「ジャンボ・ジェット」ボーイング747の歴史のなかには、胴体が短い異形のサブタイプ「747SP」が存在します。なぜこのようなカタチになったのでしょうか。

その経緯を見ていくと、かつてのメガ航空会社「パンナム」との深い関係がありました。

そもそも「747」の歴史はパンナムから始まった?

「ジャンボ・ジェット」として世界の航空市場を長年引っ張ってきたボーイング747の開発において、とても大きな影響を及ぼした航空会社があります。かつて世界のリーディング・エアラインであった「パンナム」ことパン・アメリカン航空です。

 ボーイング747はパンナムが「ローンチ・カスタマー」となり、同機を大量に発注したことで、実用化されました。パンナムは、747をボーイング社初のジェット旅客機「707」の後継機として、より大きく、大西洋を横断できる航続距離をもつジェット旅客機を要望したのです。

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パンナムのボーイング747SP(画像:パン・アメリカン航空)。

 707は、150人程度の乗客を乗せ、距離1万km程度を結ぶ路線に投入できる航続性能を持っていました。これに対し初期型747のキャパシティは707の約2倍、300人程度の乗客を乗せることができます。ただ航続距離は747も1万km程度で、707と大きな差はありませんでした。

 航続距離1万kmとなれば、物理的には、たとえば東京~ロサンゼルス間を飛ぶことができます。それ以上の距離になると初期型の747では直行便の就航が難しかったことから、パンナムからの強い要望もあり、747の長距離飛行型の開発が着手されることになります。

 また初期型747の登場後、ボーイングのライバルであるロッキード社からL1011「トライスター」、ダグラス社から「DC-10」といったひと回り小さな機体も出現しています。

747の改良は、それらライバルへの対策でもありました。

 一方で、パンナムは東京~ニューヨーク線の強化を狙っていました。ビジネス客のドル箱路線であり、無着陸の直行便を就航できれば、いっそうの需要を期待できる路線だったためです。このパンナムからリクエストも踏まえて結実したのが、「747SP」でした。

 こうしたリクエストを実現するための手段としては、さらに低燃費で高出力のエンジンを搭載する、空力を改善するデバイスを取り付ける、不具合の改善も含めた改修型の開発が進められるといった方法で、派生型を開発することが多いのですが、この747SPではそれとは違ったアプローチで、航続距離延長を図りました。それが、同モデルならではの不思議なルックスへとつながっていくのです。

ボーイングのびっくり航続距離延長作戦

 747SP開発の要点としては、機体本体の重量を抑えて、軽くなった分をより多くの燃料を搭載することに主眼が置かれました。これは当時、747初期型で搭載されていたものより出力の高いエンジンがまだ出現していなかったためです。そこで747SPは、初期型の機体のベースデザインはそのままに、胴体をより短くする方向で開発がすすめられます。

 こうして誕生した747SPは、胴体の太さは変わらず、全長が15m程短くなり、乗降ドアも左右ひとつずつ減っています。つまり、ふつうの「ジャンボ」と比べても、明らかに寸詰まりの特徴的なルックスをもつシップとなったのです。

 なお、機体設計は改修を最小限に抑えることが目標でしたが、尾翼が重心位置に近くなることに伴って機首の上下や左右の操縦性を初期型と合わせるために、垂直尾翼と水平尾翼を延長し、舵の利きを確保しています。

また、主翼に取り付けている後縁フラップ(高揚力装置)については、軽量化のためシンプルなものに変更されました。

異形の「寸胴ジャンボ」747SPなぜ誕生? 華の東京~NY線の革命児 珍機に終わったワケ

通常型のパンナムのボーイング747(画像:パン・アメリカン航空)。

 当初この機は、「短胴型」を指す747SB(Short Body)と呼ばれていましたが。開発が進むにつれ、型式末尾が「Special Performance」の略とされる「SP」となります。日本の国内線向けに「747SR」という派生型がありましたが、こちらは「Short Range」の略。それと比べると、「Long Range」ではないところに、ボーイング社の期待が感じられます。

 そして1976(昭和51)年、パンナムは当時アラスカ州アンカレッジ経由が当たり前だった東京~ニューヨーク間に747SPを就航させ、両都市間ノンストップ路線を誕生させたのです。

製造 45機だけ なぜ747SPは少数派だったのか?

 ただ747SP、実は生産機数は45機にとどまっており、長距離路線の主役とはなりませんでした。というのも、ボーイング社では1980年代に新型エンジンを搭載した747-200B型をデビューさせたからです。-200Bは初期型と同じ大きなボディをもちながらも、747SPと同程度の航続性能を発揮できるようになったため、需要を奪われてしまったのです。

 ちなみにJAL(日本航空)にも、ちょうどDC-10や「トライスター」の導入を検討しているころ、ボーイング社から747SPを導入しないか、といったオファーがあったそう。結局は当時付き合いの深かったダグラス社のDC-10が導入されましたが、もしかすると「鶴丸をつけた寸胴ジャンボ」が誕生した可能性もあったのかもしれません。

異形の「寸胴ジャンボ」747SPなぜ誕生? 華の東京~NY線の革命児 珍機に終わったワケ

JALのボーイング747-200B(画像:JAL)。

 新東京国際空港(現成田国際空港)では、パンナムから機体を譲り受けたユナイテッド航空のほか、アメリカン航空、イラン航空、中国国際航空、大韓航空、カンタス・オーストラリア航空といった世界各国の747SPを毎日見ることができた時代もありました。またアラブ首長国連邦などのVIP機もこのモデルで、飛来時には、たくさんの航空ファンが一目見ようと集まったことを記憶しています。

 現在、747SPの旅客機の姿を見ることは、ほとんど叶いません。ただ、2021年現在もNASA(アメリカ航空宇宙局)の成層圏赤外線天文台「SOFIA」や、エンジン・テストベッドなどで飛行しています。

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