戦車やブルドーザーなどの操縦は、左右の履帯の一方を停めたり回転速度を落としたりして曲がるので一定の練度が必要です。ところがイギリスには、自動車と同じようにハンドル操作で鉄輪を傾け、履帯を歪ませて方向を変える戦車がありました。

世界的大流行「タンケッテ」の後釜として誕生

 一般的に戦車を始め、ショベルカーやブルドーザーなど履帯(いわゆるキャタピラ)で走る車両が曲がろうとする場合、左右どちらかの履帯を停めるか、もしくは回るスピードを左右で変え方向変換します。なぜなら、一般的な履帯は、たとえば腕時計の金属ベルトのように腕に巻く際の縦方向、つまり走行するために履帯が回転する前後方向には曲がりますが、横方向(左右方向)には曲がらないからです。

 しかし戦車発祥の国イギリスには、自動車のように前方の鉄輪(転輪)を実際にステアリングさせ、縦方向(前後方向)だけでなく、横方向(左右方向)にもくねくねとフレキシブルに動く履帯を備えて、それを湾曲させて方向変換する戦車がありました。その名は「テトラーク」、のちに空挺戦車としても用いられた“珍車”です。

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イギリスで開発された「テトラーク」軽戦車。左右最前部の第1転輪がステアリングすることで、履帯(キャタピラ)を湾曲させて方向変換する構造を有していた(画像:帝国戦争博物館/IWM)。

 履帯が右へ左へ自由自在に曲がる「テトラーク」が生まれたきっかけは、第1次世界大戦後の軍縮時代にさかのぼります。このとき、イギリスでは緊縮財政や戦車運用理論の変遷などの影響を受け、低コストで数が揃えられ、運用もしやすい「カーデンロイド・タンケッテ」(豆戦車)が生み出されました。

 既存の技術で造れ、廉価で構造も単純な本車は、世界各国に輸出されましたが、イギリス本国でも採用のうえ改良が重ねられて、やがて豆戦車ではなく、より大きな軽戦車に進化していきます。

 こうして発展型が次々と造られたものの、所詮は「タンケッテ」ベースなので、性能的にも威力的にも発展の限界に達し、すべての設計をリニューアルする必要に迫られました。こうして“カーデンロイド臭”を払拭すべく、まったく新しい軽戦車として開発されたのが、「テトラーク」でした。ちなみに「テトラーク」とは、古代ローマのテトラルキア時代の分割支配者という意味です。

自由自在に曲がる履帯がポイント これなら運転もラク!

 一から開発された「テトラーク」は、1937(昭和12)年12月に試作車が完成します。その外観は「カーデンロイド・タンケッテ」とはまったく異なっており、高速走行に適した大直径転輪を使用した足回りを持つ車体に、ワンランク上のイギリス戦車と同じ2ポンド砲(40mm砲)を備えた全周旋回砲塔を組み合わせた斬新なものでした。こうして、機動性と攻撃力に優れた当時としては強力な軽戦車ができあがったため、イギリス陸軍参謀本部も制式番号「A17」を付与して1938(昭和13)年に採用します。

操縦しにくいならキャタピラ曲げちゃえ! クルマと同じく“切れ角”ある戦車「テトラーク」

後方から見た「テトラーク」軽戦車。乗員は車長、砲手、操縦手の3名と少なく、その結果、コンパクトにまとまったものの、運用上の都合では人手不足の感もあった(画像:帝国戦争博物館/IWM)。

 A17「テトラーク」は、路上での最高速度は約64km/h、不整地でも最高速度約45km/hを発揮し、航続距離は約225kmと、当時の軽戦車として満足できる性能を備えていました。そして最大の特徴は、冒頭に述べたとおり、ステアリング操作が自動車と同じくハンドルを回すだけで行える点でした。

 しかし、ハンドルで操縦するのならば、たとえばドイツの「ティーガーI」重戦車も、ハンドルでのステアリング機能を備えています。「ティーガーI」などと違って「テトラーク」が驚異的だったのは、なんと第1転輪を左右に傾ける(ステアリングする)と、それに合わせて履帯までが歪んで曲がる点です。これで旋回ができるため、結果、自動車の運転ができれば本車も運転できるというメリットがありました。

 もっとも、そのような特殊な操縦機能を備える弱点として、ステアリングできる転輪や、くねくねと動くフレキシブルな履帯が普通の戦車よりも脆弱なため、普通の戦車ならばあまり大きな被害を受けない、比較的小型の対人地雷などでも転輪や履帯に損傷を受けやすいといったことや、可動幅が大きいので間隙が広めという転輪や履帯の構造が原因で、有刺鉄線やワイヤーなどを巻き込みやすいという欠点も有していました。

登場のタイミング悪すぎ ごく少数の生産で終了

 このように、メリットとデメリットの両方を兼ね備えた「テトラーク」でしたが、誕生した時期が最悪でした。

1939(昭和14)年9月に第2次世界大戦が始まり、翌1940(昭和15)年6月初頭に、いわゆる「ダンケルクからの大撤退」で、イギリス陸軍は戦車を始めとして多くの装備を失います。

 その結果、快進撃を続けるドイツに対抗するためには、軽戦車よりも強力な巡航戦車や歩兵戦車が1両でも多く必要になりました。この影響で、当時のイギリス陸軍は軽戦車である「テトラーク」の生産を後回しにします。しかも、友好国のアメリカから同国製のM3軽戦車およびM5軽戦車が大量に供給されたことで、軽戦車の需要はM3およびM5で満たせるようになり、「テトラーク」の必要性は低下していきました。

 そのうえ、1940(昭和15)年にイギリス国内のダイムラー(ディムラー)社が開発した装輪装甲車Mk.IIは、タイヤ駆動の装甲車でありながら、「テトラーク」と同等の火力を持ちつつ装甲防御力はやや上で、装輪式のため速度に至っては断然、高速でした。

操縦しにくいならキャタピラ曲げちゃえ! クルマと同じく“切れ角”ある戦車「テトラーク」

1941年1月6日、イギリス国内の王立陸軍大学で展示公開された「テトラーク」軽戦車(画像:帝国戦争博物館/IWM)。

 こうして、性能的には決して悪くなかったものの、世に出たタイミングに恵まれなかったことなどで、「テトラーク」はわずか177両(異説あり)の生産で幕を閉じています。

 とはいえ「捨てる神あれば拾う神あり」。グライダーに搭載して空輸可能な戦闘車両を探していたイギリス軍空挺部隊は、本車の軽量でコンパクトな点に着目。1943(昭和18)年に「テトラーク」は空挺部隊向けのグライダー搭載用の空挺戦車として配備されます。

 1944(昭和19)年6月のノルマンディー上陸作戦では、大型グライダー「ハミルカー」に積載される形で、6両が実戦に投入されました。その後も、1945年のライン川渡河作戦などで運用されています。

しかし、イギリス軍空挺部隊が大型グライダーの運用を止めたことで本車の必要性もなくなり、1949(昭和24)年、完全に退役しました。

 その後、「テトラーク」のような履帯を直接曲げて方向変換する戦車は登場していません。このような特殊な構造は、現代の戦車やブルドーザーのような大重量の履帯駆動車両には向かないのでしょう。時代の仇花に終わってしまった「テトラーク」は現在、イギリス本土のボービントン戦車博物館などで、技術遺産として保存・展示されています。

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