97歳でその生涯を閉じたパイロットのチャック・イェーガー氏は、「世界で最初に音速を突破した人類」として知られています。しかし、彼が初というのは正しいと言えないところも。
1947(昭和22)年、ロケット機XS-1(ベルX-1)を操り、世界で最初に音速を突破した人類として知られているパイロットのチャック・イェーガー氏。彼は2020年12月7日に、97歳でその生涯を閉じました。
この「チャック」はいわゆるニックネームであり、同氏の本名は、チャールズ・エルウッド・イェーガーといいます。彼は生粋のアメリカ人ですが、名字の起源はドイツ人なので、もしかすると起源をさかのぼれば、移民の系統なのかもしれません。
「グラマラス・グレニス」と名付けられたXS-1ロケット機とともに誇らしげに写るチャック・イェーガー氏(画像:USAF)。
先述したとおり、チャック・イェーガー氏は「史上で初めて音速を突破した人類」として広く知られ、メディアでも「世界初の超音速飛行を行った(時事通信、2020年12月8日付)」などと報じられましたが、厳密にはこれは、少し裏がある……といえるでしょう。
同氏は、「飛行機に搭乗し水平飛行の状態で、音速の壁を突破した世界で最初の人類」ということになるのですが、実はこれにも条件がありました。
同氏が搭乗していた機体は、上昇するだけの燃料を搭載することができませんでした。そこで、母機に吊り下げられて空気の薄い高度まで運ばれ、空中発射されて音速突破を目指したのです。このあたりについては、同氏を取り上げた作品としてよく知られた、1983(昭和58)年公開の映画『ライト・スタッフ』の冒頭でも紹介されています。
つまり、イェーガー氏個人の偉業というよりは、新生アメリカ空軍が、その存在を国内外にアピールするために計画された事業のひとつとして、「サウンド・バリヤー(音速突破)」があり、そのパイロットに同氏が選ばれたということになります。
実は、イェーガー氏の音速突破の前に、戦闘機が音速を超えたという記録も存在します。アメリカ空軍の戦闘機が急降下中に達成したとか、第2次世界大戦直前のドイツで、ジェット戦闘機やロケット戦闘機が、こちらも急降下中に音速を突破したという記録が残っているのです。
ただし、この当時、まだ音速を記録する速度計が完成していたわけではなかったので、公式に「音速突破」を記録したというものではありません。当時、ピトー管(大気圧と風圧を使って対気速度を計る装置)と速度計のシステムは音速より低い速度帯である「亜音速」でしか数値を表示することができなかったため、音速を突破した際に出る「衝撃波」らしきものを、その証明としたのでしょうか。
その後、地上から飛び上がって水平飛行で音速突破飛行可能な機体として、アメリカ空軍のF4Dや、アメリカ空軍のセンチュリーシリーズ、ソビエト連邦のMiG-19などが開発されました。
なお、このときチャック・イェーガー氏が操縦していたXS-1は、2020年現在、ワシントンD.C.にあるスミソニアン(アメリカ国立航空宇宙博物館)に展示されていますが、これには「グラマラス・グレニス」という愛称がついていました。
愛機に「グラマラス・グレニス」とつけるまでの来歴チャック・イェーガー氏は、第2次世界大戦がはじまると、アメリカ陸軍航空隊に整備士として入隊し、その後戦闘機パイロットとなり、ヨーロッパ戦線に派遣されます。搭乗したのは、第2次世界大戦で最も優秀な戦闘機として知られるP-51「マスタング」。ここでは、アメリカ陸軍航空隊で最初にわずか1日でエースパイロットになった、機銃を使わずに2機撃墜した、ジェット戦闘機を1機撃墜した……など、ある意味伝説のようなエピソードを多数残します。

P-51「マスタング」戦闘機(画像:USAF)。
このころから同氏は、機体の胴体に「グラマラス・グレン」と描いていたとされています。グレンというのは女性の名前で、当時の同氏の恋人でした。
イェーガー氏は、マッハの壁を越えた後もアメリカ空軍で勤務し続け、数々の機体の開発に関わり、将軍になっています。1997(平成9)年には、超音速突破50周年を記念し、同氏が好きな機体といわれるF-15Dで音速突破を再現しました。
余談ですが、成田空港至近にある航空科学博物館には、航空100年を記念した企画展示で作成したXS-1のコクピットの模型が置いてあるのですが、私(種山雅夫、元航空科学博物館展示部長 学芸員)は、その狭さにびっくりした記憶があります(2021年1月現在は、密を避けるため搭乗できないようです)。