のもとに引き寄せて考えておく、こういうことが大事だな、と改めて思いました。
(TBSラジオ『森本毅郎スタンバイ』より抜粋)