太古の昔より、船に猫はつきものでした。そうした猫を「船乗り猫」と呼び、長く船乗りたちのパートナーを勤め、そしてWW2期の軍艦においてもその姿が見られました。
1941(昭和16)年5月24日にデンマーク海峡海戦で直接、砲火を交えた、イギリス王室の名を冠する戦艦「プリンス・オブ・ウェールズ」とドイツの「鉄の聖堂」こと戦艦「ビスマルク」。ともに、それぞれの国を代表する戦艦であり、そして猫が乗り組んでいたとのことで、さらにこの二大戦艦はいずれも短命で撃沈されたものの、それぞれの猫は生き残ったといいます。これらの猫たちは勝手に紛れ込んだ「密航者」ではなく、いわゆる「船乗り猫」でした。
1941年8月「プリンス・オブ・ウェールズ」艦上で同艦の猫、ブラッキーをなでるチャーチル首相(画像:帝国戦争博物館/IWM)。
猫は古代から船に乗り組んでいました。食料を食い荒らしたり、船具をかじるなどの害をなすネズミの駆除を主任務としつつ、守り神になったり、占い師、気象予報士、メンタルサポート、マスコット、広報など、多くの任務を担う乗組員の一員だったのです。各国海軍の艦艇にも多くの船乗り猫が乗り組んでおり、戦死した猫も少なくありませんし、勲章を授与された猫もいます。
イギリスのスループ艦「アメジスト」の船乗り猫「サイモン」は、戦闘で負傷しながらも乗員を元気付け、その功績で「ディッキンメダル」を授与されています。これは戦争などで功績のあった動物に与えられる勲章で、その受章者は人間に忠実で一生懸命働くイメージのある犬や馬、情報伝達に欠かせなかった軍鳩がほとんどです。猫は気まぐれで群れ(集団行動)に馴染まず軍隊生活には不向きなようで、いまのところ猫ではサイモンが唯一の受章者です。
大戦艦の最期を看取った2匹の猫「プリンス・オブ・ウェールズ」には「ブラッキー」という猫がいました。
「プリンス・オブ・ウェールズ」の沈没時、日本海軍攻撃機は乗組員の救助活動を妨害しなかったので多くの乗組員が救助され、そのなかにブラッキーも入ることができました。その後、ブラッキーはシンガポールに上陸したものの、1942(昭和17)年2月8日から始まった日本軍によるシンガポール攻略戦の混乱で行方不明になります。

独戦艦「ビスマルク」(画像:Bundesarchiv、Bild 101II-MN-1361-16A/Winkelmann/CC-BY-SA 3.0、CC BY-SA 3.0 DE 、via Wikimedia Commons)。
一方「ビスマルク」は、1941年5月27日にイギリス艦隊との砲撃戦の末、撃沈され、2200人以上の乗組員のうち生き残ったのは115人だけでした。そしてそのなかに1匹の猫も含まれていたといいます。
イギリス駆逐艦「コサック」に救助されたこの猫は「オスカー」と名付けられ、イギリス海軍に「移籍」したそうです。オスカーはこの後、「不沈のサム」というニックネームで呼ばれ、ロンドン近郊のグリニッジ国立海洋博物館に肖像画が残されるほど有名になります。
「不沈の」というニックネームは、イギリス海軍移籍後に乗り組んでいた「コサック」がUボートの雷撃で沈んだのち、空母「アークロイヤル」に乗り組む際、2回も乗艦沈没から生還したということから艦長に名付けられたといわれます。この時までは幸運の猫と見なされていたようです。

沈みゆく英空母「アークロイヤル」と、救助活動に当たる同駆逐艦「リージョン」(画像:帝国戦争博物館/IWM)。
乗り組んだドイツ戦艦「ビスマルク」、イギリス駆逐艦「コサック」、同空母「アークロイヤル」の3隻が沈み、そして「アークロイヤル」沈没時、救助にあたったイギリス駆逐艦「ライトニング」、同駆逐艦「リージョン」の2隻もまた沈没と、係わった全ての船が沈んだにもかかわらず、オスカー/サム本人は生き延びます。「幸運の猫」は一転して乗艦が相次いで沈没した縁起の良くない猫になり、サムは「陸上勤務」へ移され、北アイルランドのベルファストで1955(昭和30)年に死んでいます。
スキャンダル? 「不沈のサム」異聞「不沈のサム」のお話は、実はこれで終わりではありません。「ビスマルク」については多くの写真や記録により研究が進んでいますが、艦内に猫がいたという証拠が見つかっていないのです。オスカー/サムが「ビスマルク」に乗艦していたころの名前も分かりませんし、生き残りの「ビスマルク」乗組員も猫のことを知りません。
「ビスマルク」の沈没は、生存者が115人だけという過酷な状況でした。重油が浮き波のうねる海面で、人間ですら救助の駆逐艦の舷側をロープ伝いにやっとの思いで登ったのに、人命救助に奔走する駆逐艦が海面の破片の上に乗っていたという小さな猫をどうやって発見して拾い上げたのか、当時の海面温度なども含め、救出したとされる状況には不自然な点が多くあるという指摘がなされています。「サム」という猫が実在したのは確かですが、「不沈のサム」となった経歴は後から創作されたのではないか、ともいわれています。

戦艦「ビスマルク」追撃戦で砲撃戦を演じたポーランド駆逐艦「ピオルン」の船乗り猫、スピッツキーとその母親(画像:帝国戦争博物館/IWM)。
そうした船乗り猫もイギリスでは衛生上の観点から、海軍は1975(昭和50)年に、商船は1977(昭和52)年に、猫を含むペットの乗船が禁止されました。
日本も、民間船には猫が乗り組んでいたようですが、日本海軍には体験談や戦記物でも筆者(月刊PANZER編集部)が調べた限りで公式な船乗り猫はいないようです。「密航者」はいたかもしれません。アメリカ海軍には、船乗り猫のエピソードはいくつもあります。またロシア海軍においては現代でも、任務に就く船乗り猫が紹介されています。イギリスでも個人所有の船にはまだいるようです。
「板子一枚下は地獄」という日本のことわざがあるように、危険と隣り合わせの船乗りのあいだには、世界的に様々な迷信やジンクスがあります。オスカー/サムという猫はどこから来たのか、人間の船乗りたちの船乗り猫への様々な思いが「不沈のサム」の伝説を創り出したのかもしれません。