スペック競争の先にある、テニスの「景色」
現代のテニスギアは、魔法のようなテクノロジーの塊だ。オフセンターでもボールを飛ばし、スピンを自動的に補完してくれる。効率と勝率を追い求めるあまり、我々は「道具を操る手応え」や「コートに立つ高揚感」をどこかに置き忘れてはいないだろうか。「進化」を止めたラケットの正体
その象徴が、今なお多くのファンを虜にするウイルソンの名器「プロスタッフ」だ。最新の15代目(プロスタッフ クラシック)は、驚くべきことに"V15"という名を与えられず、「クラシック」という名がつけられた。これは単なるネーミングの話ではない。現代のテニスに合わせることをやめ、ブランドが原点回帰を宣言した瞬間であるからだ。ここ数代のプロスタッフは、ロジャー・フェデラーという稀代の天才の影を追い、高速化する現代テニスに対応するため打球感を硬くし、スイートスポットをトップ寄りに設定してきた。しかし今作は、その歩みを止めた。前作が引っぱたくような反発系のラケットだとすれば、クラシックはオールラウンドで柔らかく、フェースにボールが乗る感覚を重視している。数値上のスペックは変えず、かつての「食いつき」を再現したのだという。「脱・ロジャー」を経て、ブランドはプロスタッフのアーカイブとしての価値を再び認め、伝統の打感へと回帰した。
三大名器に見る「語れる」バックボーン
プロスタッフの歴史を語る時、そこには必ず「名器」と呼ばれるライバルたちの影がある。1978年、オーバーサイズの先駆けとして登場したプリンスの『グラファイト』。
Prince『グラファイト』を使用して史上最年少17歳3か月で全仏オープンを制したマイケル・チャン(Photo by Getty Images)
1987年には、ヘッドの『プレステージ』が伝説を刻み始める。プレステージは、他の名器とは少し異なる立ち位置にある。それは“誰にでも扱える名器”ではなく、「選ばれし者だけが扱える」という物語をまとったラケットだからだ。硬質なフレームの奥に潜む繊細なコントロール性能。一球一球を“削り出す”ような打球感。プレステージは、テニスに求める美学そのものを問う。「上手くなるために使うのではなく、上手くありたいから使う」。そんな矛盾した贅沢を許してくれる稀有な存在だ。
HEAD『プレステージ』を愛用したゴラン・イバニセビッチ(Photo by Getty Images)
そして1983年、伝説の「85インチ」から始まったウイルソンの『プロスタッフ』。男子ツアー最多109勝のジミー・コナーズ氏との共同開発で誕生し、2代目が発売されるまで同じラケットが18年間も発売され続けた。テニスの歴史が変わった日とも言われる2001年ウィンブルドン4回戦、同大会を7度制した芝の王者ピート・サンプラスが当時19歳のフェデラーにフルセットで敗れた。この時、2人の手に握られていたのも初代プロスタッフだった。同じラケットを握った者が王座を引き継ぐ——プロスタッフは、時代を選ばない。
”テニス界の貴公子”として活躍したステファン・エドバーグもウイルソン『プロスタッフ』を使用(Photo by Getty Images)
これら三つの名器に共通するのは、40年以上経っても色褪せることなく、その名前だけで当時のテニスシーンを想起させる力だ。現代のラケットは機能の説明はできても、「物語の共有」ができるものは少ない。プロスタッフで言えば、カーボン製ラケットが世に出始めた頃、他社が硬い打感に走る中、この一本だけは独特の柔らかい乗り感を持っていた。「カーボンなのにウッドのような食いつき」こそが、多くのチャンピオンを虜にした正体だ。セントヴィンセント製はどうだといった製造国や製造時期などうんちくを語り合えるラケットが他にあるだろうか。グラファイトやプレステージを愛用していた人たちにも、同じように語り合える記憶と物語がある。名器とは、テニスラケットを介して40年前に戻れるタイムマシンのようなものだ。
「背伸び」して持つ贅沢、ジャケ買いの肯定
「下手なのにプロスタッフなんて……」と冷やかされることを恐れる必要はない。フェラーリを日本の道路で走らせることに意味があるかどうか、という問いと同じだ。意味は、乗る人間が決める。初代85インチを踏襲した赤と黄色のライン、マットとグロスの組み合わせ、初代ロゴのオマージュ。これらはすべて「所有する優越感」のために用意されている。スペックを気にするユーザーが多い時代だが、デザインでジャケ買いしたっていい。勝つとか上手くなるというベクトルだけでなく、好きなものを持って、かっこよくコーディネートして、コートに立つ。それが楽しければ、何も間違っていない。テニスは本来、もっと自由でかっこいいものだったはずだ。
最高の仕上げ:自分だけの一本を作る作法
愛着のあるラケットを手にしているなら、セッティングにもこだわりたい。現代テニスで主流のポリストリングではなく、ナチュラルガットや柔らかい打球感を味わえるナイロンマルチを選ぶことで、ラケットが持つ本来の打感が最大限に引き出される。さらに、純正品ではなく、かつて多くの選手が好んだFAIRWAYのレザーグリップを巻き、その上にトーナのオーバーグリップを重ねる。そうした「儀式」をなぞることで、このラケットは真に自分のものになる。道具への愛着を積み重ねることが、「嗜む」という行為の本質でもある。クラシックへの回帰は、ラケットだけの話ではない
こうした潮流は、ラケットに限った話ではない。昨今、多くのファッションブランドがテニスをテーマにしたコレクションを発表しているが、そこでリバイバルされているのは一様に「一昔前のスタイル」だ。ポロシャツやチルデンニット、ナイロンのセットアップといった、少し懐かしさのある装い。テニスは公式大会でない限り、ユニフォームの規定に縛られない自由な競技だ。昔使っていたウェアを引っ張り出すのもいいし、当時のアガシが着ていたようなシルエットをあえて今選ぶのも趣がある。そうした装いに身を包んだとき、やはりそこにあるべきはグラファイトやプレステージ、あるいはプロスタッフ クラシックではないだろうか。
「今のテニスからは少し外れているかもしれない。でも、それでいいじゃないか」
その潔さこそが、今、大人のプレイヤーが求めていた「テニスを嗜む」という豊かさそのものなのかもしれない。



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