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※2024年2月撮影

トップ画像は「久我山駅」吉祥寺側の端部から、筆者が乗って来た各駅停車吉祥寺行を望遠レンズで撮りました。謎解きイベント『鉄道探偵と氷点下2℃の幻影』のヘッドマーク付きです。

同じ場所から広角レンズで撮りましたが、吉祥寺行はもう見えません。

14年間 公共交通機関の出発駅でした【駅ぶら】06京王電鉄452 井の頭線83
※2024年2月撮影

ホームを渋谷側に歩きます。

14年間 公共交通機関の出発駅でした【駅ぶら】06京王電鉄452 井の頭線83
※2024年2月撮影

駅名標。駅番号は“IN 14”。

14年間 公共交通機関の出発駅でした【駅ぶら】06京王電鉄452 井の頭線83
※2024年2月撮影

井の頭線は、1933年(昭和8年)帝都電鉄が開業しました。その時に「久我山駅」も開業しています。帝都電鉄は小田急電鉄に合併されますが、戦時下の統制で京王電気軌道などと共に東京急行電鉄(いわゆる大東急)に合併されました。

戦後、1948年(昭和23年)大東急から民鉄各社が分離独立した際に「井の頭線」は京王の傘下になり社名も京王帝都電鉄になりました。1998年(平成10年)京王帝都電鉄は、会社創立50周年を記念して京王電鉄(株)に社名を改称しています。

何度か書いていますが、筆者は、1963年(昭和38年)小学2年生の夏休みに世田谷区北烏山(当寺は烏山町)に転居。爾来1977年(昭和52年)大学4年生の秋に小金井市に実家が移るまで14年間、専ら「久我山駅」が公共交通機関の出発駅でした。

久我山は、筆者が7歳から21歳までを過ごしたエリアなのです。

成長期の(ほろ苦い)思い出が山の様にあります。

「久我山駅」は【駅ぶら】史上でも最も古い話が多くなるかと思いますが、このエリアを御存知の同世代の方々には懐かしんでいただけると思います。

そんな昔話には興味ないよ、とおっしゃる若い世代にも「ふ~ん、昔はそんなんだったんだ」と面白がっていただける様に心がけますので宜しくお付き合いをお願いします。

・・・というワケで渋谷側のホーム端部に来ました。

14年間 公共交通機関の出発駅でした【駅ぶら】06京王電鉄452 井の頭線83
※2024年2月撮影

「井の頭線開業90周年」のヘッドマークを付けた渋谷行電車が出発して行きました。

14年間 公共交通機関の出発駅でした【駅ぶら】06京王電鉄452 井の頭線83
※2024年2月撮影

橋上駅舎に上がります。広いなぁ。

14年間 公共交通機関の出発駅でした【駅ぶら】06京王電鉄452 井の頭線83
※2024年2月撮影

改札口を出ます。正面には書店があります。

14年間 公共交通機関の出発駅でした【駅ぶら】06京王電鉄452 井の頭線83
※2024年2月撮影

改札の外から。

14年間 公共交通機関の出発駅でした【駅ぶら】06京王電鉄452 井の頭線83
※2024年2月撮影

きっぷ運賃表です。

14年間 公共交通機関の出発駅でした【駅ぶら】06京王電鉄452 井の頭線83
※2024年2月撮影

久しぶりの久我山、散歩が楽しみです。

(写真・文/住田至朗)

※駅構内などは京王電鉄さんの許可をいただいて撮影しています。

※鉄道撮影は鉄道会社と利用者・関係者等のご厚意で撮らせていただいているものです。ありがとうございます。

※参照資料

・『京王ハンドブック2022』(京王電鉄株式会社広報部/2022)

・京王グループホームページ「京王電鉄50年史」他

下記の2冊は主に古い写真など「時代の空気感」を参考にいたしました

・『京王電鉄昭和~平成の記録』(辻良樹/アルファベータブックス/2023)

・『京王線 井の頭線 街と駅の1世紀』(矢嶋秀一/アルファベータブックス/2016)

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