自転車競技が盛んなイタリアは、軍用自転車に着目したのも早く、19世紀には自転車部隊を編成、20世紀初頭には軽量な折り畳み式自転車まで開発、配備していました。そして第1次大戦では片脚の自転車兵まで登場したといいます。

早くから誕生した自転車大国の兵器

 毎年5月、イタリア全土を舞台に世界的な自転車ツーリングレースである「ジロ・デ・イタリア」が開催されます。このレースは「ツール・ド・フランス」に勝るとも劣らないほど欧米では人気あるものですが、同レースが行われるイタリアでは古くからサイクルスポーツが盛んで、バカンスの季節になると屋根や後部に複数の自転車を積んだ自家用車が郊外の街道を行き交います。

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第1次大戦でのビアンキM14型軍用自転車と自転車兵。ケープを着た自転車兵はM15型ヘルメットにベルサリエーリ部隊伝統の羽飾りを着用している(吉川和篤作画)。

 いわば世界でも指折りの自転車大国といえるイタリアでは、早くから戦場の移動手段としてとして自転車が使用されてきました。そもそも自転車は19世紀初期にドイツで発明され、絶え間ない改良によって現在の姿になりましたが、エポックメイキングとなったのは1885(明治18)年にイギリスで開発された「ローバー安全型自転車」といえるでしょう。

 これは曲線の菱形フレームで、前後にチューブ式ゴムタイヤが付いた近代的な自転車の始祖といえるものです。これをイタリア軍はいち早く採用、上部の水平フレームに全長が短い騎兵用の小銃や、兵用リュック装着用の革紐やラックを取り付け、「軍用自転車」として早々に運用を始めています。

 しかし鉄製の自転車本体は重く大きく、道が途切れた不整地での取り扱いが不便という欠点を併せ持っていました。そこでイタリア軍は画期的な折り畳み自転車を生み出します。

 発案したのはボセッリ大尉。1892(明治25)年に開発されましたが、これにより兵士たちは急な斜面でも折り畳んだ自転車を肩にかついだり背負ったりすることで、これまでよりも簡便に移動することが可能になり、国境地帯である北イタリアの山岳地帯においても自転車で行動することができるようになったのです。

第1次大戦前に完成の域に達したイタリア軍用自転車

 1900(明治33)年には折畳み式自転車の特許を取得したコスタ社やカッラーノ社で軍用自転車が数多く製造されるようになります。しかし折り畳めるというだけで、その重量は14kgありました。そこでさらなる改良が加えられた結果、タイヤ直径60cmで重量12kgのものが開発されます。これにより、舗装路なら完全武装の部隊は120kmの距離を7~8時間で移動できるまでになりました。これは自動車やオートバイの登場以前では、路上で最速の存在といえるものでした。

 しかし様々なメーカーで製造されたものを逐次導入していたため、軍用自転車の規格はバラバラでした。そこでイタリア陸軍は型式の統一化を図ろうと、1911(明治44)年にトライアルを開始します。これにボッセリ社やカッラーノ社、ゲラール社、スタイアー社などイタリア内外の自転車メーカーが参加。最終的に現在も世界的なスポーツ自転車メーカーとして知られるビアンキ社の創立者、エドアルド・ビアンキが実用新案特許を取得した新型の折畳み式自転車が、M12型として採用されました。

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伝統の黒い鍔付き帽に白いカバーと羽飾りを着け、1900年代初頭の陸軍大演習で展開するベルサリエーリ兵。この頃には既に軽量化を目的とした折り畳み式が導入されていた(吉川和篤所蔵)。

 ビアンキのM12型は平行四辺形のフレームで、その上下2か所に折畳みヒンジが付き、前輪にブレーキと共にサスペンションを設置していました。

これは不整地での走行性能をできるだけ高めようという思想によるものでしたが、考え方は現代のMTB(マウンテンバイク)にも通じるものといえるでしょう。

 なお軍用自転車として、フレーム左側面には騎兵小銃ラックが、後輪の泥よけフェンダー上部には兵用リュックが取り付けられ、将校用にはワイヤー作動式後輪ブレーキが追加されていました。

 さらに、ビアンキでは機関銃を運搬可能なM14型も開発しています。このタイプは、フィアット水冷式機関銃を載せることができるよう、上部フレームが途中から低くなっているのが特徴で、これにより機関銃本体だけでなく三脚の取り付けスペースまでも確保していました。

 これら軍用自転車は、1914(大正3)年6月に第1次世界大戦が始まると前線で大量の自転車が必要となったことで大量生産されることとなり、ミラノのビアンキ社では6万台の軍用自転車を製造、同社の成長に貢献しています。

第1次大戦で勇戦した片脚の英雄

 このようにイタリアでは20世紀初頭から軍用自転車の大量導入が始まっていますが、これら軍用自転車を運用するために1903(明治36)年に4個ベルサリエーリ(狙撃兵、のちの機械化歩兵)連隊に専用の自転車部隊が創設されています。

 1910(明治43)年には、イタリア陸軍が保有する12個ベルサリエーリ連隊すべてに1個ずつ自転車大隊(各3個中隊)が編成されるほどになりました。これにより、第1次世界大戦では、各ベルサリエーリ自転車部隊は快速を活かして偵察・連絡などに活躍、ヘルメットに付けた羽根飾りをなびかせて前線で自転車を駆る姿が各地で見られたそうです。

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折り畳み式軍用自転車に乗る、1940年代のベルサリエーリ部隊自転車兵。第2次大戦では軍用車やバイクが主流になったが、一部では自転車部隊も残されていた。(吉川和篤所蔵)。

 そうした中に片脚の自転車兵エンリコ・トーティがいました。

鉄道員であったトーティは事故で左脚を失いましたが、不屈のスポーツマンであった彼は片脚用の単ペダルの自転車を独自に発明して、ヨーロッパ周遊や北アフリカまで行く自転車旅行の数々を行いました。

 第1次世界大戦が始まると、トーティは第3軍司令官アオスタ公に直訴してベルサリエーリ部隊に配属されます。自転車に乗った片脚の兵隊というのは、ほぼ聞いたことがありません。

 まるで、のちの第2次世界大戦中にドイツ空軍で片脚のパイロットとして勇名を馳せたルーデル大佐を彷彿とさせます。自転車に松葉杖を積んで最前線で戦ったトーティでしたが、1916(大正5)年8月、イソンゾ戦線における攻防戦での突撃で、戦死してしまいました。

 とはいえ一説によると、敵に松葉杖を投げつけ「我は死なず!」と叫んで死んだとのことで、死後その勇敢さを称えて戦功章金章が授与されています。なお、その英雄談は戦時下のイタリア国民を勇気づけ、後にトーティの名前は潜水艦や国内の多くの通りにも付けられるほどでした。

 第1次世界大戦後もイタリアの折畳み式軍用自転車は改良が続き、第2次世界大戦においてもバルカン半島からロシア戦線まで連絡や偵察用に幅広く使用されました。戦後、イタリアの自転車部隊は廃止されますが、その伝統は他国にも影響を与え、イタリアと同様に国境が山岳地帯のスイス陸軍は、2003(平成15)年まで自転車部隊を運用し続けています。

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