ホワイト、シルバー、グレー……のように単純ではなく、長くなりがちなクルマのボディカラー名、なぜこうなったのでしょうか。実はボディカラーの名前も、歴史が反映されています。
ブレイジングカーネリアンコントラストレイヤリング
ラグジュアリーホワイトパールクリスタルシャインガラスフレーク
スパークリングブラックパールクリスタルシャイン
これらはレクサスやトヨタのクルマに採用されているボディカラー名です。もはや、文字だけではどのような色かイメージしづらいほど、長いカラー名も見られます。もちろんトヨタ系以外も同様ですが、クルマのボディカラー名はなぜこれほど長くなったのでしょうか。
レクサス新型NX。ボディカラーは「ブレイジングカーネリアンコントラストレイヤリング(プロトタイプ)」(画像:トヨタ)。
そもそも、クルマのボディカラーに名称を与えるのは、非常に長い歴史があります。たとえば、1966(昭和41)年に登場し、日本にモータリゼーションを巻き起こしたトヨタの初代「カローラ」のカタログを見ると、ボディカラーは「ギリシャ神話がテーマ」と説明され、すべてのカラーにギリシャ神話の神様の名前が与えられています。
「アフロディティ・ホワイト」「ゼウス・ブルー」「メティオリック・ブラウン」「ダイアナ・オリーブ」「アーレス・グレー」「アポロ・レッド」「ネプチューン・ターコイズ」「ブルトー・ペイジ」「ジュノー・グレー」といった具合。トヨタにおいて日本にクルマを普及させた大衆車第1号の時点で、ボディカラーにカタカナで長い名前をつけていたのです。
ちなみに、近年の人気ボディ色は「ホワイト」「ブラック」「シルバー」の3色が圧倒的ですが、そうした状況になったのは、1990年代以降のこと。それ以前の1960年代や70年代は、「イエロー」「ブルー」「グリーン」などのカラフルな色が人気で、「ホワイト」は少数派でした。それは1960年代の前半まで、「ホワイト」は救急車、「レッド」は消防車の色と決められており、その色を乗用車に使うことができなかったのが、大きな理由です。
また、アメリカでも日本でもカラーテレビの普及期は、カラフルなボディカラーのクルマが人気になっています。日本のカラーテレビの普及は1964(昭和39)年の東京オリンピックが大きな契機になっていますが、1960年代から70年代のカラフルなボディカラーの人気は、カラーテレビの影響もあったはずです。
しかし、その流れを変える1台が1981(昭和56)年に登場します。トヨタの初代ソアラです。
初代ソアラは、パーソナルでゴージャスなクルマとして大人気になりますが、とりわけ選ばれたボディカラーは「スーパーホワイト」。ボディカラーの中塗りも白くすることで、従来の「ホワイト」よりも、さらに白さを強めた“スーパー”なホワイトでした。
トヨタは、このスーパーホワイトを、クラウンやマークII兄弟(クレスタ/チェイサー)など他車種にも拡大。1980年代後半のピーク時には「新車販売の4台のうち3台がホワイト」というほどの状況になっていました。

上から1980年代のスープラ、マークII、ソアラ。とにかくホワイトが人気だった(画像:トヨタ)。
また1980年代には、塗装内に輝く素材(光輝材)を含ませた「~メタリック」や「~マイカ」と呼ばれるメタリック系のボディカラーも増えていきました。そして、1990年代になってホワイトの過熱人気が納まると、そうしたメタリックを含めたシルバー系の人気が高まります。
シルバー人気の高まりに合わせ、暗いシルバー、明るいシルバー、ギラギラと輝くシルバーなどバリエーションの幅が広がります。そうして生まれた新色には、各自動車メーカーがせっせと個別の名前を与えていったのです。
こうして色の名前はどんどん長くなっていったそうした流れの中で、トヨタは1999(平成11)年に、パールマイカを使った「ホワイトパールクリスタルシャイン」をクラウンに採用。「ホワイト」も、ただの白ではなく、キラキラと輝きを持つようになっていきました。
その発展形が、冒頭に挙げた「ラグジュアリーホワイトパールクリスタルシャインガラスフレーク」です。また「ブラック」もホワイトと同様に光輝材を使ったカラーが増えており、冒頭の「スパークリングブラックパールクリスタルシャイン」も、そうした発展形のひとつと言えるでしょう。
つまるところ日本車のボディカラーは、ソリッドなカラーに名前を与えるところから始まり、白を極めたり、光輝材を加えたりしてバリエーションが増えるつれ、それぞれの特徴を反映した名前を与えてきました。そうして、気づいてみれば、それらの名前はどんどん長くなっていったというわけです。また、名前が長いほど、創意が多いとも言えるでしょう。名前に歴史ありということです。