TOKYO FMで月曜から木曜の深夜1時に放送の“ラジオの中のBAR”「TOKYO SPEAKEASY」。今回のお客様は、笑福亭鶴光さんと吉田照美さん。
ここでは、伝説的な深夜ラジオ番組「笑福亭鶴光のオールナイトニッポン」がスタートするまでの経緯を振り返りました。

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「“ムチャした噺家がおったで”っていう歴史だけ残したろうと」...の画像はこちら >>

(左から)吉田照美さん、笑福亭鶴光さん



◆笑福亭鶴光のラジオ遍歴

吉田:鶴光師匠って、最初は大阪でラジオをやられていたんですよね?

鶴光:「MBSヤングタウン」っちゅう番組は知りまへん?

吉田:ありましたね。

鶴光:「ヤングタウンTOKYO」っちゅうのもあったけど、いわゆる深夜の番組をやっていたんですよ。それを聴いた亀渕昭信さんという後にニッポン放送の社長を務めた方が……。

吉田:じゃあ亀渕さんが鶴光師匠に目をつけて声をかけたんだ。

鶴光:うん、それで(オールナイトニッポンパーソナリティの)オーディションを受けて。ただオーディションいうても、当時は、あのねのね(清水国明と原田伸郎によるフォーク・デュオ)が全盛期で。

吉田:すごかった時代があったね。

鶴光:それがコンサートツアーで(オールナイトニッポンを)休んで3ヵ月間ほど地方を回ると。それで、その3ヵ月間だけパーソナリティができるやつを探していて。

ほんで関西弁がええやろっつうことで私が選ばれたんですけども、初めての放送のときに「3ヵ月間、頑張れよ」とか「あのねのねが帰ってくるまで頑張れ」とかいろいろ言われて。何のこっちゃわからんでしょ?

吉田:うん、そりゃね。


鶴光:それで「何のことですか?」って聞いたら、「聞いてないの? あんたは3ヵ月の命なんだよ」って(笑)。

吉田:(苦笑)。

鶴光:そうやってみんなが冷たく言うんだよ。「じゃあ、もしも僕がこれからバッと人気が出たら……」って言うても「いや、それでもダメなんです」と。

吉田:冷たいな~。でも、そこからどうなったんですか? 結果的に当たったでしょ?

鶴光:だから、そのときに思ったんは、どうせ3ヵ月で終わんねやったら“3ヵ月のあいだにムチャした噺家がおったで”っていう歴史だけはしっかり残したろうと思って。

吉田:素晴らしいなぁ。

鶴光:それで、下ネタやら何やらガンガン言っていたらブワーッと人気が出てもうたんや。ほんで、3ヵ月が経ってあのねのねが帰ってきた。

吉田:はい。

鶴光:ところが、あのねのねは銭儲けに走ったことで(タレントの)パワーが落ちていたんよな(笑)。

吉田:ハハハ(笑)! 面白いですね~、まぁそういうこともあるでしょう。


鶴光:それで(あのねのねが)番組を降りて、僕が引き継いでから11年9ヵ月やったんですけども。そこで得た教訓は「絶対、人に椅子を明け渡すな。守り抜け」。

吉田:すごい話だな~(笑)。


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<番組概要>
番組名:TOKYO SPEAKEASY
放送日時:毎週月-木曜 25:00~26:00
番組Webサイト: https://www.tfm.co.jp/speakeasy/
番組公式X:@TokyoSpeakeasy
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