飛行機は左右の翼が対になって備わっているのが一般的ですが、これまで片翼の機体は存在したのでしょうか。翼の役割や、そのバランスから考えても設計的にはまずあり得ませんが、結果的にその形でも地上に降りられた事例が存在します。
ほとんどの飛行機は、胴体を挟むように左右の翼が対になって備わっています。もちろん、それぞれの翼に役割があり、機体全体のバランスで飛行できるように設計されていますが、航空機の歴史において、その常識を覆した事例が存在するのです。
そもそも、それぞれの翼はどのような役割を果たしているのでしょうか。翼はおもに3つのパートに分けることができます。
いわゆる「水平尾翼」として知られる胴体後方を左右に貫く尾翼は、おもに機首を上下させる役割をもちます。胴体後部の上に生えるように、水平尾翼と直角に交わる「垂直尾翼」は、おもに機首を左右に振る役割をもちます。
そして一番大きな「主翼」は、機体が空を飛ぶのに不可欠な空気の力を発生させること、そして機体の横向きの動きを制御することがおもな役割です。主翼には多くの場合、その一部が下側に折れ曲がることで、空気を作る力を増大させる動翼装置「フラップ」がついていますが、これは主翼後方内側にあることが一般的です。
また、多くの飛行機の主翼には、機体を左右に傾けるための動翼装置「エルロン」も備わります。これは、左右の翼の一部が互い違いに上下に曲がることで、左右の翼に発生する空気力を変化させるというもの。上に曲がったほうは下方向への、下に曲がったほうは上方向への力が働くことで、機体が傾くといったメカニズムです。
イスラエル軍のF-15戦闘機(画像:アメリカ国防総省)。
このように主翼は、さまざまな面でフライトの“扇の要”となるパーツです。これを片方のみ設けるといった意図的な変形レイアウトが採用された事例は、これまで皆無といっても過言ではありません。ただ程度の差はあれど、実は主翼が片方なくなりその機能を失ってしまった状態にもかかわらず、フライトを完遂できたケースが存在するのです。
国内でも海外でもあたった「片翼の奇跡」第二次世界大戦前の中国戦線で、旧日本海軍の樫村寛一操縦士が操縦する九六式艦上戦闘機「樫村機」が、中国戦線での空中戦で中国軍機と空中接触し、左翼の翼端から三分の一程度を切り取られてしまいましたが、その後約600km飛び無事帰還しました。当時この出来事は、記録映画や絵葉書になるほど有名になりました。
なぜ操縦できたかは筆者も疑問に思うところではあるものの、有力な説があります。九六式艦上戦闘機のエルロンは3か所のヒンジで主翼とつながっているのですが、絵葉書にもなっている樫村機の写真を見ると、切断された部分は2個目のヒンジより外側で、2か所のヒンジは生きているとも考えられます。ここは、三菱重工の元設計副主任・曽根嘉年氏も著書で「二か所のヒンジがあれば操縦できるのでは」と述べているところです。

南昌攻撃で片翼を失いながら飛行する九六式艦上戦闘機「樫村機」(画像:「空」1938年3月号より)。
このほか、アメリカでは2015(平成28)年に、右の主翼を空中接触で失ったオクラホマ州空軍のF-16が無事帰還した例なども報告されています。
これらは主翼がないというより、“主翼が欠けた”に近いケースでしたが、長い航空の歴史においては、これよりもっと”完全な片翼“に近かった事例もありました。
1983(昭和58)年にイスラエル空軍は、南部のゲネヴ砂漠で、飛行場の防衛のための軍事演習が実施され、A-4「スカイホーク」攻撃機とF-15戦闘機が模擬戦闘中に衝突したのです。
ただ、片翼で無事にたどり着いた例は100年以上の飛行機の歴史でこの程度しかなく、まさに奇跡ともいえるでしょう。ちなみに、ヘリコプターなどの回転翼航空機は、主翼が回転していることから、一枚でもバランスを崩すと航空機としては飛行できないというのが一般的な見解です。