インテルで活躍したアドリアーノ photo/Getty Images
もっと凄いFWになれたのは間違いない
ブラジルの元祖怪物ロナウドに後継者がいたとするならば、それは皇帝アドリアーノだったのかもしれない。
ロナウドとアドリアーノはブラジル代表でも一緒にプレイしていた期間があり、2006年のワールドカップではロナウド、ロナウジーニョ、カカー、アドリアーノの超豪華4枚が前線に揃っていた。
このうちロナウド、ロナウジーニョ、カカーはバロンドールを受賞しているが、アドリアーノはそこから思うようなキャリアを描けなかった。しかし、能力的にはアドリアーノもバロンドールを狙えたのではないか。
アドリアーノは『Prime Video』でのルカ・トーニとのインタビューにて、父親の死から生活が乱れていったと振り返る。
「今の私のメンタリティがあれば、バロンドールを獲得できたかもしれない。しかし現役中は精神的に良くなかった。父の死後、サッカーが生活から遠いものになっていった。考えないように外出しても、翌日にはもっと酷くなっていたんだ。派手なパーティーをしたり、そんなことがしたかったわけじゃない。心が重かったんだ」
「当時インテルは私にうつ病治療の専門施設を紹介してくれたが、個人的に助けは必要ないと思っていたし、自分がやっていることは普通のことだと思っていた。それが大きな間違いだった。(元インテル会長)モラッティはできる限りの支援を申し出てくれたが、それを断った。私が間違っていたんだ」
ロナウドとはまたタイプの異なるセンターフォワードではあったが、アドリアーノは全てが規格外だった。