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※2022年6月撮影

トップ画像、肝試しコースを抜け出して、ようやく根古谷の集落に出ました。明るいので嬉しくなります。

田圃が拡がっています。

本佐倉城の全体像【駅ぶら05】京成電鉄 本線165
※2022年6月撮影

妙見神社参道入口に酒々井町教育委員会 生涯学習課 文化財班の「根古谷の館・城跡鳥瞰図」があります。

本佐倉城の全体像【駅ぶら05】京成電鉄 本線165
※2022年6月撮影

以下の内容が書かれていました。

「根古谷の館の前には、本佐倉城跡全景のイラスト鳥瞰図の看板が建っています。〈中略〉現在は水田のこの場所は以前は中池と呼ばれる池が存在し、その中には中島があり、弁天様が祭られていました。戦国時代当時には城内部の貴重な水源となっていたでしょう。現在の弁天社は根古谷館の脇にあります。」

その横に大きな「国史跡本佐倉城跡」の案内。

本佐倉城の全体像【駅ぶら05】京成電鉄 本線165
※2022年6月撮影

本佐倉城について知らないので写します。

「本佐倉城跡は、下総守護千葉氏が文明年間(1469~1486)に築城し天正18年(1590)まで約100年にわたり、関東有数の大名千葉氏の居城でした。城は、印旛浦に面する標高約36mの台地上に築かれ、東西約700m、南北約800m、面積35万㎡におよぶ城域の中に10の郭をもつ巨大城郭です。内郭群(1~7郭)と外郭群(8-10郭)によって構成されます。築城当時は内郭群の一部分程度の規模であったと考えられ、現在に残る城郭は戦国時代末期の最も発達した姿です。

城の構造は、千葉県北部に広がる北総台地の特徴である、台地とその奥深くまで谷津が入る複雑に入り組んだ地形を利用し、台地を削り谷を埋め、空堀や土塁を巧みに配し郭を作った「土の城」です。

本佐倉城跡は現在に残る貴重な文化財として平成10年9月11日に国の史跡に指定されました。」

その隣の「国史跡本佐倉城跡全体図」。

本佐倉城の全体像【駅ぶら05】京成電鉄 本線165
※2022年6月撮影

開発の手がほとんど入っていないというのが貴重です。

根古谷館に来ました。上の案内板は黄色い矢印です。その上に妙見社の鳥居があります。

本佐倉城の全体像【駅ぶら05】京成電鉄 本線165
※2022年6月撮影

脇の弁天様。

本佐倉城の全体像【駅ぶら05】京成電鉄 本線165
※2022年6月撮影

「本佐倉城跡鳥瞰図」

本佐倉城の全体像【駅ぶら05】京成電鉄 本線165
※2022年6月撮影

上の写真にあった看板はすっかり植物に囲まれていました。

本佐倉城の全体像【駅ぶら05】京成電鉄 本線165
※2022年6月撮影

「国史本佐倉城跡案内所」の方に城内郭跡の周囲を歩きます。

本佐倉城の全体像【駅ぶら05】京成電鉄 本線165
※2022年6月撮影

「酒の井の碑」の案内。

本佐倉城の全体像【駅ぶら05】京成電鉄 本線165
※2022年6月撮影

その下のマップ。

本佐倉城の全体像【駅ぶら05】京成電鉄 本線165
※2022年6月撮影

赤線が歩いてきた跡、黄色はこれから歩くルートです。

(写真・文/住田至朗)

※駅構内などは京成電鉄さんの許可をいただいて撮影しています。

※鉄道撮影は鉄道会社と利用者・関係者等のご厚意で撮らせていただいているものです。ありがとうございます。

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