トップ画像、国立歴史民俗博物館の正面を通過。
「馬出し空堀」の前を歴博正面口の方に歩きます。

「馬出し空堀」案内。

内容は、
「城門前に築いて人馬の出入りを敵に知られぬようにした土手が馬出しであります。
この空堀は、明治初期より連隊造営のため埋めたてられていたもので、昭和46年から2回にわたる発掘調査により、長辺121m、短辺40mのコの字型、深さ5.6mの規模と確認されました。
復元にあたっては長辺、短辺はそのままとし深さを約3mとしてあります。」
「馬出し空堀」の西側を北に進みます。歴博の遠景。

「椎木門跡」の案内。門の写真があります。

「明治 大正 昭和 平成の 四世に亘る 佐倉醫のこころ 茲(ここ)に遺す 仁の心を腎に」と彫られた石碑。

左側の年譜によれば(略記)、
・明治7年 東京鎮台佐倉営所病院として創設
・昭和11年 佐倉陸軍病院になる
・同20年 国立佐倉病院になる
・同25年 国立療養所佐倉病院になる
・同52年 腎不全対策基幹施設 腎移植センターの機能付与
・同54年 江原台に移転
・平成16年 国立病院療養所再編で国立千葉病院に統合
・・・と日本陸軍の病院から戦後国立病院があった場所なのですね。
二ノ丸跡を通り過ぎて本丸跡の方に歩きます。佐倉城址公園は、広いです。

右側には空堀があります。

案内がありました。

内容。
「城の防御のための溝で水の無いものを空堀と呼びます。空堀は土塁とともに城を外敵から守るために掘られたもので、空堀を巧みに配置し城の守りとしています。また、水があるものを水堀と呼びます。」
臼井城の跡にも空堀が多くありました。
次回は本丸方面です。
(写真・文/住田至朗)
※駅構内などは京成電鉄さんの許可をいただいて撮影しています。
※鉄道撮影は鉄道会社と利用者・関係者等のご厚意で撮らせていただいているものです。ありがとうございます。