1970年代、米国産のモデルが短距離ジェット旅客機市場を席巻していたころ、フランスからそれを打破すべく「メルキュール」という旅客機がデビューしました。この見た目、エアバスの名機A320と瓜二つ。
2021年現在、近距離国内線であってもジェット旅客機を用いることは、全く珍しいことではありません。むしろ、かつては主流だったターボプロップ機を使っての移動の方が貴重といえるでしょう。
ジェット旅客機は、技術の進歩によって「第●世代」と大別することがあります。ジェット旅客機が短距離用にも使われ始めたのは、いわゆる「第2世代」からです。この代表例としては、1960年代後半にデビューしたアメリカ製のボーイング737やダグラスDC-9などが挙げられます。一方、ヨーロッパでもこれらに対抗して様々なジェット旅客機が開発されました。
ダッソー「メルキュール」(画像:Dassault-aviation)。
そのひとつが、フランスの名門航空機メーカーであるダッソー社が開発した、「メルキュール」という双発ジェット旅客機です。簡単にメルキュールのスペックを紹介しますと、座席配置は横6列で150席弱クラス、全長約35m、全幅約30m、最大離陸重量約60t、航続性能は2000km弱で、羽田空港から石垣島より少し遠い程度まで飛べる程度です。
メルキュールはフランスの航空総局の指導のもと、1960年代半ばから開発がスタート。1971(昭和46)年に初飛行し、1974(昭和49)年にはフランスの国内線を主として運航するエアインターで就航を開始しました。
メルキュールの対抗馬はボーイング737で、設計も737にたぶんにインスピレーションをうけた旅客機です。ちなみに、「メルキュール」という名前は、ローマ神話の旅人の守護神で「水星」を意味します。
そしてメルキュールの機体を見ると、あることに気が付きます。いまやヨーロッパ圏の航空機メーカーの巨人、エアバス社をスターダムへとのしあげることとなる旅客機「A320」と類似点が多いのです。筆者の目から見ると、メルキュールが特にタッチダウン(着地)しているさまは、まさに「A320と瓜二つ」です。ちなみに、メルキュールが開発されたとき、ダッソーとエアバスの2社に直接的な関わりはありません。
「A320そっくり」になったのは「737」にはない工夫から?ダッソー社のメルキュールは、先述のとおり「フランス版ボーイング737」といったコンセプトの旅客機ではあるものの、737にはない様々な工夫が施されています。とくにその見た目を「エアバスA320らしく」しているのは、脚回りとエンジンの配置でしょう。一説によると、「メルキュールがA320」へ発展した、というハナシもあるのだとか。
メルキュールは、現代の旅客機の多くのモデルと同じように、将来的にはよりキャパシティの大きい、胴体延長型の派生タイプを開発することも視野に入れて作られたと記録されています。

ルフトハンザ航空のボーイング737(画像:ルフトハンザ航空)。
ボーイング727や737、ダグラスDC-9など、このクラスの旅客機の多くは、前脚のタイヤが胴体にひっつくのではないかというくらいに近づいています。
また、737(737-100、-200といったオリジナルタイプ)は、3発リアジェット機(胴体後部にエンジンを集中して設置するスタイル)だった姉妹機727の胴体設計をほとんどそのまま引き継いでおり、727のエンジンのみを主翼下に2基移設したような旅客機であることから、このままでは胴体の高さが足らず、結果、細長いエンジンを主翼に埋め込むように配置しています。
一方、メルキュールは、エンジンを現代のジェット機と同じように「カットバックパイロン」と呼ばれるパーツを用いて、斜め前方へ吊り下げる方式で、主翼下に2基備えています。また、エンジンと地面の距離(クリアランス)も余裕をもって取られているのも特徴です。これは、胴体延長でパワーのあるデカいエンジンを積んだとしても、ベースデザインをそのまま保持できるように……といった工夫でしょう。
残念な「メルキュール」の顛末 でも弟分「A320」が737に倍返し!これらの設計を施したメルキュールは、結果的に後のエアバスA320とよく似た見た目となったものの、販売はA320のようにはいきませんでした。オイルショックなどの影響をうけ、わずか12機の生産にとどまり、商業的な成功とは程遠い結果に終わってしまいます。
また、エンジンを初期型で採用したプラット・アンド・ホイットニーのJT8D-15から、より低燃費・低騒音のCFMインターナショナルCFM56にパワーアップした派生型、メルキュール200を、ダグラスなどアメリカのメーカーと協同で計画しますが、実現には至りませんでした。

ジェットスター・ジャパンのエアバスA320(乗りものニュース編集部撮影)。
なお、ほぼ同時期にはヨーロッパが一丸となり、ジェット旅客機市場を独占していたアメリカに対抗すべくエアバス社が300人クラスのワイドボディ旅客機A300を開発。このA300はメルキュールのデビューと同年の1974年に就航し、そこそこの成功を納め、時を同じくしてエアバスは発展型である短胴型A310に着手していました。
このほかヨーロッパでは、1970年頃から、ドイツとスペインの航空機メーカー数社において、EUROPLANE(ユーロプレーン)という短距離用ジェット旅客機が計画され、これがJOINT EUROPEAN TRNASPORT(JET)に発展。これが名機、エアバスA320の始まりです。
エアバスA320は機体の外観こそメルキュールに似ているものの、旅客機として世界初となる電気信号を用いた操縦システム「フライ・バイ・ワイヤ」の搭載をはじめとする、革新的な技術がふんだんに取り入れられています。
メルキュールは販売の面では「トホホ旅客機」とはなったものの、A320の売れ行きはまさに飛ぶ鳥を落とす勢い。メルキュールがなしえなかった胴体延長派生型のA321も開発され、737をはじめアメリカが優勢だった150席クラス旅客機市場の歴史を塗り替えました。まさにメルキュールの借りを、A320が返したわけです。
ちなみに、メルキュールの実機は、現在もヨーロッパ内の航空博物館に展示されています。筆者も過去に、ル・ブルージェ航空宇宙博物館で見かけた記憶が残っています。
【12秒動画】角度によってはA320と瓜二つかも⁉「メルキュール」