インテル時代全盛期の皇帝アドリアーノならバロンドールも獲れた...の画像はこちら >>

インテルでプレイしたアドリアーノ photo/Getty Images

2000年代前半のアドリアーノは凄まじかった

今月14日に行われたインテルVSユヴェントスの一戦には、インテルOBである元ブラジル代表FWアドリアーノも観戦に訪れていたが、アドリアーノにとってインテルは今も特別なクラブであり続けているようだ。

2001年にインテルに加入したアドリアーノは、フィオレンティーナとパルマでのプレイを経てインテルの主力に。

インテルでは3度のスクデット、コッパ・イタリアも2度制するなど成功を収め、強烈なインパクトを残した。同時期にはブラジル代表でも主力となり、コパ・アメリカ2004、コンフェデレーションズ杯2005では得点王にも輝いた。

しかしその後は最愛の父の死もあり、精神的に辛い日々を過ごした。それはパフォーマンスにも影響し、全盛期と呼べる期間はかなり短くなってしまった。

今回アドリアーノは『Betsson Sport』のインタビューに答えているが、もっと長く活躍できたはずとインテル時代を振り返っている。

「インテルはずっと第2の故郷だ。ミラノに来た際には、現役だった頃のサポーターのことを思い出す。他のチームのサポーターでさえ私を愛してくれて、写真を要求してくれたり、挨拶してくれるんだ。本当に素晴らしい思い出だよ。当時はロナウドやヴィエリなどテレビで見ていた彼らがそこにいたしね」

「もっと多くのことを成し遂げられたはずだけど、ある時点から変わってしまった。本当の皇帝(愛称)になるには、正しい心構えが必要なんだ。でも当時の私にそれは無かった。
父のことを考えすぎて悲しくてね。コパ・アメリカとコンフェデで得点王になったのに、父の死から辛くなった。サッカーのことなんて考えていなかったよ」

「(バロンドールも)獲得できたかもしれない。2004年にはシェフチェンコが受賞したけど、私も同じレベルにいたと思う。いつもそのことを考える。自分の映像を見返すと、あと3年か4年は高いレベルでプレイできたはずだ。もし正気でいられれば、バロンドールも獲れたかもしれないね。でも起きてしまったことは変えられないから」

確かに前線でのインパクトはシェフチェンコにも負けないものがあったか。当時はミランもインテルも超豪華戦力を揃えており、今以上にセリエAの戦いが熱かった時代だ。アドリアーノも時代を彩ったスターの1人であり、ブラジル代表でも怪物ロナウドの後継者に最も近い人物だったと言えるだろう。



編集部おすすめ