零戦など先の大戦で活躍した戦闘機は、プロペラの後ろに機銃を持つレイアウトが見られます。なぜ、放った弾丸がプロペラにぶつからないのでしょうか。
2021年3月、茨城県筑西市のテーマパーク「ザ・ヒロサワ・シティ」内に開館予定の「科博廣澤航空博物館」に、零式艦上戦闘機、いわゆる「零戦」が移送されました。開館日程は未定とのことですが、筆者(種山雅夫:元航空科学博物館展示部長 学芸員)は開館を待ち遠しく思っています。
その零戦の武装は、左右の主翼に20mm機関砲を各1門に加え、最前方にあるエンジンのすぐ後ろ、胴体上部に7.7mm機銃が2門設置されています。後者の胴体機銃に関しては、発射時、プロペラの回転面を弾丸が通過することになります。
こういった「プロペラの後ろに機銃」といったレイアウトは、零戦はもちろん、第2次世界大戦下の戦闘機では非常に多く見られたスタイルです。ここで生じるのが、「なぜプロペラに弾丸がぶつからないのか」という疑問です。
アメリカのオハイオ州にあるアメリカ空軍博物館で展示される零戦二一型(画像:アメリカ空軍)。
答えは、「プロペラにぶつからないよう、機銃から弾丸が出るタイミングを調整している」となります。この装置を「プロぺラ同調装置」と呼びます。
この仕組みをかんたんに言えば、機銃の前にプロペラのブレードがある場合に限って、弾丸を発射できるようになっているのです。そうすると、弾丸がプロペラの位置まで前進するまでのごく僅かな時間に、プロペラが回って、弾丸がぶつかることなく通り過ぎるようになります。
飛行機は、ライト兄弟が1903(明治36)年に初飛行してから、少しずつ進歩してきました。その進歩は、戦争に使用する兵器として採用されるようになると、一気にスピードアップすることとなります。戦闘機同士が組んずほぐれつ旋回しながら相手の後方に取り付き、機銃を発射するという光景が見られるようになったのは、第一次世界大戦が始まりです。
第一次世界大戦当初、飛行機のおもな任務は、どこにどれくらいの戦力があるのかを把握するための偵察がおもな任務でした。これは、上空から見れば、相手方の歩兵や、やっと戦闘に使用されるようになってきた戦車などの様子がはっきりとわかるためです。
そこに出現したのが、相手方の偵察機を邪魔する飛行機です。当初は石やレンガを投げていたこともあったそうですが、やはり拳銃を打つ方が効果的ということで、戦闘機が出現します。
「プロぺラ同調装置」が世界に広まるまでライト兄弟時代の飛行機のカタチは、翼を上下に2枚備え、エンジンをパイロットの後方に配置していたため、前方は開けており、拳銃を付けやすくなっていました。
ただその後、飛行速度の上昇や運動性の向上など、性能が上がるにつれエンジンを機首に配置することが主流となったことで、銃を前に置くことが難しくなっていきます。
そのため、拳銃を後ろの席の人が撃つ、拳銃を2枚ある主翼のうちプロペラの回転面より高い上の翼に取り付ける、エンジンの上に拳銃を取り付けプロペラが壊れないよう防弾鋼板をプロペラに取り付ける、といった工夫がされました。しかし、いずれの方法にしても、目の前の敵機を撃つためには充分ではありませんでした。

撃墜されたフォッカーEIII(画像:米国議会図書館)。
そこでイギリス、フランス、ドイツなどの各国では、プロペラのブレードの合間を機銃の弾丸がうまく通過するようなメカニカルな機構の開発に取り組んでいましたが、どれも十分な効果を発揮できませんでした。そのようななか、これをいち早く実現したのは、ドイツ空軍の「フォッカーEIII」に取り付けられた機銃同調装置(Stangensteuerung)でした。
フォッカーEIIIは、1915(大正4)年の実践配備から翌年にかけ、固定銃を備えた当時としては異例のコンセプトをもつ戦闘機としてデビュー。相手機を自機の正面に来るように操縦さえできれれば、これまでより格段に、弾丸を命中させることができました。同機は大きな戦果をあげ、敵である連合国軍側も、その圧倒ぶりから「フォッカーの懲罰」と恐れました。
その後連合国空軍側も、墜落したフォッカーEIIIを参考に、同様の装置を機体に取り付けたことで、機銃同調装置が広まります。その後第2次世界大戦後まで、プロペラ形式の戦闘機においては、機銃同調装置の有効性は証明されており、先述のとおり、日本では零戦などでこの装置が採用されました。
航空機、そしてメカにおいて、ドイツの執着心は底知れないと感心する一例といえるでしょう。
ちなみに、機首にプロペラが無い現代のジェット戦闘機では、命中率を上げる工夫として機銃を機首下面に配置することが多いです。ただ、F-16などは機体が小型のため、機銃はパイロットの横に設置しています。
※誤字を修正しました(5月26日9時11分)。