日本の次期戦闘機開発への協力に名乗りを上げたBAEシステムズは、ユーロファイター「タイフーン」などで知られますが、実ははるか以前より日本とは縁深い企業です。それをつなぐのは戦艦「三笠」、どういうことでしょうか。

戦艦「三笠」に始まる120年の「縁」

 いまから120年前の1900(明治33)年11月8日、イギリスのバロー=イン=ファーネス造船所で1隻の戦艦が進水しました。旧日本海軍の戦艦「三笠」です。

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1905年2月に撮影されたとされる戦艦「三笠」。

 当時ロシア帝国は、年間を通じて凍結することのない「不凍港」を求める「南下政策」を進めており、その一環である清国から租借した旅順の軍港化と太平洋艦隊の強化は、日本にとって大きな脅威となっていました。

 このため日本は戦艦6隻と、戦艦に比べれば防御力は劣るものの、速力の高い装甲巡洋艦6隻の建造を核とする「六六艦隊計画」を策定しましたが、当時の日本には戦艦や装甲巡洋艦を建造する能力はありませんでした。そこでイギリス、ドイツ、フランスなどの造船企業に建造を発注する形で艦隊の整備を進めることとなり、「三笠」はバロー=イン=ファーネス造船所を所有するヴィッカース社に発注されました。

 1902(明治35)年3月1日に旧日本海軍へ引き渡された「三笠」は、1903(明治36)年12月28日に旧日本海軍の連合艦隊旗艦となり、1904(明治34)年8月の黄海海戦、1905(明治35)年5月の日本海海戦の勝利に貢献しました。

 その後「三笠」は日露戦争直後に弾薬庫の爆発事故で沈没しますが、引き上げられた後に現役に復帰。1922(大正11)年に締結されたワシントン条約で廃艦となったものの、功績を挙げた艦であることから、現役に復帰できない状態とすることを条件に保存が認められ、現在も神奈川県横須賀市で記念艦として保存されています。

ヴィッカースのその後とBAEシステムズのこれまで

「三笠」を建造したヴィッカース社は1999(平成11)年にロールス・ロイスに買収されるまで企業として存続し、2004(平成16)年までは合併した軍用車両メーカーのアルヴィス社との合弁企業「アルヴィス・ヴィッカース」としてその名をとどめていました。その後2005(平成17)年にBAEシステムズに買収され、同社の子会社と合併したことで、ヴィッカースの名前は完全に消滅しました。

戦艦「三笠」がつなぐ日本とイギリス防衛関連企業BAEとの意外と長くて深い縁とは?

BAEシステムズがF-4EJ改の後継機に提案していたユーロファイター「タイフーン」(画像:ユーロファイター)。

 名門ヴィッカースのブランドに終止符を打ったBAEシステムズですが、それから数年後、ある商戦でヴィッカースの「名」を最大限に利用することとなります。その商戦は、航空自衛隊のF-4EJ改戦闘機の後継機を選定する「第4次F-X」です。

 BAEシステムズは第4次F-Xに、同社が共同開発と製造に携わるユーロファイター「タイフーン」を提案していましたが、日本での実績と知名度の面で、F-35Aを提案していたロッキード・マーチン、F/A-18E/F「スーパーホーネット」を提案していたボーイングの両社に一歩及んでいない感がありました。そこでBAEシステムズは、同社の一部となっていたヴィッカースと日本との関係に着目し、「三笠」を前面に押し出して、「タイフーン」のプロモーション活動を展開しました。

戦艦「三笠」がつなぐ日本とイギリス防衛関連企業BAEとの意外と長くて深い縁とは?

BAEシステムズのユーロファイター「タイフーン」の最終組み立てライン。同社はメディア関係者の工場見学などのプロモーション活動も行なっていた(竹内 修撮影)。

 筆者は2010年7月にイギリスで行われたユーロファイター「タイフーン」のメディアツアーに参加した際、BAEシステムズのイギリス人スタッフに、「三笠」を前面に押し出すプロモーション活動は戦略なのかと尋ねたことがあります。

 筆者の質問を受けたスタッフの答えは「いまはわが社が所有しているバロー=イン=ファーネスの造船所には、『三笠』を日本へ回航した際、同艦に乗って日本に行ったヴィッカースの社員の孫が働いている。我々は歴史と伝統を重んじる企業なのだ」というものでした。後から考えてみると「たまたまなのでは?」という話なのですが、当時の筆者はイギリス人から「歴史と伝統」という言葉を聞かされて、妙に納得してしまったものです。

陸自の水陸両用車も「三笠」の縁で…?

「三笠」と同艦を建造したヴィッカースとの縁を前面に打ち出したプロモーション活動は実らず、ユーロファイター「タイフーン」がF-4EJ改の後継機の座を勝ち取ることはできませんでした。しかし、BAEシステムズという企業名と、実は同社が日本と長い関係を持つ企業であることは、確実に日本国内に浸透したと筆者(竹内 修:軍事ジャーナリスト)は思います。

 たとえば、陸上自衛隊が水陸機動団用に導入した水陸両用車「AAV7」は、元々アメリカのユナイテッド・ディフェンス社が開発したものですが、同社は2005年にBAEシステムズに買収され、2020年現在、AAV7はBAEシステムズの商品となっています。

 陸上自衛隊のAAV7は、その導入にあたって、アメリカ海兵隊の中古車両も検討されていましたが、最終的にBAEシステムズから新造車両が導入されています。このとき中古ではなくなぜ新造車両を導入したのか、理由は明らかにされていませんが、ユーロファイター「タイフーン」のプロモーション活動によってBAEシステムズの知名度が向上していなければ、中古車両が導入されていた可能性の方が高かったのではないかと筆者は思います。

戦艦「三笠」がつなぐ日本とイギリス防衛関連企業BAEとの意外と長くて深い縁とは?

陸上自衛隊の水陸両用車(画像:陸上自衛隊)。

 これまで航空自衛隊はヨーロッパ製の戦闘機を導入したことがなく、第4次F-X当時、ユーロファイター「タイフーンは「当て馬」とみなされていた感がありました。それから約10年、BAEシステムズは2020年11月4日(水)に、航空自衛隊のF-2戦闘機を後継する次期戦闘機の開発支援企業に名乗りを上げていますが、かつてとは異なり、同社、さらに言えばイギリスは、もはや「当て馬」とはみなされず真剣に協力が議論されています。

 わずか10年足らずの間でここまで日本での知名度を上げ、ビジネスチャンスを拡大できたという意味において、BAEシステムズの「三笠作戦」は成功したといえる……のかもしれません。