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※2023年7月撮影

トップ画像は、多磨霊園駅から北、旧甲州街道沿いにある「染屋不動尊」。

境内に入るとすぐに「貯水池」と刻まれた石柱。

側面に「昭和27年9月3日建立」と読めますが、この場所に貯水池があったということでしょうか?

「染屋不動尊」に行きました【駅ぶら】06京王電鉄 京王線127
※2023年7月撮影

「上染屋」、府中市の「由来碑」があります。

「染屋不動尊」に行きました【駅ぶら】06京王電鉄 京王線127
※2023年7月撮影

記載は、以下。

「上染屋(かみそめや)の集落はもともと多摩川のほとり、小字でいえば、龍ヶ島・亀沢・鶴代の辺りにありましたが、度重なる洪水を避けて、現在の甲州街道沿いの白糸台1丁目の一部に移ったものといわれています。

地名の起こりは、俗説としては調布(てづくりぬの)を染めた所とか、鎌倉時代に染殿のあった所とかいわれ、染屋の名は南北朝時代の資料にも見えています。

古くは、染屋という一つの村落であったものが、時期は不明ですが上染屋と下染屋に分かれたものです。寛永12年(1635)の検地帳には、上染屋の名が記録されています。幕末の地誌『新編武蔵風土記稿』に「甲州街道の村にて、民戸53軒、往還の左右に並居」とあります。」

「上染屋八幡神社 重要文化戝 金銅阿弥陀如来立像

背面銘文 上州八幡庄 檀主友澄入道 弘長元年辛酉十二月

社傳に元弘三年鎌倉攻のとき新田義貞軍の持来ったものと言う」

・・・と読めます。左後の小さなお堂に国指定重要文化財の阿弥陀如来像が安置されています。

「染屋不動尊」に行きました【駅ぶら】06京王電鉄 京王線127
※2023年7月撮影

手と口を浄めて。

「染屋不動尊」に行きました【駅ぶら】06京王電鉄 京王線127
※2023年7月撮影

お不動様にご挨拶します。

「染屋不動尊」に行きました【駅ぶら】06京王電鉄 京王線127
※2023年7月撮影

扁額。

「染屋不動尊」に行きました【駅ぶら】06京王電鉄 京王線127
※2023年7月撮影

帰路「多磨村役場跡」の前を左に入ります。

空が晴れているのは8月に再撮に来たからです。

「染屋不動尊」に行きました【駅ぶら】06京王電鉄 京王線127
※2023年8月撮影

府中市立府中第四小学校の西側、駐車場の中にフェンスに囲まれた小山がありました。

「染屋不動尊」に行きました【駅ぶら】06京王電鉄 京王線127
※2023年8月撮影

武蔵野台駅【駅ぶら】で訪れた「八幡山本願寺」山門前にあった「車返」の「由来碑」には「旧境内跡地(市立第四小学校西側)には、彦四郎塚・首塚と呼ばれる古塚が現存し、往古をしのばせています。」と書かれていました。

府中観光協会のサイトに「本願寺」は「もとは現在の第四小学校にお堂があり、大久保彦四郎が兵火で焼けていた薬師堂を再建したことから、彦四郎寺と呼ばれていました。」とあります。

「染屋不動尊」に行きました【駅ぶら】06京王電鉄 京王線127
※2023年8月撮影

その大久保彦四郎の塚と思われますが、説明板等がないので詳細は分かりません。

次回は、多磨霊園駅から東府中駅に向かいます。

(写真・文/住田至朗)

※駅構内などは京王電鉄さんの許可をいただいて撮影しています。

※鉄道撮影は鉄道会社と利用者・関係者等のご厚意で撮らせていただいているものです。ありがとうございます。

※参照資料

・『京王ハンドブック2022』(京王電鉄株式会社広報部/2022)

・京王グループホームページ「京王電鉄50年史」他

下記の2冊は主に古い写真など「時代の空気感」を参考にいたしました

・『京王電鉄昭和~平成の記録』(辻良樹/アルファベータブックス/2023)

・『京王線 井の頭線 街と駅の1世紀』(矢嶋秀一/アルファベータブックス/2016)

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