トップ画像は、JR西日本山陰本線玉江駅。三見駅前の県道64号線で到着。
西側から木造駅舎。妻壁の矢切に2つ並んだ通風口がデザイン・ポイントかな。屋根は残念ながら瓦ではなくトタン葺きです。

東側。壁の左側に「三町内集会所(憩の館)」という看板。駅前には萩山口信用金庫「キャッシュサービスコーナー」の小屋が設置されています。

駅出入口。本屋の屋根がトタン葺きなのに出入口の庇は瓦葺きです。駅舎には左右に縦長のデザインされたユニークな窓が二ヵ所あいています。

出入口の右側に建物財産標。昭和15年3月30日となっています。

出入口の左側にこの様なものが掲出されていました。「鉄道の父 井上勝」です。残念ながら文字がかすれて一部は判読が難しい状態です。

内容は以下です。文字のかすれて読めない部分は適当に想像して書いています。
天保14年(1843年)萩藩士・井上勝行の三男として萩で出生。文久3年(1863年)伊藤博文ら5人とともに上海に渡航。同年9月ロンドンに遊学し鉱山学及び鉄道の実業を研究して明治元年帰国。明治4年鉱山頭兼鉄道頭になり、以後、鉄道局長、工部大輔、鉄道庁長官などを歴任。この間、わが国初めての鉄道新橋~横浜間を開通させたのをはじめ、神戸~大津間、東海道線などの建設工事を陣頭に立って指揮監督。とりわけ京都~大津間の建設には初めて日本人だけの手で工事を完成させ わが国の鉄道技術自立の契機となった。
井上勝は、上記以外にも大阪で汽車製造合資会社を設立、これが現在の川崎重工業車両カンパニーに発展してゆくのです。帝国鉄道協会の会長も務めた正に「鉄道の父」です。
駅舎内に入ると正面はホームへの改札口、と言っても簡単な切符回収箱があるだけです。ホームに上がる階段があります。

駅舎出入口を振り返っています。待合室の壁面には近隣の風景写真などが大量に飾られています。

凝った造りの窓口と小荷物取扱口は塞がれています。

待合室はガランと広い印象です。とにかく写真がたくさん飾られていました。

では次回は外に出てみます。
(写真・文章/住田至朗)
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