作家・村上春樹さんがディスクジョッキーをつとめるTOKYO FMのラジオ番組「村上RADIO」(毎月最終日曜 19:00~19:55)。7月27日(日)の放送は「村上RADIO~村上の世間話7~」をオンエア。
村上さんが何気ない日常の中で体験したエピソードを、村上DJが選曲したグッドミュージックとともにお届けする好評の「村上の世間話」シリーズ。「本名」についてのエピソードなどを披露しました。

村上春樹「人前で裸にされた、みたいな感じがすることもあります...の画像はこちら >>


◆Pat Martino「Days Of Wine & Roses」
村上春樹というのは僕の本名です。親につけられた名前です。まさか職業作家になるとは思ってもみなかったので、ペンネームのことは考えもしませんでした。本名で原稿を応募して、それが文芸誌の新人賞をとって、わけのわからないうちにそのまま作家になってしまいました。今となっては後悔しています。ペンネームにしときゃよかったなあ、と。

正直言って、本名でものを書いていると、いろいろ困ることが多いんですよね。病院なんかで名前で呼ばれたりすると、まわりの人はみんなこっちをじろっと見るしね。クレジットカードにも名前がついているから、場合によってはちょっと使いにくいなあ、というときがあるし。なんか人前で裸にされた、みたいな感じがすることもあります。


でも、じゃあ村上春樹を捨てて、どんなペンネームにするかっていうと、それがなかなか思い浮かばないんですよね。猫に名前をつけるのは至難の業(わざ)だとT・S・エリオットは言ってますが、自分にペンネームをつけるのもそれに劣らず難しいです。ヒトのラジオネームだと、「堕落したラクダ」とか「牛に引かれていきなりステーキ」だとか適当なものが気軽につけられるんだけど、自分のペンネームは難しいです。だからまだしばらくは「村上春樹」でやります。『ノルウェイの森』の著者名がある日突然「幕の内弥太郎」に変わった、なんてことはまず起こりませんので、ご安心ください。

ちょっと前に免許証の更新に行って、出来上がりを待っていたのですが、しばらくしたら「ムラカミハルキさん」と呼ばれて、カウンターに取りにいったら窓口の女性に「ムラカミハルキさん、あら、同姓同名なんですね」と言われました。「ええ、そうなんですよ。ほんとに迷惑で……」とか言って逃げてきました。そういう楽しいこともたまにはありますけど。

パット・マルティーノというジャズ・ギタリストをご存じですか? 彼は1944年生まれで、15歳からプロとして活動を始め、1960年代から70年代にかけて、若手ギタリストのホープとして、ジャズの第一線で活躍しましたが、1976年に脳動脈瘤で倒れ、手術を受けてなんとか一命は取り留めたのですが、ずいぶん難しい手術だったので、記憶がそっくり失われてしまいました。回復したものの、頭が文字通り空っぽになってしまったんです。ギターの弾き方もまったく思い出せないし、過去の自分がどんな演奏をしていたかも覚えていません。


でも、長年にわたる我慢強いリハビリを経て、新しくゼロからギターを学び直し、1980年代半ばにはジャズ・ギタリストとして再起しました。僕も再起後の彼の演奏を生で聴きましたが、そりゃ素晴らしかったですよ。奇跡のギタリストと呼ばれていました。4年前に亡くなりましたが。
そのパット・マルティーノの演奏する「酒とバラの日々」を聴いてください。これは彼が病に倒れる寸前、1976年の録音です。バックはギル・ゴールドスタインのピアノ、リチャード・デイヴィスのベース、ビリー・ハートのドラムズという豪華なメンバーです。

<番組概要>
番組名:村上RADIO ~村上の世間話7~
放送日時:7月27日(日)19:00~19:55
パーソナリティ:村上春樹
番組Webサイト:https://www.tfm.co.jp/murakamiradio/
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