港町駅の川崎大師側の踏切を渡ります。
次の鈴木町駅方面。
かつての日本コロムビア川崎工場があった場所はタワーマンション「リヴァリエ」が建っています。左側の見えていないA棟、真ん中のB棟は29階建て、奥のC棟が28階建て。手前のB棟は上まで写真にはおさまりません。
見上げるとこんな感じ。昔の広告写真みたいですね。
北側の改札口に行きます。駅舎全体が見えます。
2013年(平成25年)北側のタワーマンションに合わせて作られた北口改札。京急さんのホームページにはマンション販売前の2011年(平成23年)の平均乗降人員約3000人/日が、2016年(平成28年)末時点で2倍以上の約7000人/日に増加したとありました。タワーマンション3棟で1388戸あります。
大師線の反対側、国道409号線「大師道」に行って「川崎歴史ガイド 東海道と大師道」を探します。まず「レコード製造の始まり」を見つけました。
記載内容は以下です。
いち早く川崎に進出した日本蓄音機製造株式会社。明治42年、日本最初のレコード製造がこの工場で始まった。今日まで心に残る数々の名曲がここから全国へ送り出されている。
背後には工場跡地に建てられたタワーマンションが見えます。
国道沿いをウロウロしたおかげで他の「川崎歴史ガイド 東海道と大師道」も発見しました。
「消えた地名久根崎」
この辺りは、かつて久根崎と呼ばれ、江戸時代には川崎宿を構成した町の一つ。明治後期から、水運の便に着目され近代工場が次々と建ち並んだ。町は変わり、地名「久根崎」は消えた。
確かに国道の北側は港町、南側は旭町という地名です。交差点に地名が保存されていました。
国道を少し西に行くと川崎競馬場があります。
ここにも「川崎歴史ガイド 東海道と大師道」があります。
富士紡績と競馬場
大正の初め、競馬場跡地に東洋一の紡績工場を建て、川崎の工業都市化を決定づけた富士紡績。女工二千人。沖縄出身者も多く、沖縄芸能が川崎に根づいた。戦後、跡地は再び競馬場に。
最初の競馬場は明治39年(1906年)川崎競馬場の開設でした。社長は「土佐のいごっそう」「板垣死すとも自由は死せず」の板垣退助伯爵。しかし競馬の過熱が社会問題となり、わずか2年で閉鎖。約13万坪の跡地に富士瓦斯紡績川崎工場が作られ、1915年(大正4年)操業を開始しました。多い時は6000人が働いていたそうです。この中に沖縄からの女工さん1000人がいました。
その跡地に1949年(昭和24年)に現在の川崎競馬場が作られたのです。
那覇市歴史博物館の「富士瓦斯紡績川崎工場に働く沖縄出身女工」に、女工さんたちの写真がのっています。
自動車の往来が激しい国道沿いで明治、大正、昭和の歴史に思いをはせるのは、何とも不思議な気分でした。田舎住まいの筆者には些か空気も悪い。(笑)
では港町駅から「味の素の町」鈴木町駅に向かって出発進行。
【駅ぶら03】京浜急行125 に続きます。
(写真・記事/住田至朗)



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